第8話 黒猫の剣豪と、客車の戦闘

「にゃ、にゃーご」 

「黒猫、だと?」

 客車の引き戸を開いた男が見たのは、デッキにたたずむ一匹の黒猫だった。

 数人ほどしか乗れない屋外デッキに黒猫以外の客はいない。奥へと通り過ぎる線路と三日月の灯る暗闇の森が見えるばかりだ。

 さきほど真後ろから大きな物音が聞こえた気がしたが、気のせいだったのか?

 疑念を抱いたまま、男はデッキの床にたつ黒猫を見る。

 猫の精霊獣せいれいじゅうかと思ったが、どうやら違うらしい。

 

 精霊の派生である精霊獣や獣人でここまで魔力がないなら、野良猫のらねこで決まりだ。

「おい、結局なんだったんだよ」

「見ろよ、黒猫が乗り込んでいただけだったぜ。ほら」

 客席に掛ける魔術士の仲間に男は告げた。

 硝子のシャンデリアと真紅しんくの床に彩られた客車内は、乗っているだけで高貴な気分を感じずにはいられない。

 赤い絨毯の敷かれた中央通路の両隣には四人がけの座席が隅々まで並び、仲間の魔術士連中が向かい合って談笑や酒に興じている。

 護送の任を受けてはいるが、「誰が襲撃してくるんだよ」と車内の魔術士全員が思っていることだ。

 ここに女がいれば王都までの暇つぶしに丁度良かっただろうが、あいにく男尊女卑だんそんじょひ蔓延はびこる【雪の魔導国】で女性の魔術士を見かけるのは稀だ。黒猫を抱えた男の属する護送部隊も例外ではない。

「なんだよ、驚かせやがって。にしても、どうして黒猫を抱えてんだ、お前は?」

 酒で顔を赤らめた仲間から問われると、男はニヒルな笑みを浮かべ、仲間へ見せつけるように両手で抱えた黒猫を前に出した。

「ただの黒猫なら実験動物にはもってこいだろ? ちょうど変化の魔術を調べるために素材も欲しかったからな」

 精霊を利用しての魔術実験は許可が必要なら、魔力の持たない野生動物を実験で使うのにきまりはない。


「命をもてあそぶというのか……」


 うん? ふいに聞こえた少年の声に、男は驚きを浮かべた。

 いま微かに、黒猫が声を発しなかったか?

 不審に思い、いま一度黒猫を自身の真正面に抱えてみる。

 目を合わせると、黒猫は一瞬こちらに視線を逸らし「にゃ、にゃ〜おん」と声をあげた。

 なんだか不自然に見える。が、やはり魔力は感じられないので、精霊の類ではなさそうだ。

 男が警戒を解こうとした、その時。

「ちょっと待て。微かにだが真上に魔力の気配を感じる。誰かいるぞ」

 仲間の一人が顔をしかめ、頭上を指差す。どうやら敵はこの客車の屋根にいるみたいだ。

「ということはこの黒猫は敵の持ち主……、うん?」

 抱えていた黒猫を見て、男は思わず目を疑った。

 黒猫の口元に、黒い光沢こうたくを放つ細長い棒があったのだ。

 一メートルほどの長さのそれは、よく見ると黒艶くろつやの入れ物に収められた剣で、猫は白糸で編まれた柄を口で咥えていた。

 おかしい……。最初から何も咥えていなかったはずだし、今に至るまで両手で離さず抱いていた。

 なのに、猫が剣を口に咥えている? どういうこと――?

「猫だましだ」

 そう耳にした瞬間、男は左の脇腹に激痛を覚え赤絨毯の床へ昏倒する。

 腹部に打ち込まれていたのは、黒い入れ物に収められたままの剣。

 倒れる直前、男の目はとらえていた。瞬時に自分の両手をふり解いた黒猫が空中で身を捻り、口元の剣を男の脇腹へ振りかざした瞬間を。

 化け猫にしてやられた。男の意識は深い闇に落ちた。





 これ以上は、屋根に避難したクラソルに危害が及びかねん。

 そう判断した朱鷺常は、自分を持ち上げた魔術士に対し鞘入さやいりの刀で一撃を加え、地面へ着地したのと同時に車内を駆け始める。

 両端に四人掛けの座席を並べた赤絨毯あかじゅうたんの通路を走ると、客車内で白ローブを着た男たちが驚愕のまま立ち尽くしている。

「おい、なんだ!」「黒猫がぼうくわえているぞ!」「捕えろ!」

 棒切れにも似た杖を慌てて構える魔術士たちだが、彼らのすきを朱鷺常は逃さない。

 【雪の魔導国】の魔術士たちは、詠唱した魔術を杖にこめることで威力を底上げしていると聞いたが、当たらなければどうと言うことはない。

 すぐさま敵の一人へ急接近した朱鷺常は、猫の体を真上に跳躍ちょうやくさせたまま小さな体躯を横へとねじり、鞘入りの刀を魔術士の胴へと振りかざした。

 黒猫が剣を扱う様は、さながら剣を取り付けて回転するコマのごとく。

 されど、鞘に収めた状態でも加減次第では岩をも砕ける。

 実際、朱鷺常の剣撃を受けた魔術士はその場であわき床の上で気絶してみせた。

(完全でないが、あらかたは人の時の動きを再現してくれるな)

