ケーキと罰金

 就業のチャイムが鳴って、クラスのみんながいそいそと帰り支度を始める。

 そんな中で、私は生徒のみんなの流れに逆らって、校舎の奥へ歩いて行く。

 春子も神崎君もそれぞれバレーボール部とサッカー部のため、帰りはいつも一人だ。

 

 春子ちゃんからは同じ部活に誘われたし、バレー部の部長もすっごく熱心に誘ってくれたけど、あいにく私は筋金入りの運動音痴だし、部活の……陽キャって言うのかな? あの空気感がどうしてもダメだった。

 春子や神崎君は特別だけど、基本的に1人で静かに何かしてるのが好き……

 

 そんなこんなで運動音痴だし、文化部もそんなに興味のある物がないので絶賛帰宅部なんだけど、一つだけ大好きなことがある。

 私は、校舎の奥にある図書室に向かうと、中に入った。


「あ、根尾さん。いらっしゃい」


 中にいた、4年1組の担任の中尾良美先生が読みかけの本から顔を上げてニッコリと笑う。 55歳と言ってたかな……かなり落ち着いた雰囲気の恰幅のいい人だけど、何故かこの人と話してると落ち着く。

 口数は少ないけど、気がつくと近くに来てオススメの本をそっと教えてくれる。

 そして後はニッコリと笑うだけ。


 1人で静かに本を読むのが大好きだし、この部屋と先生の静かな暖かさが大好きだったので、放課後はここで1時間くらい読書するのが楽しみだったのだ。


「すいません。また、読ませて下さい」


「もちろん大歓迎よ。もうこの部屋はあなたの専用室みたいなものだから」


 この図書室は、勉強に関係した物以外にも昔の古典文学から外国のミステリー小説、最近の文学賞を受賞した作品なんかも置いてあって、宝の山だった。

 でも、他の生徒からは「古くさいのばっか」って、敬遠されてるけど……


 私は、本棚を回る。

 いつもはミステリー小説が多いけど、今日は……

 私は料理のレシピ本を手に取った。

 男の子に喜ばれる、見目麗しく食べ応えのあるお弁当。

 そんなのが載っている本を取った。

 ネットにはそういったのが沢山有るけど、この雰囲気の中で実際の紙の感触を楽しみながら調べてると、神崎君の事がドンドン浮かんでワクワクする。


 そんな気分のままにしばらく読みふけっていると、机の端を軽くコンコンと叩く音が聞こえたので、ビックリして顔を上げた。

 すると……


「神崎君……」


 え? なんでここに……

 最初ポカンとしちゃったけど、我に返ると胸がドキドキしてくる。

 え? え?


「お前、ホントに本が好きなんだな。背筋ピン、って伸びて集中しててさ……」


「ずっと……居たんだ? ああ……ご、ごめんね」


 小声で言いながら米つきバッタみたいに細かく頭を下げる私に、神崎君は苦笑いをしながら同じく小声で囁いた。


「何謝ってんだよ。俺の方が邪魔してたじゃん。いや……なんて言うかさ、本読んでる根尾に夕日が凄い当たって、絵みたいだったよ。うん、格好よかった」


 神崎君の言葉に頬が酷く熱くなるのを感じる。

 絵……私が。


「ゴメン、俺ってお前みたいに本読まないから、全然言葉が浮かばなくてさ。何かしょぼかったな」


「そ……ああ……全然そんな事無い。嬉しかった……ありがと……へへ」


「なら良かった。俺も今日は部活休みなんだよ。だから一緒に帰ろうって声かけようとしたらコッチに歩いて行ってたからさ。悪いな、後着けるような事して」


「全然! でも、いいの? 私なんかとここに居ても……つまらなくない?」


 そう言うと、神崎君は大げさにため息着くと、私の頬を軽くつねった。


「詰まらなかったらここまで来るかよ。ほんと、お前もっと自信持てって。だからこの前みたいに、あんなしょうもない奴らにちょっかい出されるんだよ」


「その節は……ごめんなさい」


「いいよ。あれは俺もイラッとしたから。抜け駆けとか意味不明すぎだろ。まあ、ホント気にするなって。アイツらお前が羨ましいんだよ」


「え? わた……しが?」


 神崎君は頷きながら、そっと耳打ちした。


「ここ図書室だろ? 俺らしゃべりすぎじゃね。帰りに続き話すよ。それよりオススメの本、教えてくれない?」

 

