12話 獅子をも助けるヒーローに
俺は下を向きながら部室に入る。ヒバリさんに助けてもらったとはいえ、俺の心は依然として暗いまま。そも、咲希さんを突き放した俺に合わせる顔がなかった。
「ハロー……ってどうしたの? 元気ないヨ?」
「ちょっといろいろあって。アイラは相変わらず元気だね……」
両手を上げながら莉里先輩の太ももに鎮座する彼女。女性同士のスキンシップが激しいのは万国共通か。
一瞬、咲希さんと目があって、すぐにそらされる。お礼を言える空気じゃない。罵詈雑言に近い言葉を浴びせたのだから仕方がない。けれど、やはり心は少し沈む。
「昨日は部活休んでたけど大丈夫だった?」
「はい……ええ、ちょっと用事があっただけです」
仮面をつけた麻耶先輩が顔を覗かせる。もちろん画面の奥は見えないが。こんなにも俺を心配してくれる人がいるんだと思うと僅かに心が楽になる。
やっぱり、俺はこの部活に入ってよかった。この場が俺の支えになってくれていると、本当にそう思う。
だから……俺はこの部活にいちゃいけない。ヒバリさんにも言われた。親を見送れと。その通りだと思う。残された時間をお母さんのために使うべきだ。
まずはみんなに話そう。情けないけれど、今の俺が1人で立つのは辛いから。
「結衣先輩、ちょっといいですか? 俺の母親が癌でもう長くなくて……。だから、部活に顔出せる頻度が下がると思うんです」
「そうか、大変だな……。無理に来なくてもいいんだぞ?」
いつものような凛とした表情で、でも仄かに同情の視線を匂わせて、結衣先輩はそう言ってくれる。
俺の言葉を聞いてか、部室の中の声が無くなって、申し訳なくなる。重い話だし、仕方がない。でも……俺が伝えたいのはこんなことじゃない。耳を赤くして口を開く。
「それでも……俺を待っていてくれませんか?」
きっかり2秒。俺の言葉の後に莉里先輩が近づいてくる。
「そうやねぇ、ウチはいつでも大歓迎よぉ」
「私は知らないわよ。アンタなんかいてもいなくても変わんないし」
「はいはい、茜ちゃんはすぐそういうこと言う」
続けて鋭い言葉を飛ばすツンデレ配信者と宥めるつばき先輩。人が多くて、賑やかで、心が自然と温まる。
「ま、満場一致で待ってやるってことだ。好きにしろ」
パタンッと本を閉じる音が響き渡る。
「それで、どうする? 今日はもう帰るのか?」
「いえ、今日って火曜日ですよね? 優先輩のところに行きたいです」
母に「俺は人のために生きることができる人間だ」と言われた。あの人もきっと、俺と同じように何かに悩んでいるんだと思う。
助けてやりたいっていうのは違うかもしれない。ただ、俺はこの部活に助けられた。だから、彼女にもこの場所の温もりを知ってほしい。支えになると思うから。
「いいよ。どうせ毎週なすりつけ合う役だ。好きにっ––––」
「私も行かせてくださいっ!」
結衣先輩の言葉を遮ったのは、まさかの咲希さん。何をしたいかは分からないけれど、助けてくれた彼女を突き放した俺が断れるはずもなく、目を合わせてから頷く。
そうして、俺たち2人は凶暴な虎の檻に向かった。
「あの…………大丈夫でした?」
「うん、ありがとう。多分なんとかなったと思う。その……叫んじゃったりしてごめんね」
「ううん、きっと仕方がないことだと思うから。気にしないでください」
言葉数少ないまま気づけば仲直り。彼女の優しさに甘えているだけかもしれないけれど。
優先輩の家に着くとインターホンを押す。今回は咲希さんと2人だけ。間を取り持ってくれる先輩はいないんだ。気をつけないと。
なんて気を引き締めたが、家から出てきたのは哀愁の獅子とは似ても似つかない、おっとりとした女性だった。
