第2章

第6話 黒猫の剣豪と、雪国の朝市

 山から徐々じょじょのぼる朝日が、寒空の[シュダール]に降り注ぐ。

 白い雪のおかげもあるのだろう。三角屋根をした煉瓦造れんがづくりの家々や石敷いしじきの街路、大通りに並走する運河が日の光を浴びてキラキと輝きに溢れていた。

 故郷"極東"では決して拝めない煉瓦造りの美しい街並みに、黒猫と化した朱鷺常は寒さも忘れ、絶えず猫の小首をキョロキョロと揺らし続けた。

「う〜ん、[シュダール]の朝市はやっぱり活気にあふれていいわねー」

 朝の日差しにふんわりと金髪を輝かせ、クラソルは眼前に広がる大通りの朝市に目を向ける。

 出会ったのは昨日の今日。

 昨夜はあまり感じなかったが、クラソルの背丈は五尺(*およそ百五十センチ)ほどと小柄だ。

 黄色い雉を模した〈電話鳥サンダーバード〉を右肩に乗せていると、なおそう見える。

 白のポンチョと紺色の襟巻き、薄茶の背嚢バックで小さな体躯たいくを包むと、どこの街でも見かける愛らしい女子。なのだが。

「弓矢なんて持つのだな?」

 背嚢バックくくられた矢筒やづつゆみ。そんな華奢な女子に似つかない装備に、朱鷺常はギョッと驚きを浮かべてしまう。

「常日頃から狩りをして食糧を調達していたからね。弓の腕はお手のものなのよ?」

「そう、なのだな……」

 確かに木弓は漆塗りで手入れがなされ、弓柄ゆみえに付着した黒いにぎこんが相応の年季を漂わせている。

 弓を長年使っているのは本当らしい。

 もっとも、ほんわかとしたクラソルが獲物を狩る光景もまた想像はできない。

「それにしても、早朝だというのに人が多いな」

 まだ夜も明けきらない早朝だが、路肩に沿って白い天幕てんまくのきを連ねる露店街ろてんがいは、行き交う老若男女で溢れかえる。

 白肌と金色の髪をした現地人のほか、褐色の肌をもつ異邦人、ローブを身につけた魔術士や、果ては人型ながらも猫の耳や犬の鼻を有した"獣人種ビースタン"など、人種や職種も様々だ。

「この[シュダール]は大陸でも有数の港町だからね。漁業も交易も盛んだから、新鮮な魚や大陸中から多くの品物が揃うんだよ」

 クラソルの右肩に乗った〈電話鳥〉からキロが声を発する。

「キロよ……。相変わらず姿を見せぬのな?」

「だって朱鷺常、僕と出会った瞬間にビンタとか喰らわせるつもりでしょ?」

「腹にこぶし一発だ」

「あははっ。余計に会いたくないよ」

 今しがた[シュダール]の宿屋を出立した際、〈電話鳥〉が悠々と現れて時は今後の計画について聞かされた。

 朝市へ来たのは、[始まりの山]へ向かうための準備だ。

 [シュダール]から目的地まで順調にいけば十日ほど。途中いくつもの街を経由するが、不測の事態に備え、必要なものはここで全て揃えるつもりだ。

 だが、伝えられた計画によれば、今すぐ[始まりの山]へ向かう訳でなかった。

「しかし目的地へ向かう前にとらわれた”ほむらたみ"を助け出すというのは、いささか危険すぎではないか?」

 市場に入る直前、朱鷺常は懸念けねんを伝える。

 "ほむらたみ"とは、【雪の魔導国スノーデン】内の森に住まう少数民族で、かつて魔竜まりゅうを封印した魔術士の子孫たちだという。


 そして七年前、"焔の民"は【雪の魔導国】に国家転覆の嫌疑をかけられた。


 魔導国の大地に流れる"竜脈"の魔力量が減少し、[始まりの山]における魔竜の封印が弱まっていたそうだ。

 事態を重く見た当時の"焔の民"はそれを伝えるも、【雪の魔導国】から『意図的に魔竜を目覚めさせ国家を陥れようとしている』と一方的に罪を被せられた。

 同時期に、【雪の魔導国】が隣国と戦争状態だったことも関係していたのだろう。

 以降、"焔の民"は魔導国内で罪人扱いとなり、多くの同胞が捕えられたり、【学院】と呼ばれる隣国りんごくへ亡命したという。

 いわば、この旅路における敵は【雪の魔導国スノーデン】だ。

 今すぐ捕えられても不思議でない状況で、仲間を助け出す猶予はないのではないか?

