9話 デートはほぼセッ◯ス

 久方ぶりにワックスで髪の毛を整え、貯金箱をひっくり返し、ハンカチやティッシュを用意する。


 顔を洗って鏡の前で3回キメ顔。今日の俺はいつもの俺と違う。なんてったってデートがある。因みに鏡の前でのキメ顔はいつもと同じ。


 父は仕事で母は病院。事実上の一人暮らしにももう慣れた。スキップ気味に待ち合わせ場所に向かう。


 待ち合わせ時間15分前。少し来るのが早かったかな? と思っていたけど、既に咲希さんが待っていた。


「ごめん、咲希さん早いね」


「ふふっ、楽しみすぎて早く来すぎちゃいました」


 おっふ……。可愛すぎやしませんか?


「それはよかった」


 今日は恋愛映画を見に行く。一般的なデートスポットだが、初手から変に自我を出すべきじゃないしいい案だろう。


 ポップコーンとジュースを買って席に座る。気持ち悪いカメラが気持ち悪いダンスをするのも、ウサギとリスがクーポンの話をするのも、今日は少し面白く感じられる。


 2人で一つのポップコーンバケツ。時折、指が触れ合い、瞳を交わし、笑顔を見せて、頬を染める。薄暗い映画館で咲希さんの瞳がスクリーンを映す。


 やばい、俺の人生16年の中で今が1番輝いてる。世界ってこんなにも美しいんだ……。とまあ賢者タイムを終えると共に映画も幕を閉じた。


「ふふっ、面白かったね」


「うん、最後の方ずっと泣いてた」


「私は泣かなかったかなー」


「嘘じゃん。ポップコーンバケツに手を入れながら固まってたよ」


 綺麗な肌に透明な涙が流れるのは映画よりしっかり焼き付けてある。


「そんなに私のこと見てたの?」


 咲希さんは悪戯に笑ってこちら向く。辞めて欲しい。耳まで赤くなっちゃう。


「それは……ほら、あれだから」


「そうだよねー、あれだもんねー」


 上機嫌に笑顔をこぼす彼女に言葉を失う。可愛さに溺れながら顔を上げると、オシャンティーなカフェが目に入った。


「あそこ行く?」


「うん、行きたい」


 魔法みたいな名前のフラペチーノを頼んで席に着く。カロリーの暴力を不器用に乾杯しながら、また笑う。


 紙ストローがフニャフニャなのとか正直どうでもいい。今の俺がフニャフニャだから相殺しあってるみたいなところあるもん。


「その……葵先輩ってどう思います?」


「葵先輩? いい先輩ではあるよね。どっかのヤンキーに比べれば何倍も」


 ボーイッシュ僕っ子属性で男っぽいので、やはり関わりやすい所はある。それに、仲良くなりたいと言われて嫌悪感を抱くのもなかなか難しい。


「家、行くんですか?」


「蛇とか見てみたいしね。どうして?」


「ちょっと……モヤモヤが。いえ、気にしなくていいんですけど、また…………私の家にも来てくれたら嬉しいな……なんて……」


 ほう、これは脈ありアピールと言うやつでは? いや、騙されるな鳥山とりやま 奏。今までそうやって何度後悔してきた? 俺は騙されない。


 ……ところで咲希さん、俺のこと好きなのでは?


 即落ち2コマを決めつつ、返事を返す。


「そうだね。気になるし、いつか行ってみたいな」


 恥ずかしくなって彼女から目を逸らすと、ある一点に視線が留まった。今入って来たただの一般客。俺以外は誰も不自然に思わない、恋人繋ぎをした大人2人。知らない女性と……俺の父。


「じゃあ、明日とか……明日じゃなくても、近いうちに……」


 続く言葉は耳に入らない。立ち上がって、近づいて行く。嘘であってくれ、見間違いであってくれ。頼むから、父の空似であってくれ。一歩踏み出すごとに、その思いは踏み躙られる。


