第2話 怪の正体
振り返ると、女のひとがいた。
白い着物を着ている。普段、着物姿のひとは見かけないから、めずらしいなぁと思った。
真っ黒でツヤツヤの長い髪。肌は、透けるように白い。
「み、みず……、のみたい……」
とぎれとぎれの声で、女のひとが言う。
「お水ですか? ごめんなさい、このウォーターサーバーは、通学路を歩く小学生のために設置されたものなんです」
それ以外のひとは、飲んではいけないことになっている。
女のひとは、ずいぶん苦しそうに見えた。
「あの、だ、大丈夫ですか……!」
もしかして、熱中症だったりする……?
そうだとしたら、とても危険だ。
「わ、わたし、お水もらえるように聞いてきますね!」
急いで事務所へ向かおうとしたんだけど。
わたしの腕を、君嶋くんが強い力で引いた。
ぐいっと引っ張られて、思わず彼のほうへ転びそうになる。
「わわっ!」
ぎりぎりのところで、わたしはなんとか踏ん張った。
「君嶋くん? どうしたの?」
たずねると、君嶋くんは怖い顔をしていた。
「……関わらないほうがいい」
怖い顔のまま、君嶋くんが言う。
「どうして?」
ぎゅっとつかまれた腕がいたい。
「あれは、人間じゃない」
「え? 人間じゃないって……。君嶋くん、なにを言ってるの?」
どこをどう見ても、人間だ。
二十代くらいの、きれいな黒髪の女性。着物姿なのは、ちょっとめずらしいけど。
「もしかして、幽霊とか言うんじゃないよね? いくら真っ白な着物姿を着てるからって、それはないと思うよ……?」
反対の手で、腕をつかんでいる君嶋くんの手をほどく。
「あ、おいっ!」
わたしは、君嶋くんの声を無視して、紙コップに水をそそいだ。
「これ、お水です。どうぞ。わたしが使った紙コップなんでごめんなさい」
そう言って、冷たいお水を彼女に手渡した。
決まりを守らないといけないけれど、熱中症かもしれないひとをほうっておくわけにはいかない。
「あ……、あ、りがとう……」
今にもとぎれそうな、かすれた声だ。
女のひとは、ひと口、またひと口と、お水を飲んだ。
最後まで飲み干した、その瞬間。
「ぷっはぁ~~! 冷たーーい! 美味しい~~!」
ぐったりしていた女のひとが、ガバッと勢いよく立ち上がった。
「助かったぁ~~! マジで死ぬかと思ったよぉ」
さっきまでの、かすれた声はどこへ行ってしまったんだろう?
別人みたいに、きゃぴきゃぴした声になっている。
「きみ、親切な女の子だね!」
女のひとは、そう言ってベンチにドサッと座った。
よく見ると、顔色も良くなっている気がする。さっきまで、まるで病人みたいに青白い顔だったのに。
「あの、熱中症だったらいけないですから。救急車とか、呼んだほうがいいですか?」
ん? でも、暑かったら顔は、赤く火照ってるはずだよね?
それなのに、青白かったのって、おかしくない……?
わたしが疑問に思っていると、女のひとがニコッと笑った。
「私、
「わたしは、夏川萌音です。ばらの森小学校六年C組です!」
あれ……?
女のひとが名乗ったので、反射的に自己紹介をしたんだけど……。
さっき、このひとは、なにを言った?
なんだか、とっても重要なことを、おまけみたいに言ってなかった?
「え、えっと。ゆ、ゆきおんな……?」
「そうだよ~~! 雪女の雪乃。よろしくね、人間の萌音ちゃん!」
ニコニコと笑う雪乃さん(自称雪女)に、わたしはどうしていいか分からず、「はは……」と愛想笑いでごまかす。
「へんなひとだね……?」
こそっと、君嶋くんに耳打ちする。
相変わらず、彼は怖い顔のままだ。
「……あいつ、ほんものの
「えぇ!?」
君嶋くんの言葉に、驚いて思わず声をあげる。
「も、物の怪? ほ、ほんものの雪女なの……!?」
びっくりしすぎて、腰を抜かしそうになる。
「証拠、見せてあげる」
雪女は、持っていた紙コップを逆さまにした。
残っていた一滴の水が、ぽたりと落ちる。
その瞬間……。
「あっ!? 凍った……!!」
水滴が、あっという間に氷になった。
きらりと光る、小さな氷。その氷を、雪女がわたしに手のひらにのせた。
「わぁ、冷たい……!」
ほんとうに、彼女は雪女なんだ!
怖い、と思うよりも、なんだかすごいと思ってしまった。だって、あっとう間に、魔法みたいに、水を氷に変えたんだもん。
「でも、どうして君嶋くんは分かったの?」
君嶋くんは、サッとわたしの前に立って、雪女と対峙する。
「……なんとなく、気配で分かる。むかしから、おれは物の怪を寄せ付ける体質なんだ。それで、嫌な目にも合った」
君嶋くんの低い声に、思わず息をのむ。
「イヤな目……? 物の怪って、わるいひとたちなの?」
「当たり前だろ。だから、関わるなって言ったんだ」
そう言った君嶋くんの声に反発するように、雪女の声がかぶさる。
「ちょっとぉ~~! 物の怪がみんなわるいヤツだって、そんなのひどい偏見だよ~~!」
雪女が、ぎゅーーっと眉を寄せている。
「ゆ、雪女さんは、わるい物の怪じゃないんですか?」
「雪乃!」
雪女さんが、訂正をする。
「ゆ、雪乃さんは、良い物の怪なんですね?」
わたしは、君嶋くんの背後から、そっとのぞくようにして彼女に問う。
「もちろん!」
ウインクしながら、雪女がうなずく。
なんだか、イメージとちがう。
むかし話や伝承を聞いて、なんとなく想像していた雪女像があった。物静かで、儚げで。すっごく弱々しい感じ。そんな印象だったんだけど……。
実際の雪女は、テンションが高くて、ノリが良いなんて。
白装束だし、真っ白な肌をしているから、見た目はイメージ通りなんだけど。
「……悪人は自分のこと、悪いとは言わないと思う」
君嶋くんが、冷静に雪女に指摘する。
もっともな言い分だなって、わたしは思った。
「人間だって、わるいヤツいるじゃん? それと同じだよ」
雪女が言っていることも、間違ってはいないような……。
「ときどき、人間から氷を
雪女が得意気な顔をしている。
「……はいしゃくって?」
意味が分からず、こそっと君嶋くんにたずねる。
「借りるって意味だけど。どうせ物の怪のことだから、勝手に借りてるんだろ」
そう言って、君嶋くんが雪女をにらむ。
勝手に借りるって、それは泥棒と一緒なんじゃ……。
あれ、そういえば、氷……。泥棒……?
それって。夏祭りの!
「氷泥棒だ!!」
澄果が言っていた、氷泥棒の話を思い出した。
雪女をといつめると、あっさり白状した。
「だから、ちょっと借りただけなんだって~~!」
明るく笑っている。まったく、反省している様子はない。
「それで、いつ返すんだよ」
君嶋くんが、雪女に問う。
「借りたって主張するなら、返す予定はあるんだよな?」
「お、覚えてたら……次の夏祭りとかに……か、返すかも……」
少しずつ、雪女の勢いがなくなっていく。
「どうせ、返さないつもりなんだろ」
「だ、だって! この暑さだよ? 雪女はね、暑いのがとーーっても苦手なの。とけて死んじゃうんだから!」
「え、そうなんですか……?」
死、という言葉を聞いて、わたしは急に怖くなった。
「物の怪にはね、いろんな特性があるの。水辺から離れると力が弱くなったり、傘を持っていないと不安になったり。私の場合は、冷たいものに触れていないと危険なの」
「と、特性って、個性みたいなものですか……?」
「そうだよ!」
ぜんぜん、知らなかった。
物の怪って、個性があるんだ……。
「あんたたち人間にも、あるでしょ? 苦手なこととか、どーーしても、無理なこと」
雪女に言われて、しばらく考える。
「わ、わたしは泳ぐのが苦手なんですけど。プールの授業がぜんぜん好きじゃなくて。顔を水につけるのも怖いです。それと似たようなことですか? あと、ピーマンは苦すぎて、どうしても食べられないです」
「そうそう、それよ!」
「そっかぁ」
自分に置きかえてみると、すごくよくわかる。
プールの授業では、いつも先生におこられちゃって、悲しい気持ちになるし……。
ピーマンは、残すとママに睨まれる……。
「おい、納得するなよ」
君嶋くんが、わたしを見ながらため息を吐く。
なんだか、呆れているみたいな顔だ。
「でもさ、君嶋くん。わたしがピーマンを食べられなくても、ママに『好き嫌いはダメよ』って言われて、ちょっとしか困らないけど。この雪女……じゃない、雪乃さんの場合だと、とけちゃうんだよ? 死んじゃうんだよ? 目の前にあったら、借りたくなる気持ち分かるよ。……盗むのは、わるいことだけど」
君嶋くんが、腕をくむ。
「……まぁ、とけて消えるのは俺も嫌だな」
「でしょ!」
君嶋くんも、納得してくれたみたいだ。
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