 魔術士たちがたじろぐ中、朱鷺常は黒猫の小さな体を客席きゃくせきへ、網棚あみだなの上へ、ガラス造りのシャンデリアへ軽やかに飛び移り、白ローブの男たちを撹乱かくらんし続ける。

「くそっ、何者だあの黒猫は!?」「早すぎて狙いが定まらん!」

 朱鷺常を狙えぬまま魔杖を右往左往させる魔術士に、朱鷺常は鞘入さやいりの愛刀で次から次に一撃を加える。

 ある時は右から左の座席へ飛び移る際に、またある時は網棚から床へ降りる際に。

 命を取らぬよう力加減に注意しながら、一人、また一人と、魔術士を床へ転げさせた。

「調子に乗るなよ、黒猫風情ふぜいが! 《雷閃光ライトウィンダ》!」

 客車の通路を駆ける朱鷺常の眼前で、杖を構えた魔術士が真正面から雷撃を放つ。

 杖の先端から放たれた雷撃は、不規則な軌道を描ながら凄まじい速度で朱鷺常に迫る。が――。

「遅いな」

 雷撃の軌道きどうから猫の全身を横にずらし、難なく回避する。

 そして隙のできた魔術士の足元へすぐに近づき、朱鷺常は跳躍と同時に宙返りをして、鞘入りの剣を振り上げる。

 弧を描いて上に振られた鞘は、敵のあごに見事命中。急所をつかれた敵は声を上げれぬまま背中から昏倒した。

 一人、また一人。車内の魔術士たちに峰打ちを与え、気づけば車内で立つ者はいなくなった。

 魔術士たちが床にのさばる中、ガタンゴトンという走行音だけが虚しく車内に響きわたる。

「あらかた片付いたか。クラソル、入っても良いぞ」

「わかったわ。ふう寒かったわね」

 屋外に待機していたクラソルが中に入ろうとしたその時、反対側に位置する客車の扉がガラッと開かれた。

 隣の客車、〈汽車〉から四両目に乗っていた魔術士たちがこちらの騒ぎを聞きつけたのだろう。

 斥候と現れた二人の魔術士が魔杖を構えながら、こちらへ今にも魔術を放とうとしていた。

 ここは敵地。増援が来るのは当然だった……!

 慌てて敵の元へ行こうと通路を駆ける朱鷺常。

 だが、間に合わぬ……。いま魔術が放たれれば、真後ろのクラソルに影響が及ぶ……。

 朱鷺常は負傷覚悟で敵の魔術を受けようとした、その時。

「ぐわっ!」

 走りゆく朱鷺常の眼前で、魔術士の杖が勢いよく空中に弾け飛ぶ。

 杖を弾かれた衝撃で手を痛めたか、魔杖を失った魔術士は苦悶の表情で手甲を押さえている。

 朱鷺常は見逃さなかった。

 弾かれた魔杖と共に宙を舞う、一本の矢を。

 足を動かしたまま後ろを振り向けば、弓弦を構えたクラソルの姿があった。

「わたしは守られるだけのか弱い女じゃないわよ! こうして戦えるんだから」

 毅然と告げるクラソルに、一瞬目を奪われかける朱鷺常。

 ああ、そうだったな……。この女子は確かな使命をもって仲間を助けようとしているのだ。

「助かった、クラソル」

 クラソルを見くびって自分を恥じながら、朱鷺常は魔術士たちへと一気に駆け寄る。

 隙は逃さない。即座に敵との距離を縮めると、二人の魔術士の腹部へ飛び掛かり、鞘入りの〈叢雲〉をそれぞれの魔術士の鳩尾へ命中させ、客車の床に倒れさせた。

「拙者はこのまま隣の車両へ駆け込み攻撃を仕掛ける」

 このまま待っても敵がくる。なら、こちらから攻勢に出た方が敵を攪乱させられるだろう。先手必勝だ。

「ならわたしも行く。弓で敵の杖を弾くぐらいならできるわ」

 クラソルには安全な場所にいてほしかったが、覚悟を決めて弓矢を握る彼女にそう告げるのは失礼か。

「わかった。だが、危険と判断したすぐに隠れてくれ」

 四両目につながる引き戸は、先ほどの魔術士のおかげで開かれたままだ。

 朱鷺常は刀を口にし、四両目の客車へ全速力で駆け込んだ。

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