第72話 花嫁と枢機卿


 運が神の御前で宣誓したのを確認するや否や、我先にとヴァージンロードを駆け抜け飛びつかんとするウェディングドレスの女性陣。


 身体能力的に当然の如くダイナや五十鈴が先に出るかと思いきや、それを止めたのは背後からの拍手の音だった。


 女性陣の後ろからチャペルに入ってきた男は、拍手を続けながら立ち止まる女性陣を割って通り、運に並んだ。


「貴方は……」


 言い掛けた久遠をそっと立てた人差し指の動作で止めた男。


「私のことは、通りすがりの神父または牧師だとでも思ってください」


 その男は確かに教会関係者と思われる格好をしていたが、明らかに異質なことに、口元以外を覆う仮面を着けていた。


「私も数多くの式を見てきましたが、これほどまでに情熱的な結婚式は初めてのことです。ですが、物事にはやはり順序というものがあり、神はそれを見ていらっしゃいます」


 男の静かな物言いに女性陣は声を発し得なかった。


「たった今、新郎は神の御前で誓いを立てました。そして、次いで行われるべきは新婦の皆様の宣誓です……さて、皆様の中で一番に宣誓されるに相応しい方はどなたですか?」


 すると、その視線は自然と久遠に集まった。


「やはり、貴女が一番の功労者であることを神は見ていてくださったのでしょう」


 そして久遠は運の隣まで招かれ、共に並んだ。


 男は口元を緩めながら続ける。


「汝、久遠は、この男、運を夫とし、健やかなる時も病める時も、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を抱き、夫を想い、寄り添うことを神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」


「はい、誓います」


「久遠、お前……」


 呟く運に久遠はただ一つ、偽りの無い笑顔を向けた。


「よろしい……では、誓いのキスを」


 運と久遠は向き合った。


「……いいんだな?」


 久遠は答える代わりに、ただ目を閉じて待った。


 そして2人は口付けをかわした。


「皆さん、お二人の上に神の祝福を願い、結婚の絆によって結ばれたこのお二人を神が慈しみ、深くお守りになり、助けてくださるよう祈りましょう」


 男の言葉によって一同は手を合わせ、目を瞑って祈りを捧げた。


「はい、では次の方ー」


 式はたちまちレジ待ちの行列のようになった。


 しかしながら宣誓から誓いのキスまでは順番に、ルーテシアに至るまで全員同じように厳粛に行われた。


 以下略である。


「宇宙万物の造り主である父よ、あなたは御自分に象って人を造り、夫婦の愛を祝福してくださいました。今日ここで誓いをかわした者達に満ち溢れる祝福を注いでください。皆が愛に生き、健全な家庭となりますように。喜びにつけ悲しみにつけ信頼と感謝を忘れず、困難にあっては慰めを見いだすことが出来ますように……」