「危険なのは理解しているよ。でも、アクロウは"焔の民"の中でも一番魔術にも剣術にも長けた戦士だ。彼の存在は[始まりの山]までの旅路で大きな助けになる」


 "焔の民"であるアクロウは、、行方が分からなかったそうだ。

 

 身柄は一時[シュダール]近郊の監獄に収監されていたが、今夜王都に護送される予定だという。

 比較的警備が手薄な護送時を狙い彼を救出するのが、今回の計画だった。

「随分とアクロウとやらを気にかけているのだな」

「彼とは昔からの旧知だからね。それにクラソルにとっても家族みたいなものだから」

「そうなのか?」

 市場の入り口でクラソルは立ち止まり、悲痛な面持おももちをうつむかせる。

「アクロウとは家族ぐるみの付き合いだったから。七年前の戦争で行方知れずになっていたから死んだものだと思っていたわ」

 嬉しさ半分、不安半分。涙で溢れかけたクラソルの青い瞳がそれを物語る。

 義兄というくらいだから、アクロウをそれだけ家族同然と見ているのだろう。

 家族を失う苦しみ……。

 師匠という愛しき人を亡くした朱鷺常としても他人事とは思えず、放って置けなかった。

「わかった……。アクロウの救出に手を貸そう」

「ありがとね、トキツネ……」

 クラソルの顔に笑顔戻った。


 程なく二人は、朝市の只中へと踏み入れる。

 ちなみにキロの〈電話鳥〉は「周囲を警戒しているね」と口添えて、またも何処へ消え去った。

 人混みに溢れた市場の狭い通路には、多くの出店がひしめいている

 新鮮な野菜や魚介類だけでなく、魔術士向けの道具や工芸品こうげいひん、中には店主自らが料理をふるう露店など。

 店の多さに、朱鷺常は絶えず黒猫の小首を右往左往させ、あやうく通行人とぶつかりかけた。

 "極東きょくとう"にも朝市はあったが、人も品物もここまで豊富なのは見たことがない。

「それにしても、トキツネって元々人間なのよね? その姿で動きづらくないの? 人と猫じゃあ姿勢も動作も違うでしょ?」

 不思議そうに蒼い円瞳を大きくしながらクラソルが問う。

 確かにその疑問はもっともだろう。

 人は二足歩行だが、猫は四足歩行と根本的に違う。

「感覚的には人の動きを猫の体で再現している感じだな。『人間ならこう動くだろう』という拙者の想像に合わせて、猫の体が最適に動いてくれる」

「人間の時の自分に沿って、猫の体が動いてくれるってこと?」

「全てではないがそう言って差し支えない」

 実を言うと、朱鷺常は彼女よりも早起きし、宿付近の森で普段の動きや樹木を相手に刀を振るなどして動きを確かめていた。

 そして、猫の体でも人間の時と同じように刀を扱えるという結論に至った。

 例えば、縦に剣を振るうときは?