 まだ父は俺には気づいていない。隣の女と笑い合って、メニューを微笑ましく覗き込んでいる。辞めろ、嘘だろ、辞めてくれ。


 「どこ行くの?」と言う咲希さんの声すら理解を拒む。


「おい、何してんだ」


 溢れた言葉はトゲに似た鋭さを持っていて、睨む視線は槍同然。


「どうして、こっ、ここにいるんだ?」


「こっちのセリフ。その人誰? 不倫? 最近仕事が忙しいから帰れないとか、嘘じゃ無いよな?」


「待て、落ち着け、そんなわけないだろう。とりあえず一旦落ち着いて話し合おう。店にも迷惑になるし」


 言い訳を考える時間稼ぎか、言い逃れをする父の案を飲む。店に迷惑うんぬんは一理あるから。


 非常口前の謎の空間に、2人で父と視線を交わす。咲希さんと女性は少し遠くでこちらをチラチラと見ていた。


「もう一回聞くよ。あの人誰?」


「ものすごく言いにくいんだが……次の奏の母になる人だ」


「ふざっけんなよ!」


 睨んで、気づけば胸ぐらを掴んでいた。腕がヒリヒリして胸糞悪い。何が次の母だよ。戯言も大概にしろ。


「奏の言いたいことも分かる。分かるけど、しょうがないだろ。もう、長くないんだよ……」


 誰の何が長くないのか、そんなの考えなくても分かる。母の命。分かってるさ……分かってる。でも、そんなの、あんまりじゃないか。


「長くないなら一緒にいてやれよ! お前、夫だろ? どうして……不倫なんか……。これはお母さんに報告する。見てみぬふりは出来ない」


「やめろ。言ったって誰も幸せにならない」


「お前が言うなよ!」


 俺が父を壁に押し付けると同時に、涙を浮かべる父が俺の髪の毛を強く握る。


「全部、お前のせいだよ、奏。お前の妊娠中に癌にかかって、そのせいで発見が遅れた。見つけた時には転移してた。お前が生まれなきゃ、こんなことにはならなかったんだよ」


 真っ向から知らぬ事実を叩きつけられ、呆然と立ち尽くした。俺の……せい? お母さんが死ぬのは、俺がいたから? 俺が、俺がお母さんを殺すのか?


 父が髪を離し、俺は崩れ落ちるように胸ぐらから手を引いた。床って、こんなに近かったっけ?


「すまない……つい、言いすぎた。仕事に夢中になって体調の悪さに気づかなかったのも、罪悪感から逃げるようにあの人と付き合ってるのも俺が悪い。さっきのは忘れてくれ。奏は悪くない」


 互いに熱くなって、言い合って、得たのは深くて治らない傷だけ。立てないぐらいにボロボロになって、怒りの矛先を失う。


「ははっ……はははははっ」


 俺のものじゃない自分の笑い声がはらわたから逆流してくる。笑う理由なんてない。ただ、笑うしかない自分の気持ち悪さが耳障りな嘲笑に拍車をかける。


 嗚咽混じりの心の悲鳴。空嘔吐からえずきみたいに汚い声が漏れる。目と鼻の先に床がある。


「大丈夫……じゃないよな。奏、すまない。水飲むか? 一回深呼吸しろ」


「はッ……はーっ、はーっ……いら、ない」


 俺がお母さんを殺す。俺がお母さんを殺す。俺がお母さんを殺す。俺がお母さんを殺す。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


俺のせい、俺のせい、俺のせい。


      生まれなきゃよかった。



  ごめん……ごめん。


           何も考えたくない。


俺のせいでお母さんが死ぬ。ああああ



 無理無理無理無理

             どうして?


       ああああああああああ


 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ




「奏……くん、大丈夫、ですか?」


 耳鳴り。うるさい。俺のせい。


「水持って持ってきたよ。とりあえず飲も?」


 ピントが合わない。視界がボヤける。どうして…………何があった?


 背中をさすられて、徐々に現実に引き戻されてゆく。へばりつく空気を思い出す。家族連れの声が聞こえてくる。


 ベンチに座っていて、あたりに父の姿は無かった。あれからどうなったのか、覚えていない。


「落ち着いた?」


 覗き込む咲希さんの姿に、やっと世界が輪郭を取り戻した。


「ごめん、取り乱して。向こう行っててくれない? ちょっと1人にして」


「出来ないよ……1人になんか……」


「いいから、ほっといて」


 視界から消えてくれ。今は何も見たくない。喋りたくない。


「ほっとけないよ……。隣にいるだけでもダメ?」


「だからあっちに行っといてくれないかな!? それどころじゃないんだよ!」


 肩で息をする。彼女の表情を見て、思考が体に追いついた。何やってんだよ。あの野郎とやってること同じじゃんか。熱くなって傷つけて……。


「ごめん……ごめんなさい。私、もう帰るけど、いつでも電話して。力になるから」


「うん……ごめん。ありがとう」


 握ったペットボトルは元の形が分からなくなるぐらいにぐちゃぐちゃで、俺の心のよう。咲希さんがいなければ、きっと俺は壊れていた。


 去り行く彼女にもう一度、「ありがとう」と呟いて。


 まだ、頭と床は近いまま。

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