 結婚式は仮面の男の進行により本格的に行われた。




「ビックリした……」


 式を終えてチャペルを出た後で久遠は胸を撫で下ろした。


「やっぱりあの男の乱入は想定外だったってことだよな?」


「うん。本当は皆でお兄ちゃんに結婚の確約をさせるだけのつもりだったんだけど……」


 久遠は顔を赤らめた。


「お、お兄ちゃんとキ、キスしちゃった……」


「しかも見事に結婚式を完遂してしまったな」


「うん……まさかこんな展開になるだなんて……」


「あの男は一体誰だったんだ? どっかで聞いたことある声だったんだけどな……」


「お兄ちゃん知らないの? あの人、キャンター枢機卿だよ」


「キャンター枢機卿って、ラムウ教の?」


「そうだよ。実質トップだよね」


「そんな奴が、なんでこんなところにポッと現れるんだ?」


「そんなのこっちが知りたいよ……」


 久遠は首を横に振った。


「仮面なんか付けて、怪しいったらないな」


「シッ! 失礼だよ。忘れたの? 周辺各国でアンに対し好戦的だった勢力を抑えてくれたのはラムウ教……言ってみれば、あの人なんだよ?」


「だが、物語の良いところで登場する仮面の人物ってのはラスボス率が高いんだぞ?」


「それはお兄ちゃんの勝手な思い込みでしょ!」


 そんなことを話していると、そこへ仮面の男キャンター枢機卿が近付いてきた。


「はっはっは……ラスボスですか、良い響きですね」


「あっ! すみませんお兄ちゃんが大変失礼なことを……ほらお兄ちゃんも頭下げて!」


「いやいや良いんですよ……それを言えば折角の結婚式に勝手に入り込んだ私の方が礼を失すると言うもの。こちらこそ、突然の無礼を許していただきたい」


「とんでもない! 私達のお遊びのような式を、あんなに厳粛で本格的な式にしていただいて、私達全員、一生の記憶に残るくらい本当に感激しました」


「それならば良かった。私も、帝国からここまで足を運んだ甲斐があったと言うものです」


「キャンター枢機卿は、どうしてここへ?」


「何を仰います……国王の戴冠式は間もなくではありませんか。私とてこのエヒモセスに生まれた新たな国を自分の目で見ておきたいと思うものです。それに、私達ラムウ教を受け入れてくださるそのお気持ちの象徴たるアン大聖堂がいよいよ完成されたとあらば、万象差し置いてでも訪れておくのは当然のこと」


「では、戴冠式ではもしや?」


「ええ。僭越ながら、私がその大役を務めさせていただきます」


「凄い……キャンター枢機卿がわざわざ王冠を被せてくれるだなんて」


「この国は何においても大変素晴らしい。夫婦円満のみならず、このアン王国においても、今後益々の発展を期待しておりますよ……では、私はこれで」


 キャンター枢機卿は丁寧に会釈をしてその場を立ち去ろうとした。


「ちょっと、待ってもらって良いかな?」


 その背中を運の言葉が止めた。


「やっぱその声、何処かで聞いたことがあるんだよな」


「ちょっとお兄ちゃん!」


「久遠は少し黙っていてくれ……これは俺とこの人の話だ」


 運は久遠を手で制して更に一歩前に踏み出した。


「悪いがその仮面、外してみてはくれないか?」


「ふむ……私と同じような声を持つ者など、幾らでもいるかとは思いますが?」


 キャンター枢機卿は背を向けたまま首だけを僅かに向けて返答した。


「他にもある。これは式の様子を聞いていたのかも知れないが、俺の名を知っていただろ」


「まさか戴冠式のために訪れた私が、国王となられる貴方のことを知らないとでも?」


「それだけじゃねぇ。身振り、手振り、雰囲気、後ろ姿、歩き方、足音……それから途中で一回フザけた口調や性格も……何か俺、あんたを知っているような気がするんだ」


 キャンター枢機卿は背を向けたまま暫く口を閉ざしていたが、やがてゆっくりと踵を返した。


「私もよくよく運の無い男だな……そうそう当たるものではない、と高を括っていたのだが……ふふ、認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」


 そう言うキャンター枢機卿の口元は薄く笑っているようだった。


「……鈍感そうに見えて、意外と良く人を見ているんだな。関心したぞ」


 そしてその口調は今までのキャンター枢機卿とはまるで異なっていた。


「良く見てきたあんただから解ったんだよ……他の人なら気付かなかった」


「光栄だな。そんな風に見ていてくれていたのか」


「目標みたいな存在だったからな……やっぱり、あんただったのか」


「許せよ? あの場で素顔を晒してお前に余計な気を遣わせれば、折角の結婚式に水を差すと思ったからなんだ。……しかし、こうなれば仮面など無意味か」


 キャンター枢機卿はゆっくりとその仮面を外した。


「そうだ……私はかつて、社長という役職で呼ばれたこともある男だ」


 仮面の下の素顔は優しげに微笑んでいた。


「久しぶりだな、日野運」


 運はその顔を顰めて言った。


「……会いたかったよ、社長」

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