 黒猫の体だと刀柄を口にした状態で一度真上に跳躍ちょうやくしたのち、落下に合わせて猫の全身を前方へ宙返りさせ口に咥えた刀を縦に振り下ろす。

 いわば猫の全身で刀を振るう形だが、それでも思い通りの力加減と軌道で剣閃は打ち込めたのだ。

「そう、なのね……。ちなみ、昨日トキツネは剣を口で噛むようにしてるのも"想像"通り?」

「いや、この持ち方だけは変えられなかった……」

 ほかに剣の構え方はないかと模索もさくしたが、改善はかなわなかった。

 おそらく猫は四足歩行ゆえ、両手を自由に動かせない事が大きく影響しているのだろう。

 ちなみに、刀をしまいたい時は強く念じることで自然と口元から消えてくれる。

 消した〈叢雲〉が何処にあるのか定かではないが、朱鷺常はあまり深く考えないことにした。

「見ていて歯が痛くなるわね……、食欲も細くなっちゃうわ」

「むう……。見苦しいところを見せてすまぬ――」

「あっ、すみません! そこの焼き魚をひとつ下さい!」

「にゃ?」

 傍らの露店で焼かれていた川魚の串焼きをクラソルは笑顔で受け取り、ホクホクした身を早速ガブリと喰らいつく。

 食が細くなるとは一体?

「トキツネも食べる?」

「今は食べたい気分でないからいい」

「そう? 美味しいのに……」

 もぐもぐと咀嚼しながら、幼気なクラソルの顔が至福の色へ蕩けていく。

 なんとも、美味しそうに食べるものだ……。

 その後も活気に満ちた朝市の露店街を抜けつつ、さまざまに購入していく。

 干し肉や乾燥果実、種実といった保存食。外傷に用いられる止血草トラネソウ抗菌液ペニシエキの薬、さらには替えの衣服を何着か。

 クラソルは次から次へと出店に寄り、購入した品物を次から次に背嚢バックに詰めていった。

「それなりに買ったが、全然膨れぬのな?」

 ここまで沢山の物を購入したはずだが、一向に膨らまないクラソルの背嚢に朱鷺常は猫の双眸を大きくした。

「えへへっ、いいでしょ? "空気鞄エアーバック"っていってかばんに仕込まれた魔法陣のおかげで、入れた品物を一時的に小さくして収納してくれるし重量も軽くしてくれるのよ。もちろん、取り出した際は元の大きさに戻るわ」

 実演と言わんばかりに、クラソルは先ほど購入した笹の葉に包まれた握り飯を"空気鞄"から取り出してみせる。


 "魔具マギアテム"は、事前に組み込まれた魔法陣に魔力を注ぐことで人智を超えた力を発揮する道具だとキロが言っていたか。

 収納に困らない入れ物を見て、魔具の利便性を朱鷺常は改めて認識する。

「そういえばキロさんから聞いたんだけど、トキツネの故郷に魔術はなかったんだよね?」

「ああ」


 

 かつて来訪したキロ曰く、使

 魔術の使えぬ環境ゆえ、"極東"では魔術が発達せず、また精霊や獣人ビースタン、凶暴な魔獣がいなかったのではと推察していた。


「あんまり想像できないんだけど、魔法のない暮らしってどんな感じなの? すみません、そこの蒸し饅頭まんじゅうを三つ下さい」

 路肩の露店で買った湯気立つ白饅頭しろまんじゅうを、クラソルは早速ガブリと頬張る。

「火は火打石で木くずを燃やし、の中でまきにくべていたな。水は、井戸や川から必要な分を桶に汲んで家に運んでいたぞ」

「自給自足、ということね。なんだか想像がつかないわ。すみません、そこの焼き芋を二つ下さい」

「やはりこの大陸では違うのか?」

「一通りの家事は魔具で片付くわ。だから家事で苦労することはあまりないわね。すみません、そこの果実飴かじつあめを二つ下さい」

「国が違えば技術も文化も違うということか。ところでクラソルよ」

「なに?」

「食べ過ぎではないか?」

 果実の飴玉、紙に包まれた丸芋、ホカホカとした大きな饅頭……。

 クラソルの両手が、気づけば露店の食べ物で溢れかえっていた。

「大丈夫よ、トキツネ。いつでも動けるように、日頃食べる量は満腹の三分の一くらいに抑えているんだから」

「それで抑えているのか……?」

 両手いっぱいに食べ物を抱えてもなお胃袋の半分も膨れぬのか……?

「すみません、そのどりを一つ下さい!」

「まだ食うのだな……」

 よもや、クラソルの食べっぷりが大陸に住まう人間の標準なのだろうか……。

 美味しそうに揚げどりを頬ばるクラソルを、朱鷺常は猫の瞳を唖然あぜんとパチクリさせて続けた。

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