「あら、毎週来てくれてありがとうね。もうすぐ優も帰ってくると思うわ。上がって、上がって」
「いや、あのっ……話したいことがあっただけというか……」
ついうねうねしながら答えてしまう。母親だろう立ち振る舞い、少し胸の奥がチクリとする。
「そう? 無理強いはしないけど、そこで待っておくの疲れないかしら?」
「はい、大丈夫です。あの、一つ質問いいですか?」
「私に? どうしたの?」
「どうして、子供に学校行くことを強制しないんですか? グレるのも、普通の親なら怒ると思うんですけど……」
率直な疑問ってわけじゃないと思う。親がいることに対する嫉妬とか、親の役目を果たさない相手への侮蔑とか。自分の汚い心が垣間見えて、またいっそう傷が深くなる。
「そうね……私はあの子を縛りたくないの。学校が嫌なら行かなくてもいいと思うし、髪を染めたいならそれでいいと思う。親が思う子供の型にはめてたら、自由を奪ってしまうから」
彼女が考える母親の在り方、その一部始終を聞いて自分の愚かさを呪う。悩んで、悩んだ末に見守ることを決めたんだ。どうしてそれに親としての役目を果たさないだなんて思ったのか。
納得する俺に待ったをかけたのは咲希さん。
「…………それって、選択を彼女に押し付けてるだけなんじゃ……優先輩、もう後戻り出来ないところまで行ってると思います……」
申し訳なさそうに、ただ確かな意思を持って意見をぶつける。
「優先輩だって学校に行きたいんだと思います……。でも、不登校やめるって、すごく勇気のいることだから…………それを彼女の自由って見守るのは……無責任なんじゃないですか?」
彼女の言葉に背筋が凍る。俺も同じようなことを思っていたのに、咲希さんの言葉の方が変に刺さる。すると母親は、ふふっと自嘲気味に笑う。
「無責任……なのかもね。でも、本当に行きたいのなら、優は自分で行ける子だから。それに、あなたたちが毎週来てくれてる。きっと、優もありがたいって思ってる。もちろん私も。だから、感謝してるわ」
瞳の奥に彼女の感謝が見てとれる。そして、少し寂しそうな目が小さく揺れた。
「あの、やっぱり上がっていいですか。俺、優先輩としっかり話したいです」
前回のように間を取り持ってくれる人はいない。俺を、虎を宥めてくれる人はいない。俺が大人にならなくちゃいけないんだ。
母のお願いも、ヒバリさんの課した目標も、両方がここに繋がっている気がした。
家に上がって、本人不在のまま部屋に押し込まれる。整えられた部屋に、開かれたままのノート。ドアにかかったハンガーには制服。本当にただの女の子の部屋。
「キョロキョロしすぎですよ。変なことしにきたわけじゃないのに……」
「いやっ……これは敵情視察的な」
「適当言わないでください」
笑い合っていると、ドタドタと足音が聞こえ、部屋の檻が開けられた。
「お前らっ! なにしに来た。帰れ、出ろ。くたばれ」
肩で息をしながら刺すような視線で俺たちを睨みつける。牙か、はたまた爪か。その鋭い威圧に出す声が怯む。
「優先輩、話をしましょう」
「あぁ? この前、喧嘩売ってきた奴と何を話せっていうんだよボケが。早くこの部屋から出ろ」
「先輩は学校に行きたいんでしょ? そんなんじゃ、ずっとこのままですよ」
しっかり勉強していて、制服も整えられていて、玄関にはローファーだって揃えられていた。俺にはわかる。彼女は学校に行きたいんだ。
つい高圧的になってしまったけど、早いうちから下手に出るのは得策とは言えない。だから、これでいい。
「適当ぬかすなよ。人様の部屋に上がっておいて、これ以上戯言ばっかってんなら黙ってねーぞ」
今も別に黙ってねーけどな。と、今まで黙っていた咲希さんが口を開く。
