黒い傘の君(2)

「最近どうしたんだ。そんな楽しそうに学校の準備をしてるの、小1の時以来だな」


 宿題を終わらせた私は、ランドセルに明日の授業の教科書を入れつつ、部屋のベッドに座っている兄の忠を見た。


「そう……かな? 別にそうでも無いよ」


「ふうん……ま、いいけど。それはともかくあの神崎って男には感謝しないとな。可愛い妹のモチベーションをあげまくってくれたんだから」


「えっ!? ちょっ……お兄ちゃん! なんで神崎君の事知ってるの!」


 慌てすぎてランドセルからせっかく入れた教科書が全部落ちたのも気付かないままに言うと。

 お兄ちゃんは事もなげに答えた。


「春ちゃんが教えてくれた」


「あいつめ……」


 ホントに春子はお兄ちゃんに弱い。

 春子はどこがいいのか、この兄にどうやら2年前からずっと片思いらしく、お兄ちゃんの知りたがっている事や、役立ちそうな事はスパイですか!? と言いたくなるくらい、逐一報告している。

 もちろん、お兄ちゃんはそんな春ちゃんの気持ちには気付いてなくて、何故か懐いてくれる妹の友達、と言う程度の感覚だ。


「そう言うなって。春ちゃん、嬉しそうに話してたぞ。お前の事心配してんだからさ」


「それはそうだけど……」


 でも、お兄ちゃんの言うとおり。

 神崎君と初めて出会った、あの春雨の日。

 学校に着いた私は、まさに神様の存在を感じた。

 何と、神崎君と同じクラスになってたんだ!


 流石に席に関しては必ず最後列の私と、背が男子の中では一番低いため最前列の神崎君なので隣同士では無かったけど、そんな贅沢望まない。

 しかも、早速休み時間になったら私の所に来て「同じクラスだったんだ。仲良くしようぜ」と言ってくれたし!


 それだけで胸の奥がポカポカ暖かくなって、教室の中の色がキラキラ眩く見えた。

 

「良かったら今度神崎君、家に連れてこいよ。先に教えてくれてたら俺か母さんがバッチリおもてなししてやるから」


「い、いいよ! 恥ずかしいから……」


 そう言ったものの、お兄ちゃんの気持ちは嬉しかった。

 そういえば、2年生になって周囲との違いに気付き始めてから、学校が楽しいって思ったこと一度も無かったな……


 それ以来、私と春子との会話に時々神崎君も加わるようになった。

 私は夢を見てるのかと思った。

 信じられない……


 この学校だけか分からないけど、男子は大抵、女子と完全に異なるテリトリーで過ごしており、男子と女子が話したり一緒に遊ぶ事は恥ずかしいこと! って言う謎の空気が出来ていた。

 だから、学年でも1,2を争う美少女の谷中さんでさえ、男子と話したことは数回しかない。

 水面下では告白とかされてたみたいだけど……少なくともみんなに分かる形で、交流することはまずない!


 なので、主に男子と遊ぶことが多いとはいえ、毎日1回は一緒におしゃべりしたり、お弁当で同じグループに入ってくる事が異色中の異色だった。


「神崎君ってホント、変わってるよね~。普通、男子がここまで女子に関わってこないよ」


 3人でお弁当を食べているとき、からかうような口調の春子に神崎君は唇を尖らせて言った。


「いいだろ、井上には関係ねえよ」


「でも……無理しないでね」


「ありがと。でもさ、俺も根尾や井上と話すの好きだから、気にしなくて良いよ。家、女っ気ゼロだから新鮮なんだよね」


 そう言うと、神崎君はアルミ製のお弁当の中の唐揚げを食べた。

 そうだ。神崎君のお母さんは3年前に事故で亡くなって、それからはお父さんと神崎君だけで暮らしてるんだっけ……

 だからお弁当も、毎朝神崎君が自分で作ってるって言ってたな。


 その時、私の中にまるで雷でも落ちたように、ある考えが降りてきた。

 でも……それは……いや、案外……ああ、でも……恥ずかしい!


(良かったら……お弁当、作ってこようか)


 こ、これ……言っちゃっていいのかな……

 この考えに自分でオタオタ慌てていると、春子が言った。


「じゃあさ、あかりが神崎君にお弁当作ってあげたら? ね、神崎君。あかりってスッゴいお料理上手なんだよ! 前に私のお弁当も作ってきてくれたことあるけど、どこの売り物ですか!? って言いたくなるくらいのハイクオリティ!」


「え……ちょっと!」


 うそでしょ! なんで言っちゃうの!