 ※


 それから私はレシピ本。

 神崎君は私の進めたアガサ・クリスティーのミステリーを1時間ほど無言で読んだ後、学校を出た。

 真っ赤な夕日が校舎やグラウンドを染めて、ホッとため息が出そうなくらい綺麗……


「ありがとな、根尾。あの本すっげえ面白かった。いいな、クリスティーって。今度小遣いもらったら買ってみるよ」


「ほ、ほんと!? あ、あの……神崎君、列車とか好き? だったら『オリエント急行の殺人』とかオススメだよ!」


「そうなんだ? へえ……あ、だったら今から本屋に付き合ってくれない? 根尾に選んでもらった方が絶対いい気がしてきた」


「……わ……私なんかより……」


 そう言いかけたら、神崎君が大げさに睨み付ける表情をしたので、ハッと気付いて慌てて言い直した。


「うん……私で……良かったら」


 そう言うと、神崎君はニッコリと笑った。


「いいじゃん。そっちの方がお前らしいよ」


 神崎君の言葉に思わず顔がニヤけてしまった。

 私……らしい。


 何でだろう。

 神崎君と歩いてると、周りの見慣れた景色が凄く色づいて見える。

 夕日もこんなに真っ赤だったっけ?

 周りの木も葉っぱもこんなにむせかえるような匂いをしてたっけ。

 歩いてるだけでワクワクする。

 なんなんだろ……この気持ち。


「何でだろ……今、凄く楽しい」


「ホント? え、すげえ嬉しいんだけど。俺って男ばっかの環境だから、女子と話すの苦手だから、心配してたんだ」


「ううん、全然。私、今まで帰り道ってとにかく早く帰りたかった。人に会わないように、顔も伏せて。何年か前、帰り道で知らない人にランドセル見てクスって笑われて、それ以来……」


「そいつは馬鹿だ。忘れろ」


「ええっ! それ、あっさりしすぎ」


「ホントの事だろ。そのランドセル、すげえ似合ってる。俺、前に外国のモデルがランドセルを普通に背負ってる写真を見たんだ。ホント、格好よかった。お前を見たとき、アイツらに負けてない、って思ったもん」


 ああ……何でそんな……サラッと褒めるの!

 恥ずかしくて……嬉しくて、どうにかなりそう。


 それから私たちは本屋さんで、クリスティーの本を選んでからお店を出た。

 気に入ってくれると良いな……

 

「読んだら感想、ラインするよ。根尾オススメなら外れ無しだろうし」


「期待してて……へへ」


 そういったあと、フッと思い出した。


「あ! そうだ。ちょっと、ケーキ屋さんに寄ってもいい? 今日、お兄ちゃんの誕生日だから、ケーキ予約してたんだ」


「え、そうなんだ! おめでとうだな。もちろん、付き合うよ」


 嬉しいな。まだ、一緒に居られる。

 そんな浮き立つ気持ちのままに、スマホのナビを見ながらお目当てのケーキ屋さんに入った。

 いつも使ってるケーキ屋さんとは違うけど、パパが有名なところだって見つけてくれたんだ。


 可愛らしい外観と、中の色とりどりのケーキを見ていると時間を忘れてしまう。

 ああ、だめだめ。

 ケーキ、受け取らないと。


「あの……予約してた根尾ですけど」


「有り難うございます。根尾様ですね。少々お待ちください」


 カウンターの高校生っぽい可愛らしい女の人が、ニッコリと笑うと奥に入っていき、すぐに大きな箱を持ってきてくれた。


「こちらでよろしかったでしょうか? お待たせしました」


「有り難うございます」


「おっ、美味しそう! 俺も今度買うときこの店にしよ」


「うん、そうだね……凄く美味しそう」


 私たちがそう言うと、店員さんが私と神崎君を見比べて言った。


「有り難うございます。息子さんもきっとお気に召して頂けると思うので、その際はぜひ」


「……あ……」


 私はそれ以上言葉が出なかった。

 ポカポカしてた心がスッと冷えてくる。

 息子……

 そっか。

 私と神崎君って……そう見えるんだ。


 分かってた。

 どんなにポカポカするくらい幸せでも、私と神崎君は同じ小学生になんて見えないって。

 でも……でも……


 その時、神崎君がにこやかに。でもキッパリと言った。


「いえ、俺たち同じ小学校の友達です。親子じゃ無いです」


「え……」


 思わずキョロキョロと見比べる店員さんに神崎君は軽く頭を下げて言った。


「すいません、俺チビだから勘違いさせちゃって。同い年なんです。行こう、根尾」


 ※


「ゴメンね……気を遣わせちゃった」


「お前、今度からゴメンね、って言う度に100円罰金な。今のままじゃ小遣い無くなるぞ」


「え……それは……ヤダ」


「じゃあもっと自信持って堂々としろ。さっきもそう。何であそこでウジウジうつむいてんだよ。何も悪いことしてないじゃん」


「そう……だけど」


「お前は綺麗だ。格好いい。俺が保証する。お前はそこらの女の人にも負けてない。いいじゃん、そんな小学生いたって。俺は好きだよ」


「す……好き!?」


「え!? ちょっ……その好きじゃ……おい! なんか焦ってきた!」

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