第2話 ピヨっとイタリアン
私の家のベランダには、スズメがよく遊びに来ます。
いや、正確に言うと遊びに来ているのではなく、ベランダの一部を間借りされている感じ。要するに、占拠されているのだ。
そう、スズメさんは、ベランダの屋根の部分に巣を作り、そこで雛を育てているのです。
イタリア料理を作るのが趣味な私の家のベランダには、沢山のプランターが並んでおり、そこには、イタリアンパセリやバジル、ローズマリーなどを育てています。
だけど、種を蒔いているのに、一週間たっても、二週間たっても、一向に芽を出さない時期があった。
そういえば、同じ様な事が、以前にも一度あったのを思い出した。その時は、買って来た種に問題があり、いくら蒔いても蒔いても一つも発芽しなかったのだ。
私はその種を購入した店に問い合わせをした。たぶん返金、もしくは交換してくれるのだろうと思っていたら「こちらに落ち度はないので、生産者に問い合わせてくれ」と、言われた。
あらららら、そう来たか。
正直面倒だなと感じだけど、言われるがまま生産者にメールを送ると、直ぐに返事が来た。その内容はこんな感じでした。
「販売元の保管方法に問題があり、発芽しないと思われ」
だ、そうだ。 う~~~ん……
種の値段は500円ほどで、それを三つ購入していたけど、蒔いても蒔いても、一つたりとも芽は出てこなかった。
結局、販売元、生産者、どちらをも追及することなく、
その時の、プチ悪夢の様な事を思い出したが、プランターをよく見ると、僅かだけど、蒔いた時より土がもりもりとなっているような?
その時は不思議に思ったけど、あまり気に留める事も無く、私は再び種を蒔いた。だが、蒔いても蒔いても結果を同じで、芽は出てこない。
販売元や生産者に言っても、どうせ以前と同じ扱いだろうと思っていた私は、新しい種を買うことにした。無論違う店で。
だが、それでも芽は出てこない。そして、プランターの土は、相変わらず少しだけもりもりと……
もしかしてと思った私は、日曜日の早朝に種を蒔いた後、窓を閉め、さらにカーテンも閉めた。
と、思わせておいて、カーテンの隙間からこっそりプランターを見つめていた。
すると……
ベランダの一部を占拠しているスズメが降りて来て、プランターの土にクチバシを差し込んでいるではないか!
一羽だけではなく、二羽、三羽と、何処からともなく、その数は時間の経過と共に増えてゆく。
最終的には、七羽のスズメがプランターに蒔いた種を全て回収した様で、一羽が飛び立つと、残りのスズメも後に続いて飛び立って行った。
「……」
その一部始終を見ていた私が最初に思った事は……
イタリアンパセリ、バジル、ローズマリー、これらの種を食べたスズメさんたちは、イタリアンを食したという実感があるのだろうか?
と、いう疑問だった。
その日から、私の戦いは始まった。
と、言っても、スズメさんを追い出すのではなく、私がする事は種を蒔き続ける事である。
無論断っておくが、これは決してエサを与えている訳ではない。自分のプランターに種を蒔いているだけである。
それからも、蒔いても蒔いても芽は出てこない。どうやらスズメさんたちは、一粒たりとも逃さないらしい。
そうだ! あの短いクチバシが届かない深さに蒔いたらどうだろうか…… いや、それはフェアではない。そんなズルの様な事をしてまで勝利が欲しい訳ではない。
兎にも角にも、意地っ張りな私は、スズメさんに負けずに芽を出させる事を目標に、種を蒔き続けた。来る日来る日も……
長い月日が経ったある日の事…… 一つのプランターから、イタリアンパセリの芽が出ている事に気付いた。
その瞬間、私は自然と笑みを浮かべていた。
ふはははははは、そう、私はついに勝利したのだ!
だが、実際はそうではなかった。
ある日のこと、カーテンを開けると、スズメさん二羽飛び立った。いつもの風景だが、その日はまだ一羽が、ベランダの手すりに残っていた。
羽をバタつかせて、飛ぼうとしては辞める。サッシを開けようと、手を掛けていた私は、そっと離して静かに見ていた。
すると、そのスズメは、一度身体を沈ませた後に「ピヨッ!」と、鳴いて羽ばたいていった。
その鳴き声、小さな身体からして、どうやら巣立ったばかりのひな鳥だったと思われる。
それゆえに、ベランダから羽ばたくまでに時間を要したのだ。
一部始終を見ていた私には「せーの、えい!」と、そのひな鳥が言った様に聞こえていた。
季節は秋になっており、蒔いた種は食されることの方が少なくなって、芽はいたるところに顔を出していた。
そういえば、最近スズメさんたちを見る機会が減ったけど、いったいどこへ行ったのだろうと考えていたが、車を運転している時にその謎は解けた。
窓を閉めていても、エンジン音をかき消すほどの鳴き声が聞こえてきた。
スズメさんたちは、近所の田んぼに集結していたのだ。その数は、うちのベランダに来ていた時とは比べものにならない。何十、いや、何百羽もの小さな体が稲穂の間を飛び交っている。
季節は実りの秋。そう、スズメたちは黄金色に輝くお米を狙っていたのだ。
いつの間にかベランダから姿を消していたスズメさんたちは、今度は私ではなく、戦場を田んぼへと移し、農家のおじいさんと知恵比べをしていたのだ。
やはり日本のスズメさん、どうやらうちのイタリアンより、和であるお米の方が断然お気に入りのようだ。
かつては敵対していたスズメさんたちに、今や戦友に近い親しみを覚える自分に気づいた。いつしか私は、田んぼでの攻防戦で彼らの小さな勝利を密かに願うようになっていた。農家のおじいさんの苦労を思えば、複雑な気持ちではあるが……
季節は冬となり、スズメさんを見かける日はなくなった。田んぼの稲穂は全て刈り取られ、そこにはもはや影すらない。この厳しい寒さの中、いったいどこで過ごし、何を糧にしているのだろう。巣立ったばかりの幼鳥たちは、無事に冬を越せているのだろうか…… イタリアンで良ければ、毎日蒔いてあげるから、好きなだけ食べにくればいいのに。そんな気持ちで種を蒔き続けたが、姿を見せることはなかった。
月日が過ぎて、寒いのが嫌いな私の待ち望んでいた春がやって来た。
そんなある朝、ベランダから聞こえた小さな「ピヨッ」という鳴き声に、私の心臓が躍った。興奮を抑えきれない自分を戒めながら、そっと優しくカーテンを開ける。
すると、柔らかな春の光の中、手すりに一羽のスズメが佇んでいた。その鳴き声から、「せーの、えい!」と、飛び立ったあの時の幼鳥のように思えた。
どうやらこの小さな訪問者は、再び私との駆け引きを楽しむつもりらしい。
私は思わず微笑んだ。「イタリアンでよければ、どうぞ」と心で呟きながら……
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