 せっかく……私が……って、自分じゃ絶対言えなかったから、感謝だけどさ。


「え、そんなに凄いの! でも確かに根尾の弁当、メチャ美味しそうだとは思ってたんだよね」


「え? え? じゃあ……良かったら明日から……持ってくるよ」


「いいの? いや、でも悪いよ」


「だ、大丈……夫。私、いっつも作りすぎちゃって、パパに食べてもらってるから……その分を」


 ああ、何てベタな嘘を……

 

 でも神崎君は嬉しそうな顔をしてくれた。


「マジで? ありがとな、根尾。じゃあお言葉に甘えようかな」


「う、うん! マズくならないように……頑張る」


「お礼は絶対するからさ。何かあったら言ってよ」


「そ、そんな……お礼なんて……」


 でも、神崎君は笑顔で首を振ると「ドッジボールしてくるから。ごちそうさま」と言って、教室を出て行った。


 ああ……お弁当、頑張らないと。

 そう思っていると、教室の隅の方から「おばさんの色仕掛け」と小声で、でもハッキリと分かる声が聞こえた。

 ハッと声の方を見ると、3人の女子がコッチを見ていた。


「あかりはおばさんじゃ無いけど」


 春子がキッパリと言うと、その子達はクスクス笑って言った。


「神崎君、お母さんが早くに死んじゃったからって、そこにつけ込むのはどうかと思うけど。いくら根尾さんがオバサンっぽいからってさ。後、神崎君はクラスの女子みんなの物なんだから、抜け駆けとか止めてくれない?」


 そうだったんだ……そんなの知らなかった。

 確かに神崎君は、その優しい性格とかなり整った顔立ちのせいで、女子からの人気は一番だ。

 でも、そんな取り決めがあったなんて知らなかった。


「でも……そんなの私、知らない」


「それはどうでもいい。とにかく、神崎君にちょっかい出すのは止めてね」


 その言葉にもう一人の子も続く。


「そもそもさ、根尾さんみたいに年増の小学生が絡んでるのって、神崎君も怖がってるんじゃ無い? 実は」


「あ、そうかも!」


 そう言ってクスクス笑っている子達を見て、私は嫌な汗が出るのを感じた。

 そうなのかな……

 でも、そうかも。

 今までも、私をまともに女の子って見てくれた男子なんていなかった。

 なのに神崎君だけは違うって、勝手に……


「そう……なのかな……」


「あんた達……いいかげんに」


 春子が勢いよく立ち上がったとき。

 教室の入り口から「別に根尾、怖くないけど」と言って、神崎君が入ってきた。


「あ、神崎君……」


 女子3人は(しまった)と言う表情で目を逸らしたけど、神崎君は硬い表情で3人の近くに行った。


「根尾のどこがおばさんなわけ? 根尾とお前らってなにが違うんだよ。同じ小5じゃねえの」


「でもさ……あの子、どう見ても高校生じゃん。小学生じゃ……無いよ」


「お前ら、前に携帯で高校生のアイドル見て可愛いって言ってたじゃん。それと根尾はどう違うんだよ」


「……根尾さんだけ抜け駆けするのって、ルール違反だから」


「あほらし。なに、そのルールって。俺は付き合いたいやつと付き合う。弁当だって食べたい奴と食べる。それがたまたま根尾と井上だっただけ。根尾の弁当が旨そうで、作ってくれるって言うからお願いした。それが何なの?」


「神崎君……」


 どうしよ……また、泣いちゃいそう。

 でも、これ以上は……神崎君まで。


「あ、あの……神崎君。もういいよ」


 そう言っておずおずと近づいた私に神崎君は、真剣な表情で言った。


「根尾。お前何も悪いことしてないだろ。クラスの誰より大人っぽいだけ。それってそんなに悪いのか?」


 その言葉に私は雷に打たれたみたいに、震えた。

 ううん……悪く……ない。

 そう。 

 私は……悪くない。


 無言で首を振った私を見ると、神崎君は女3人組を見た。


「根尾と井上は俺の友達だ。これからもし、さっきみたいに訳分からないことやってたら許さない。もう一度言うけど、俺が誰と仲良くしようと俺の勝手だ。分かったか」


 静かな、でも有無を言わせない静かな口調に女子3人は、コクコクと頷いて教室を出て行った。

 

「ごめんなさい……私のせいで」


 そう言って頭を下げた私の後頭部を、神崎君は軽く叩いた。


「だから、何でお前が謝るんだよ。謝るのはさっきのアイツらだろ。もっと自分に自信持てって」 


「……うん」


 また頭を下げながら、私は神崎君から目を離せなかった。

 自信……持ちたいな。

 もし、神崎君の言う通りに自信持てたら……この人と手を繋いで一緒に歩けるのかな?

 私の事……もっと見てくれるようになるかな。

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