俺の学校にはダンジョンがある。

イヌハッカ

1対1

「そんで? 私に本気でやって欲しいって?」

「はい」


 夏服を着崩して腰にジャージを巻いた先輩は、パックのジュースを飲みながら俺の頼みを繰り返した。


 光景だけ見れば青春のワンページ、あるいはスケバンに許しを乞うオタクのようだが、場所が場所だけに緊張感が違う。


 古代遺跡のような、石材と岩壁が一体化した大広間の一室。魔鉱石の明かりを頼りにダンジョンに潜ろうとする生徒たちが各々装備を整えている。


 日本第4位の規模をもつ、S県G地区第二高校のダンジョンは入場免許を持つ生徒ならば誰でも利用できる。


「何で?」

「……実力不足って言うのはわかります。でもどうか」

「いやそうじゃなくてさ」


 そんな背景からか我が高校の通称「ダンジョン部」は他校の2から3倍の生徒数を抱え、それぞれの探索者の質も高い。


 ちなみに、目の前にいる踏花とうか先輩はその中でも上澄み中の上澄だ。


「スポーツの大会にしろ、日々の練習にしろ、全力でやるなら理由がいるよ。それによって全力の定義も変わるし、やる気も違うから」

「……勝ちたい奴がいます」

「何で勝ちたいか、勝ってどうしたいかも聞きたいね」


 その問いについて考えた瞬間、鼻の奥からまた血の匂いがした。殴り、蹴られた全身の痛み、無力感、泥に塗れた姿を笑われた屈辱が脳裏をよぎった。


「思い切り見下して、泣かせてやりたい奴がいます。そのために鍛えて欲しいです」


「いいだろう、相手してやるよ」


 全身の力を抜くように何度かその場でジャンプした後、先輩は両手を前にして構えた。素人が喧嘩する時みたいなラフな構えだ。


 俺も両手を構えて、全身の魔力に意識を集中させる。

 ダンジョン内に満ちた魔力は探索者の周囲に集まる。これを利用することで、まるでパワードスーツを着込んだような、軽快で重みのある動きを実現できる。この、魔力による身体強化魔法は探索者の基本だ。


 飛び出して大きく振りかぶった拳は空を切る。反対に、先輩が後手ごてで繰り出した軽いジャブが俺の鼻先を叩いた。


 その瞬間、煙に視野が遮られる。


「おら、お望みの『モクモク拳』だぞ」


 それ『積乱雲スモーク』っていうもっとかっこいい名前があるでしょ。


 これが先輩の魔法。指先から発生した白い煙が視界を遮る。


 煙の展開速度はそんなに早くない。一瞬で周囲が見えなくなったのは鼻先を殴られた瞬間、まさしく目の前に煙を発生させたからだ。


 まだ顔の周りにしかないだろう煙を振り切るため、俺は前に出た。

 煙を背後に残して視界が晴れた瞬間、視界に飛び込んできたのは先輩の前蹴りだった。


「ッ!?」


 腹部を狙った蹴りを両腕で抑えるも、怯んだ隙を狙って顔面を狙う右が襲いかかる。何とか防ぐがまた煙が目の前に焚かれる。

 

 視界を確保しようと躍起になる俺に対して、先輩は一つ一つの行動を潰すように攻撃を仕掛けた。

 体を動かし、視界を晴らしたと思えばすぐにまた防御を強いられる。

 途切れ途切れに見えた先輩の姿は次第に頻度を減らし、やがていくら頭を動かしても俺の目には煙だけしか見えなくなる。


(完全に囲まれたな)


 今頃、俺のいる場所を中心に積乱雲のように煙が漂っているのだろう。

 気づかなかったが周囲から野次馬の声もする。これは相当目を引いているだろうな。


 深く呼吸をしながら周囲を警戒する。煙は人体には無害だと前に先輩に教えてもらった。


 不意に右の煙が揺らいだ。咄嗟にガードを固めたところへ左右のコンビネーション、三連撃のうちの一発はボディにくらった。


 次は防げる。俺は確信する。一撃で沈むのを恐れて顔のガードを固めたが、今のボディーブローは完璧に見えた。


 次は左前、揺らいだ煙を注視する。


 が、突然の衝撃が両足を襲った後、空中に投げ出されたかのように体が傾いた。


 足払い。咄嗟の出来事に体を固めてしまう。背中に魔力を集中させて落下の衝撃に備える。


 背後に石畳の硬さを感じるとともに、いっせいに煙が晴れた。動揺も束の間、天井と共に現れたのは、先輩が履いていたスカート、その中に履いていた短パン、そしてスニーカーの裏側だった。


 強烈な打撃音と共にスニーカーが俺の耳元へ着地した。顔面にくらったなら骨折ではすまない。確実に脳みそごと潰れていた気がする。


「本気で戦い合うだけで強くなれると思うなよ。今日も基礎練からな」


 先輩は薄く散った煙を消してジャージに着替えに行った。

 

 全身に冷や汗をかきながら、俺は呆然と地面に転がったままだった。

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俺の学校にはダンジョンがある。 イヌハッカ @Nagi0808

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