13話 ラブホって間接照明多いよね
「我慢しなくてええんよぉ……だってぇ、2人きりやろぉ?」
雨音をかき消すように、莉里先輩の吐息が耳を掠める。ラブホで2人。質の悪いベッドに倒される。俺はもう……止めを待つ子猫のよう……。
「雨宿りでしょ……やめてくださいよ。そういうの……」
「そんな嫌がらんでぇな。ほんま、可愛い子やわぁ」
彼女はそう言って制服のボタンに手をかける。
「ちょっと! どうして脱いでるんですか!」
「めっちゃ濡れてるんやもん。見てもええよ。奏くんにはサービスや」
大人らしい紫の下着が顕になる。待て、違う。そんな不健全なことしにきたんじゃない。いや、なんの下心もないってのは嘘だけど、心の準備が……。
母のお見舞いの帰り道、土砂降りの通り雨に見舞われ立ち尽くしていると、莉里先輩にあれよあれよと連れてこられてしまった。
視線を先輩から外すためにも、隣にあったよくわからない機械のボタンを押してみる。すると、ピンクの壺はヴーっと鳴き出した。
「それアロマやから、お金払って匂いの素入れなあかんよ? 何か入れてみる?」
「いいです、いいです!」
知らない世界すぎる。英語で喋った方がいいのだろうか、と錯覚するほどのアウェイ感。
「お母さん大丈夫やった?」
学校のジャージに袖を通した莉里先輩。制服以外の姿を初めて見るのでどこか新鮮。彼女は俺の隣に腰掛ける。
「最近はもう寝てることの方が多くて……正直、ちょっと怖いです。本当に死んじゃったらって……まだ納得なんか全然できてなくて、弱音……吐かせてください」
「好きなだけ聞いたるよ」
そっと、彼女の細い指が背中を撫でる。でも、手が震えているのは母を失うかもしれない恐怖から。
普通の優しい先輩って感じがして、胸の奥のざわめきが少し落ち着く。
「部活にも顔出せてないせいで、アイラとかにも心配かけてますし、優先輩がどうなったかも……」
学校に来ているのは一時期、クラスで話題になっていたのだけれど、部活には行ってないみたい。母の体調が急激に悪くなり始めたこともあって何も手についていない状態。
「そうやねぇ……咲希ちゃんも部活こうへんし、なんかあったんやろか」
咲希さん……。優先輩を引っ叩いて出て行ったあの日から、彼女は顔を見せない。誰も同じクラスの人がいないので、様子を見ることすら叶わない状況。
なんかもう……全部が全部、しんどくなってくる。
「咲希さん……何考えてるんでしょう」
仲直りできたはずなのに、結局から回ってこんがらがって絡まって。まとまらないため息を吐き出した。
「せっかく2人きりやのに、そんな暗い顔せんといてぇな。ウチ悲しいわぁ」
立ち上がったかと思うと、彼女は俺の頬を撫でる。その仕草がやけに手慣れていて、なんの違和感も感じとれなかった。人肌の温もりが、久方ぶりに蘇る。
「奏くん、今は私だけ見てよ」
ほんのり、雨の匂いに混ざって花が嗅覚を掠める。莉里先輩の一言で、不安とか、悩みとかが一瞬どこかに吹き飛んだ。
「大丈夫、ウチがいいこと教えたる。全てのことに理由があると思ったらアカンよ。咲希ちゃんかって、ただ優ちゃんにビビってるだけかも知れへんやろ? 全部1人で抱え込むなんてやめ」
彼女の顔が近づいてきて、鼻と鼻が触れそうになる。いつもの絡まってくるような生暖かい声。何も言えずにいる俺の頬を両手で触った。
「……だから、これにも意味なんてないんよ」
雨で前髪の張り付いたおでこに、優しく口付けを。無理矢理、強引に、優しく。俺はまだ、声も出せない。
我らの花魁と言われた彼女は、躊躇なく俺にキスをした。わからないことが増えたようで、でも答えは教えてくれていたみたい。
惚れた腫れたの話じゃなくて、ただ、彼女のキスは落ち着いた。キスって、キスってこんなにも安心できるものなんだろうか。こう、もっと、想いが昂るようなものじゃなかったのか。
「あーあ、時間切れや。もう雨、止んでもうた。早出よか」
少し残念そうな顔をしたのは、おそらく俺も同じ。魔法のようなそのキス。手の震えは治っている。
雨上がりの明るすぎる空の下、彼女は何も言わずに去っていく。全てのことに理由があるわけじゃない。繰り返すように、胸の中でつぶやいた。
おでこにキスマを付けられていたことに気付いたのは、家に着いてからすぐ。
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