15話 ヤンキーは正義に生きる

 ヒバリさんに恋してしまった。いや……我ながらチョロいというか、恋なんてしている場合じゃないというか。それなのに、心はどうしてこうも言うことを聞いてくれないのか。


 会えないかな……を繰り返して休日が終わり、晴れて俺も一週間ぶりの登校。授業に追いつくのがしんどくなりそうだ。なんて思っていたら授業が終わった。ずっと意識が空の上だったからだろうか。


 久しぶりの部活に内心ワクワクしながら、けれど咲希さんと優先輩の関係に怯えながらドアを開けた。


「やっと来やがった。いつまで待たせんだよ」


「いやいや、どうしているんですか……」


 莉里先輩からラブホで来てないって言われたんだけど。空気は混沌、まさにカオス。正面の会議机を陣取る優先輩。いつもの俺のグループは端のほうで縮こまり、すみれ先輩姉妹や葵先輩は机でバリケードを作っている。


「まだ間に合うか。いくぞ」


「今来たばっかりなんですが!?」


 連れられるは咲希さんのクラス。やばい。部室以上に修羅場になりそうで怖い。優先輩はなんの躊躇もなく彼女の教室を開ける。


「咲希って奴いるかぁー?」


「ちょっと! 殴り込みする気ですか!?」


「お前は黙ってろ」


「じゃあなんで連れてきたのっ!?」


 教室に入り、社会の常識から飛び出した優先輩は、その野生的な瞳で獲物を探す。俺が目に入ったのは咲希さんのカバン。可愛い三毛猫のキーホルダーがついている。けれど、彼女本人はいないみたい。なんとか最悪の事態は免れただろうか。


「咲希なら売店行ってるよー」


 そう言ったのは、肌のこんがりと焼けた図体のでかい女の子。俺の情報アドバンテージがなくなった。許すまじ。


「そうか……じゃあ、このクラスで咲希のこといじめてるって奴はどいつだ?」


 優先輩の質問でクラスの中の視点がパックリ2つに別れる。先ほど、咲希さんの質問に答えていたグループと俺は優先輩に。まだ教室に残っていた数人の同級生はいじめっ子の犯人に。


 視線が絡まる中、虎のごとくスピードで優先輩はいじめっ子に噛み付く。走り出した彼女はスカートを靡かせ、巨躯な少女の顔面を力一杯殴り上げた。


「先輩っ!? 何やってるんですか!!」


「うっせぇ、黙ってろ!」


 「んじゃ、どうして連れてきたんだよ!」とはもちろん声に出さずに、この場の行く末を見守る。哀愁の獅子に恐れたいじめグループの数人はその場で顔を覗きあっている。


 が、ムクリと立ち上がり熊のように威嚇する首謀者。焼けた肌は運動した証と主張している。


「痛いな。久しぶりだよ、こんなパンチもらったのは」


「咲希に謝れ。じゃねぇと殺す」


「殺せるもんなら殺してみろよ。お前とは一回喧嘩して見たかったんでなぁ」


 刹那、空気が凍って一瞬走り出すのが遅くなる。やめさせないと。これはいけんヤツだ。


 小さく屈んで懐に潜り込んだ優先輩は、相手にボディーブローを。それをいなしてさっきのお返しと言わんばかりに彼女は虎の顔面を殴りつける。


 よろめいた虎の子への追い討ちを俺は抱きつくことで必死に止めた。初めて抱きつく同級生が熊ってどうなってんだ。


「何すんだよ猿っ!」


「喧嘩なら口でやれよ。先に拳ってお前らどこの漫画っ––––」


 言い切る前に体は宙に浮く。俺の秘められた力が覚醒し、ついに空を飛ぶ能力を得た……わけじゃなく、ただ投げられた。巨体と筋肉に満足することのない背負い投げの技術。


 俺は二転、三転と転がりながら、アイツは体術の経験者だ、なんて考えていた。この推測は一転すらしないほどに確か。


 良く言えば背中で衝撃を吸収、悪く言えば背骨を犠牲にして着地する。なんとか体を起こすけど、もう喧嘩を止めれる力も、着地を誤魔化せる背骨も残っていない。今投げられたら心臓にダイレクトアタック。俺は死ぬ。


