第7話 黒猫の剣豪と、夜闇の汽車
【シュダール近郊 〈汽車〉操車場】
朝市での買い物を終えた、その日の夜。
「本当に、この鉄の
月明かりに輝く無数の
[シュダール]の人里から離れたここは『
針葉樹に囲まれた雪被りの広大な平地には無数の線路が
長大に連結された貨車や一両だけポツンと放置された車両など、その光景はさながら貨車の森だ。
そんな無数の貨車が散らばる操車場の少し先では、煙突を頭につけた黒い車両が待機していた
貨車とは異なる円筒状の形をしたそれは、月光の輝く夜空に黒煙をモクモクと上げている。
「鉄の道を走るから『鉄道』と言われているわ。そして、あの煙を発しているのが〈汽車〉。取り付けた車両を動かす大型の
「あの図体でも魔具の一種なのだな」
前方を見つめながらクラソルが答える。
背中には弓矢の括られた薄茶の《
鉄道、もとい〈
蜘蛛の巣のごとく張り巡らされた鉄道は、貨車や客車を繋げることで大量の人や物資を輸送し、そのうえ船や馬車より早く走るという。
足元の線路や石に
「誰かいる……。隠れるわよ、トキツネ」
操車場内に人の気配を感じ、クラソルと共に傍にあった貨車の物陰へ身を隠す。
まだ距離はあるが、ここからでも〈汽車〉の全体像が見える。
円筒状ともいる〈汽車〉の後方を見ると、その後ろに車両が五つ連結されていた。
「真ん中だけ、窓がない車両なのだな」
連結した車両のうち四つは横並びに窓を備えた客車だが、一つだけ窓のない貨車が連結している。
貨車はちょうど〈汽車〉から三両目。
全体的には前後二両ずつの客車で、貨車を挟みこんでいた。
「窓も見られないから、おそらく中央の貨車にアクロウが閉じ込められているんだと思う」
「囚人用の檻ということか……。しかし、アクロウ一人だけというに、随分警備は厳戒なのだな」
夜天の三日月が照らす操車場には、〈汽車〉の客車へ荷積みをする作業員と、〈汽車〉周辺を張り込む白いローブの魔術士たちがいた。
キロの言では、白ローブは【雪の公国】における魔術士の証。
国軍ともいえるそんな魔術士たちが、五・六十名ほど見えた。
「それだけ魔導国から警戒されているのよ、アクロウは。あの人は『
「そうなのか
アクロウの力量は定かでないが、隣国に
「今は魔導国の警備網が厳しい。発車するギリギリを狙ってあの〈汽車〉に乗り込むわよ」
「心得た」
しばし、クラソルと共に物陰から〈汽車〉の様子を伺うこと小一時間。
やがて「ピリリリリリッ」と広大な操車場に鐘の音が轟き、積荷の作業員や魔術士たちが慌ただしく動き始める。
荷運びの人々が列車を離れ、逆に、周囲で警備をしていた魔術士たちが一斉に客車へと乗り込んだ。
多くの人々で溢れ返った操車場は、いまやもぬけの殻。
すると先頭の〈汽車〉がポーッと大量の黒煙を夜空に吹きあげ、連結した車両ごと動き始めた。
「列車が発車したわ。今から乗り込むわよ!」
シュッシュポッポと走り出す〈汽車〉を、クラソルと共に背後から追いかける。
眼前には五両目の末尾には乗降用のデッキが映る。
車内へ通ずる引き戸の扉も見られるのであそこに乗れれば、〈汽車〉内の移動は困らないだろう。だが――。
「あの〈汽車〉とやら速いな……! このままでは追いつけぬぞ」
クラソルも朱鷺常も必死で走る。
が、〈汽車〉と距離がいっこうに縮まらず、むしろ少しずつ離れ始めてきた。
馬車よりも速いとは聞いていたものの、完全に相手の速度を見誤った形だ。
「任せて!」
隣のクラソルは走ったまま、
矢の後尾に結ばれた白く細い糸は、よく見ると、クラソルの手首にある
何をするのか?
疑問を抱く朱鷺常を横目に、クラソルは糸のついた矢を〈汽車〉へ放つ。
矢を弦にかけ、弓を構え、矢を射る。
目にも留まらぬ
「この糸を伝ってあの〈汽車〉に乗り込むわ」
「乗り込む? その細い糸でか?」
〈汽車〉とクラソルを繋ぐ糸はすぐに断ち切れそうなほど細く、とても人の体重を支えられそうには見えない。
「
「……分かった」
朱鷺常は言われるがまま走行中のクラソルへと飛びつき、彼女の腹部を覆うポンチョの白地にしがみついた。
するとクラソルは黒猫の腹部を左腕で抱えるように持つと、白糸のついた右腕を〈汽車〉の方へ伸ばす。
「いくわよ、歯を食いしばってね」
「一体何を、にゃっ――!?」
次の瞬間、凄まじいほどの重力が黒猫の全身に押し寄せる。
急速にどこかへ引っ張られているような感覚……。
いや、気のせいではな買った。クラソルもまた右腕の糸を手にしたまま、客車へ引き寄せられていた。
離れかけた列車に追いつくほど、目まぐるしい速度で。
はち切れんばかりの引力に猫の骨肉が悲鳴を上げる中、気づけば客車の乗降デッキに到達していた。
「い、今のは一体……?」
「驚かせてごめんね。今のは〈
「そう、なのか……」
高強度の糸を自分好みに伸び縮みできる魔具と言うことか。
そして先ほどは、矢に括り付けた〈
木の上など瞬時の移動には便利そうだが、伸縮の勢いが凄まじく、猫の体には負担が大きすぎる。
二度と体験したくない……。死にそうなくらい鼓動を乱しながら、朱鷺常は心の中で強く思った。
ともあれ、〈汽車〉に乗ることはできた。
ここは五両目の最後尾。
デッキの後方では、線路が次々に森の夜闇が漂う奥へと消えていき、進行方向の右では、月光を浴びた無数の樹木が目まぐるしい速度で横に移ろい続ける。
馬以上の速度ゆえ、吹き付ける夜風も一段と寒さを覚える。
「しかし、三両目までどう移動する? 見たところ客車内には敵が乗っているようだぞ」
乗降デッキには客車内へ通ずる引き戸の出入り口はある。
が、発車寸前の様子からして、客車内には白ローブを着た【
「ちょっと危険だけど、車両の上を伝っていきましょう」
「……そうなるか」
敵にバレないようにするなら確かに屋根の上だが、走行中の車両から振り落とされぬかという心配はあった。
「むっ」
黒猫になったからか、人の時より聴覚が敏感になったらしい。
客車内から足音がするのを朱鷺常は感じた。
足音は徐々に大きくなり、こちらに近づいてきている。
もしや強引に乗車した際、大きな音でも出て不審に思われたか。
(まずい、敵が扉を開ける……!)
クラソルは慌てて隠れようとするも、数人ほどしか乗れない屋外デッキに隠れられる場所などない。
「誰かいるのか!?」
ガラガラと、出入り口の引き戸が勢いよく開かれた。
車内から現れた白ローブの男は、【雪の魔導国】の魔術士。
険しい顔つきをした男と、朱鷺常は目があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます