10話 不思議ちゃんJDに恋をする

 咲希さんとデートをした翌日の日曜日、俺はお母さんの病院に来ていた。父の件は置いとくにしても、言いたいことがいくつもあったから。


「お母さん……お父さんからいろいろ聞いたんだ……お母さんの癌って……俺のせいなんだよね」


「何言ってるのよ。癌に誰のせいとかないでしょ」


「違うっ! 俺が腹の中にいたから発見出来なかったんでしょ? じゃあ……俺のせいじゃんか!」


 昨日からずっと、引きちぎれそうな意識をなんとか繋ぎ止めていた。


 物心ついた時から母さんは入院と退院の繰り返し。それでも、行事にはできる限り顔を出してくれたし、不自由だなんて思ったこともなかった。


 だから大丈夫なんだって……そう思ってた。長くないって、なんとなく分かってて、知らないふりをしてた。見ないふりをしていた。


 その結果、もう何も戻らない。


「奏、私はね、他のどんなお母さんより幸せだって思ってる。奏がいてくれて、奏が生まれてくれて、奏が成長してくれて。死にたくはないけど、死んでもいいかなって感じなの。今、とっても幸せだから」


「違う……違うよ。そんな言葉が聞きたいんじゃない……。まだ、まだ、俺……何も…………償えてすらない……」


 死んでほしくない。まだ隣にいてほしい。1分1秒でも、なんて使い古された言葉をくたびれるまで使いたい。


 もう顔も見たくないってぐらい見ていたい。どうしたって忘れられないぐらい、目に焼き付けていたい。


「ううん、私は奏からいっぱいもらったよ。幸せも、幸福も、感動も。だから、奏が気に病むことはないの。生まれて来てくれた子が奏でよかった」


 やつれ顔でも、めいいっぱい笑ってみせる母の笑顔が、嘘じゃないんだと俺に伝える。


「ごめん……ごめん、お母さん……っ、本当にごめん……っ」


 手の震えが怖くなって、母に抱きつく。背中に腕を回されるのはいつぶりだろうか。暖かい胸に涙を押し付け、何度も何度も謝る。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 まだ手は小刻みに震えてる。焼き付けようとした目頭が熱くなる。


「お母さんは……もう、助からないの?」


 萎れた声が母にかかる。


「ごめんね」


 一言謝る彼女に、俺はなんて声をかければいいんだ。


 日に日に痩せて行く母の体。声もか細くて、髪の毛もスカスカ。それでも、目に映る彼女はまだ生きている。それじゃ、ダメなのかな。


「俺、これからどうしたらいい? まだ、1人じゃ生きられない……。だから、死んじゃやだよ」


「大丈夫、奏は強い子だから。それに、お母さんだってまだまだ死ぬ気は無いからね。きっとなんとかなるよ。だって、奏は人のために生きられる子だから」


 また、瞳に薄い雫が浮かぶ。赤子のように泣きじゃくったせいで、目尻は赤くて、視界はぼやけてる。


 泣き言は止そう。俺は精一杯の笑顔を貼り付ける。母のありがたさと偉大さに改めて気付かされた。


 ベッドの端に座って、少し雑談をした。新しい高校生活はどうだとか、部活はどうだとか。普通の親子がするような、たわいのない会話。それが、心地よかった。


「ちょっと疲れちゃった。横になってもいい?」


「うん、無理しないでね」


 母はベッドに体を預けると、すぐに寝てしまった。けれど、その息は少し浅くて、時折、苦しそうに咳ごむ。手を握るってやると、信じられないぐらい細くて、でも、癌の症状か、関節だけやけに赤くて太かった。


 見てられなくなり、持ってきた果物をカットして病院を後にした。


 不安や恐怖。そんなものがずっと身近にある。お母さんが死ぬなんて、もっともっと先のことだと思っていた。


 1人の孤独。怖くて、寂しくて、悲しくて、冷たい。自分だけの家が嫌で、ヤリ部に入った。時間が潰せるなら、どこでも良かった。

けど、今は無性にあの場所が恋しい。俺、結構あの場所気に入ってたんだな。


 家に帰りながら、朧げな意識で足を動かす。帰宅すればまた1人。お父さんの件についちゃ解決してないし、明日は学校だし。嫌なことばかりが重なって、気づけば前が見えなくなっていた。


「危ないっ––––––––!」


 響く女性の声、掴まれる腕、引き寄せられる体、耳に轟くクラクション、覚醒する意識。


 目の前スレスレを通り過ぎたワゴン車は止まることなく進んでいく。地面にへばりついた体は全身を使って息をしていた。


「大丈夫?」


 助けてくれたであろう女性が俺の顔を覗き込む。整った鼻筋に可愛らしい頬、肩にかかるぐらいの少し明るい髪。おそらく、俺の知っている女性の中でも体一つ飛び抜けるほどの美人。


 車に轢かれそうになって気が動転していたのか、はたまた彼女に惹かれそうになって気が動転したのか、瞬時に声は出なかった。


「そうっ……じゃなくてっ! んんっ、危ないじゃないか。何か悩み事でもあるのか?」


 わざとらしく咳き込むと、男性のような低い声で俺を咎める。やっと落ち着いた体で立ち上がった。


「ええ、まぁ。でも大丈夫です。ありがとうございました」


 気をつけないと、本当に大事件になるところだった。彼女には感謝してもしきれない。俺は頭を下げて身を翻す。


「待て……。何があったか知りたいんだ。助けた恩返しだと思って聞かせてくれないか?」


 彼女に話せば、少しは楽になるのだろうか。未来は変わるのだろうか。お母さんに恩返しできるのだろうか。まだ、何も分かっちゃいない。


 俺はまだ、人生という名の未知の上。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る