 完全に戦況は俺を投げ飛ばした女の方に傾いている。優先輩は応戦するも反撃の手は出せない。一方的すぎる。見てられない。


「もういいだろ! やめろって!」


「先に喧嘩ふっかけてきたのはそっちだろーが。負けそうになったからやめようってのはさ、流石に通らねぇよなぁ!」


 完全にハイになってる。無理だ。優先輩が勝てる相手じゃない。かといって俺が止められる相手でもない。


 でも……でもさ、決めただろ。人の助けになれるように生きるんだ。ここで突っ立ってるだけとか前途多難もいいとこ。


 覚悟し、一歩踏み出したところで、希望は潰える。


「私の勝ちだ。ヤンキーも大したことねぇな」


「どう考えても……やりすぎだろ……」


 蹂躙だ。弱いものいじめだ。原因は優先輩だけど、それでも限度を分かっていない。なんて、父親を殴った俺が言えた話じゃないけれど。


 もう立ち上がることすらしない優先輩の顔には真っ赤な鼻血と微かに涙が流れている。唇には血が滲んでいて、口はポカンと開いたまま。


 無意識に駆け寄って、顔を覗き込む。彼女は合わない焦点で俺を見ると、震えた手で制服の袖を掴んできた。


 優先輩らしからぬ行為。けれど、今の俺はそう思えなかった。元々、関係が深いわけじゃない。背伸びした女の子が怯えているようにしか見えなかった。


 これは、これはやりすぎだ。彼女の手を袖から離して立ち上がる。第二ラウンド開始といこうじゃないか。勝てるわけない。投げられて分かった。だから、一発殴ったら勝ち。そう言う勝負。


「やめるんじゃねぇーの? いいけど。相手してやんよ、こちとら不完全燃焼なんだわ」


 俺が睨みつけた瞬間。


「話が違うじゃないですか!」


 教室に咲希さんの声が響き渡る。その怒気は凄まじくて、俺も熊も一瞬よろめくほど。


「私が言うこと聞いてる間は他の子に手を出さないって、そういう約束だったじゃないですか!」


 一歩二歩といじめっ子に近づいていって、ジリジリと気迫で詰め寄る。


「お前は関係ねぇよ。私とアイツの喧嘩だ……」


「嘘つかないでください。優先輩と奏くん。どう考えたって私繋がりでしょ」


 いつになくハキハキと話す彼女。俺は怒りを深くに沈める。


「なに? 初めはヤリ部に入れって言ったら泣いて嫌がったくせに、味方してくれたら手のひら返し? キショいんだけど」


 は? 今、なんて言って……。沈めたはずの怒り。沸々と湧き上がってくる。初めて優先輩と会った日、つばき先輩に入部した理由を訊かれて、答えるのを嫌がっていた。そうか、そういうことか。


 飲み込んだはずの怒りを吐き出す。イカリを上げたら船が進んでいくように、自然に。


「お前が咲希さんのこと貶してんじゃねぇ! いじめてる奴が、いじめるようなクズが咲希さんに吐いていい言葉じゃねぇんだよ!」


 彼女は……彼女は優しい子なんだ。俺が1番知っている。肩を貸してくれて、背中を撫でてくれて、声をかけてくれる優しい女の子なんだ。キショいなんて、言われるような子じゃないんだよ。


「お前は知らねぇだろうけど、咲希さんは人のために動ける人なんだよ。隣で力を貸してくれる人なんだ。咲希さんに謝れ」


「いや、わけわかんねーんだけど。なんで先に殴られた私が謝んなきゃいけないわけ? 被害者なんだけど」


「自業自得だろ。いじめてる時点で加害者なんだよ」


「……知らねーよ、クソが」


 結局、いじめっ子グループは謝りもせず帰っていった。胸の奥にはずっとモヤモヤが。いや、そんな生半可なものじゃなくて、こうグチャッとした油汚れみたいなのがこびりついてる。


 ふと、優先輩を思い出して振り返る。彼女は教室から出て行くところだった。


「先輩! 大丈夫なんですか?」


「大した怪我じゃねーよ…………って言ったらさ」


 フラッとよろめいて、俺の方に体を預けてくる。


「信じてくれるか?」


 手はまだ震えていて、彼女が頭を寄せると血の匂いが鼻を刺す。あぁ、もう。本当にずるい。女ってこんなのでも可愛いのかよ。


「信じますよ」


「……っ、楽勝だった、余裕だった、全然怖くなんかなかったっ。互角だったし、手加減したんだ……。嘘じゃないっ、負けてないっ……」


 歯を食いしばって泣いた。後から追いかけてきた怖さと、追い抜いていった痛さ。殴られてる間は必死で、恐ろしいなんて言葉すら生ぬるいと思う。


「カッコよかったです」


 あー、頭撫でてやりたいな、なんて。そんなことしたら元気になってから殴られるかも。いや、彼女が少しでも楽になるのなら。


 指先に触れた金髪は、ほんの少し硬い気がした。

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