第13話 黒猫の剣豪と、"言霊(ことだま)"

 これでいい。拙者は生きてはならぬ存在なのだから。

 心の中でそうつぶやきながら、朱鷺常は谷底に身をゆだねる。

 

 ーー人の心を持たぬ、醜い⬛︎め!


 "極東きょくとう"の戦乱中も、そして終戦後も。

 祖国の人々から絶えず、そんな言葉を朱鷺常は浴びせられ続けた。

 それこそ耳にタコができるほどで、彼らの声は今も頭の中から離れてくれない。

 胸を締め付けられながら、朱鷺常は「生きてはならぬ存在」だと自身に言い聞かせ続けた。

 生きているだけで、人から疎まれる。

 そのうえ戦乱で多くの者を殺めたのだから、まさに因果応報いんがおうほうだ。

 こうして死ぬことに、悔いはなかった。

 もはや帰る場所など何処どこにもないのだから……。


「トキツネ!」


 暗い谷底へ落ちる朱鷺常の瞳に、クラソルが映る。

 崖の上からこちらを覗き込みながら、彼女は堕ちる自分に向けて右腕を伸ばし始める。

 白の淡い光を帯びた〈魔縄マイヤー〉を右手しながら。

 ああ、クラソルのことを失念していた。

 [始まりの山]まで護衛する任を受けながら反故ほごにしてしまった。

 仕事を全うできなかった事は本当に申し訳なかった。

 彼女にそう伝えたかったが、この状況ではどうすることもできない。

 こうしている間にも黒猫の体は地底の渓流へと降下を続け、真上のクラソルが豆粒ほどに小さくなる。

 地面への落下もあとわずか……。

 死を受け入れ、朱鷺常が猫の瞳を閉じかけたその時――。


「≪繋がれコネクト≫」


 クラソルの声が、今度ははっきりと耳に入る。

 やまびこのように反響した、力強い不思議な響きだ。

 不思議なのはそれだけじゃない。

 

 先ほどの呼びかけとは、明らかに異なる。なら、今のはなんだ?

 そんな疑問を朱鷺常が抱いた次の瞬間、黒猫の体が落下を止めた。

「にゃ?」

 何が起きたのか一瞬分からなかった。

 見れば、自分の体が宙に浮いたまま静止していたのだ。

 ふと真下を向くと、激しい音を立てながら巨大な岩石をう大きな川が映る。崖底に落ちたわけでないみたいだ。

 この状況は一体? 戸惑いながら自身の体を眺めた朱鷺常は、ようやく状況を理解した。

 淡く白光した細い糸が、黒毛に覆われた猫の丸い腹に括られていたのだ。

 蜘蛛の糸にも似たそれは、〈汽車〉に乗り込む際にクラソルが使用した〈魔縄〉のそれだ。

 糸の出所を目で追うと、ここから半町はんちょう(※約五十四m)の高さはあろうはるか頭上

 厳密には崖上に佇むクラソルの手中から、糸が伸びていた。

 どうやらクラソルがよこした〈魔縄〉に、命を繋ぎ止められたらしい。

 しかし、いつ〈魔縄〉に括られたのか? 黒猫の体に初めから〈魔縄〉が結ばれてなかったのは明白だ……。

 心当たりがあるとすれば、クラソルが口にしたあの言葉か。

 繋げるーー。

 不思議な力に満ちたその一言は、耳にしただけなのに、なぜだか頭の中で一言一句正確に文字を起こせた。

 それこそ脳みそに直接言葉を刻まれたような感覚だ。

 これも魔術の一種なのか? 詳しくは分からないが、今はクラソルに助けられた事がわかれば十分だ。

 しかし、このあとはどうなる?

 〈魔縄〉は強度が高い糸で魔力を込めると思い通りに伸縮する魔具だと、クラソルは言っていたか。

 とすれば真上の崖からこの地点まで伸び切った糸を縮めることもできるはずだ。

 ちょうど、走行中の〈汽車〉へ強引に乗り込んだ時みたく……。

 黒猫の全身からドッと汗を滲ませる朱鷺常。

「……頼むからゆっくり引き上げてくれ、にゃーー!?」

 しかしその願いは叶わず、〈魔縄〉により黒猫の体が一気に急上昇した。

 地底を伝う谷底の渓流が瞬時に遠のいていく。

 同時に、高速で引き上げられた際の凄まじい重力に、朱鷺常の意識もまた遠のいた。

 そうして刹那とも言える地獄の一時を終えた。


「トキツネ、トキツネ! しっかりして!?」

 クラソルの呼びかけに、朱鷺常は猫の瞳をゆっくり開ける。

 夜空の三日月と淡い金色を帯びたふんわりな髪に眩しさを覚える中、目と鼻の先では、涙を浮かべたクラソルのあどけない顔が映り込む。

 黒毛の体を見れば、白いポンチョをまとった彼女の腕に包まれたまま。

 クラソルに両腕に抱擁されていると、朱鷺常はようやくそこで理解した。

「ああ、良かった……! 上手くいった! 無事だった」

 さらに強く抱いてくるクラソル。

 対する朱鷺常は、不可抗力ふかこうりょくのままポンチョに覆われた彼女の胸元に顔をうずめてしまう。

 ふかふかと柔らな生地から漂う花の香りや彼女の暖かな体温が心地よすぎて、朱鷺常の全身から力が抜けていく。

「離してくれ……。もう大丈夫だ」

「ごめん、わたしが無茶したせいでこんな事になって……」

 クラソルはいっこうに黒猫の体を離そうとしない。

 それどころかクラソルは瞳に溢れた涙を流し、さらに強く抱いてくる。

「いい……。拙者のことは、気にしなくていい」

 拙者は〈極東〉の戦乱で多くの人を殺めた罪人。死んで当然の人間だ。

「気にするわよ……」

 クラソルは涙を拭うと、今度は朱鷺常の体を胸元から自身の真正面に向かい合うよう黒猫を抱き上げた。

「あなたはただの護衛役だと思っているかもしれない。でも、あたしにとってトキツネはもう大切な家族よ」

 家族。その言葉に、朱鷺常は驚きから息を詰まらせる。

「……出会って間もないのにか?」


「家族であるのに、過ごした時間は関係ないわよ。『大切だ』って思えたその瞬間があれば、家族であるには十分よ」


 クラソルはひたむきにこちらを見つめ、笑みを浮かべてみせる。

 嘘は無い。そう確信できるほど、月夜に浮かぶ彼女の瞳は、深く澄んだ青に満ちていた。

 朱鷺常の頬が、ほのかに火照る。

 嬉しさがこみあげ、胸の鼓動が高鳴る。

 救われた気分だった。

 師匠以外、"極東"のみなは誰も自分をまっすぐ見てくれなかった。

 人殺しの⬛︎。それだけ言って、石を投げられたり暴言を浴びせられてきた。

 罪人なのは理解している。

 自分が醜い存在で、生きてはならぬことも……。

 そんな自分を、クラソルは家族だと言ってくれた……。

 朱鷺常の目頭が自然と熱くなった。

「それに朱鷺常が死んじゃったら、使い魔契約の効果でわたしも死んじゃうのよ」

「うむ、それはすっかり失念していた……」

 そういえば黒猫にされた際、キロがさりげなくそんな事を言っていたか。

 月夜の下、朱鷺常は涙を堪え、クラソルの抱擁をひたすらに受ける。

 そして、心の中で天に祈った。

 いずれ、"極東"での所業は必ず罰を受ける。

 それでも、今だけは……。せめてこの仕事を果たすまでは。

 

 どうか、クラソルといることを許して欲しい。

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