「…………どうして、どうしてそう強く見せるんですか? 親に……周りに迷惑だって思わないんですか?」
「じゃあお前は私に迷惑だと思わないのか? わかんねぇなら言ってやる。迷惑だ。出ていってくれ」
「……だから、どうして威嚇するんですか? そんなに私たちが害ある人間に見えますか? …………正直、私はわからないです。貴方なんてどうでもいい。でも……奏くんが話したいっていうから。話ぐらい、聞いてあげてください」
虎と相対する咲希さんは間違いなく凛としていて、俺の意見を尊重してくれているのも心がジンッとする。
「ダルい、ダルい、ダルい。聞いたら出ていってくれるんだな。鬱陶しい」
金髪で傷んだ髪をガシガシと掻きながら腰を下ろす。話は聞いてやる、と威圧しながら俺に言葉を促してくる。
「どうして不登校になったんですか?」
「別に理由なんかねーよ。ダルだけ」
「本当ですか? 学校に行きたいんじゃないんですか?」
「……あのさ、希望的観測で話を進めるのやめてくれないかな?」
傷んだ金髪にもう一度ガシガシと爪を立てる。確かに都合のいい妄想かもしれない。でも、もしその妄想通りなら、力になれると思うから。
「私……も、昔不登校だったんです。小学校3年から6年まで、ずっと。どんどん行きにくくなって……1日がすごい短くて……みんながすごい輝いてて……」
「誰もお前の自分語り興味ねーよ」
殴りかかりそうになって、寸前で止まる。何しにきたのか、思い出さなきゃ。不安になって咲希さんを見るけど、いまだに彼女を見つめていた。
「先輩の気持ちが分かる……なんて軽々しく言えないです。……でも、貴方が過去の私に見えてしまうから。奏くん……ごめん、ちょっと2人で話してもいいですか?」
「いい……けど、大丈夫?」
この虎は咲希さんにも平気で噛み付くだろう。俺が檻に連れてきたんだ。やはり、申し訳なさが勝つ。
「いいんです。それに……奏くんにもあまり知られたくない話なので」
「わかったよ。でも、何かあったらすぐ呼んでね」
格好悪く部屋を出る。結局、何もできずじまい。どうするのが正解だったのか。壁に張り付いても、声が小さくて中は聞こえない。知らない家の知らない廊下で、一つ息を吐く。春なのに、やけ寒い。
俺に知られたくなくて、でも優先輩には知ってほしいこと。根暗気味の咲希さんがヤンキーに伝えたいと。何一つとして想像できない。
推論も考察も進まぬまま数分、「バチンッ!」って音と「ガシャんっ」って音に心臓に響いた。
「大丈夫っ!?」
急いで扉を開けた。優先輩が咲希さんを引っ叩いたんだと、そう思った。けれど……。
「違っ…………ごめんなさいっ!」
目尻に涙を浮かべた咲希さんは部屋を出ていく。ただ、頬を赤く染めて壁に寄りかかる獣は、鋭い瞳で俺を見つめる。咲希さんはもう見えない。
「おい、奏……とか言ったな。いいよ、学校行ってやる。ちょうど行く理由ができたところだ」
「待っ……てください。何があったんですか」
「それを知られたくないからアイツはお前を部屋の外に出したんだろ」
「でも、咲希さん泣いてた。何があったんですか」
繰り返すたび、無意識のうちに語尾が強くなる。睨みつける目は彼女と同じ。
「咲希さんを傷つけるなら、来なくていいですよ」
「ははっ、お前酷いこと言うな」
立ち上がりながら、初めて彼女が笑顔を見せる。長いまつ毛が光って、つい、可愛いな、なんて思ってしまう。
「安心しろ、アイツは気に入った。おもしれぇ……ついでにお前もだ」
何が吹っ切れたのか、歯を見せて笑う。何もできないまま、虎事件は幕を閉じる。ただ、本当の事件はまだこれから。
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