いつも歩けば怪異に当たる

aza/あざ(筒示明日香)

『当たり屋』少年の“受難”

 



「絶対に秘密だよ」

 弧を描く艶やかな唇の前へ、口止めを表すように立てられた人差し指。

 夜空を背に、ふわりと光を孕んだ黒髪とセーラー服の襟やスカートの裾を靡かせ、赤い縁の眼鏡の奥で。


「わかった?


 世請よせいくん」


 ヒメ先輩が笑った。







   【 いつも歩けば怪異に当たる ──『当たり屋』少年の“受難” 】




 大きな校舎の二階、真っ直ぐ廊下の突き当り。部屋は在った。はノブを握り回す。ぎぃいっと、古い戸は音を立て、開いた。

「……あら、」

 部屋の奥、扉と向かい合うみたいにヒメ先輩は立っていた。窓へ腰を付けて寄り掛かって。

 僕を見止めて、本を閉じる。にぃっと笑って。


「いらっしゃい……“A高校郷土史研究会”へ」


 さらりと流れる黒髪を揺らし、肩へ零れ落ちた幾房を後ろに掻き上げ流した。


『A高校郷土史研究会』。このA高校を中心に、高校が在るS原市の郷土を調査する同好会だ。所属する人数は不明だが、部活では無い。あくまで、同好会、だそう。


 ……しかし郷土史研究とは名ばかりで在ることを、僕は知っていた。いや、ある意味、合ってはいるか。


「で、どうしたの……寸沢嵐くん・・・・・

 寸沢嵐すわらし、は名字だ。僕は訊かれた意図が上手く汲めず首を傾げた。すると、ヒメ先輩は一つ首肯して、息を吐いてから。


それ・・、は?」

 ヒメ先輩が僕を指差した。


 正確には、僕が覗く端末のカメラ越しに。

 僕は簡単に説明した。


 記録を撮らねばならないのだ、と。


「……まったく。高座たかくらくんと言い、仕方無いわねぇ」

 ヒメ先輩は先程より深く溜息を吐いた。明らかに嘆息だと言うように。


 高座は同じクラスの友人で、好奇心のまま動く厄介な性質が在った。特に謎と言うのも弱く、殊、オカルト方面への食い付きは半端無い。本日この場にいない。


「……。わかったわ。活動記録、撮ってて良いわよ」


 え、良いんですか、と僕が尋ねるとヒメ先輩は「ええ」と肯定した。


“絶対に秘密だよ”

 ああ言っていたのは、何だったのだろうか。


 ヒメ先輩は「じゃ、フィールドワーク、行くわよ」と撮影する手を止めない僕を、学校から連れ出した。




 薄暗い、地下歩道に僕たちは来ていた。高校の在った場所から二駅離れた、駅のすぐ横の地下歩道。

「────ここはね昔、踏切だったのよ」

 へぇ、と僕は相槌を打った。天井を見上げて、カメラにも、薄汚れた天井が映る。


「ここね、」

 ヒメ先輩へカメラフォーカスが戻る。ヒメ先輩は薄く微笑んでいた。

「急ピッチで出来たのよ


 ……どうしてだと思う?」


 ヒメ先輩の言葉に僕は、わからないと答えた。


「人が死んだの。中年男性が、白昼堂々と飛び込んだらしいわ。


 駅を発車した上りと駅に到着するところだった下りが、踏切で交差したとき」


 人身事故────僕は、ヒメ先輩の説明に息を飲んだ。


「轢いたのは、下り電車だった。でもね、上りも、揺れたのよ……何でかしらね?」

 上り電車はまた一つ先の隣駅で長時間停車したって。

 ……ただの時間合わせだと、良いわね。


 先輩は笑って、来た道を引き返した。


「電車が停まった上り側の一つ先の駅ね。K沼公園て在るんだけど。そこも、かなり出る、って噂ね。自殺者が多いとか」

 ヒメ先輩と駅に戻って電車を待つ。わざわざ下り路線から見て右端、地下歩道が在る近くで。そうなんですね、と僕は頷いた。


「……。まぁ、生き物は、生きていれば死ぬものよ。生命が生きれば、やがて寿命は潰えるが道理。随分と死に繋がる要因が駆逐されて来ているから、忘れがちだけどね。昔は知識不足に命を落とした場合は多かった」

 そう言った無念が、生物が住まう土地には降り積もっているのだと。ヒメ先輩は言った。


「そして人は争うもの。ましてや、ここ、S原市は軍都だった。造兵廠が在った。武器を造る、ね。市役所にも、避難していた人々が爆弾で大勢亡くなった、って話よ」


 生きた人も、見ない振りした無念が、たくさん在ったの。ヒメ先輩が説く。

「悲しい、つらい、苦しい……負の感情を、穢れと呼ぶのなら、穢れていない地など無い。けどね、」


 電車が来た。僕たちは乗り込む。


「負の感情って、もともと愛から生まれると思うの。他者への愛は勿論、自己愛も含めてね」


 ヒメ先輩が説き終えると同時に、自動扉は閉まった。




 僕たちは高校の最寄り駅で降りること無く、更に乗り換えて単線に乗り継いだ。

 ヒメ先輩が下車したのは、最寄り駅から幾つか離れた無人駅……や、改札には人がいるのだけれど日中だけで、一定時間が過ぎるといなくなってしまうのだ。


 ヒメ先輩は無言で歩き出した。僕も付いて行く。


 駅を出て、住宅街方面へ歩き出す。コンビニを過ぎ、十字路を渡って、次の十字路は右に曲がり、再度直進。学校らしき建物を過ぎ、保育園を過ぎ、新たな十字路に着く。運輸会社周辺に多いせいか、トラックがよく通り、砂っぽい風が舞っている。


 十字路は小学校の入り口と標識が在ったが、小学校に行く訳では無いようだ。左に折れて長い下り坂を行き始めた。




 途中登れる階段と橋を無視して坂を下り切ると、今度は右の坂道を上がり始める。


「行きましょうか」


 今まで黙っていたヒメ先輩が僕を振り返り言った。上がる最中で坂の脇に森……と称するのか林、と呼ぶのが正しいのか、もしかすると山だろうか……の小道が見えた。

 入り口には看板が立っている。神々しいと言うのか、仰々しいと言うのか、看板の名前は神社っぽい。覗き込めば、少し上のほうに鳥居が見えた。社はだいぶ上方なのか生い茂る木々も相俟って見えない。


 町の鎮守様、と言うのだろうか。だったらもう少し整備して良いと思う。だって、上る始めのほうなんて大きな石を積んだだけなのだ。なぜか少し上がったところからは、ちゃんと石段が土に埋め込まれるみたいに設置されているのに。……森とか林より山が正解だったようだ。


 ヒメ先輩は、軽やかな足取りで階段と言い難い、最早山道を登り始めた。セーラー服仕様の制服で、スカートもミニと言う程の長さでは無いのに。


 階段は、上り始めの段を越え鳥居を潜って以降、しばしゆるやかで登り終える手前くらいで再び急になり。登り終えると小さな社が在った。


 小さな社は、道を見て想像していたより、きれいだった。……。


 僕は。


 胸がざわりとする、不快感を覚えた。僕は何だか息がしづらく感じて、首元を触った。


「……。首が気になる?」

 ヒメ先輩が質す。頻りに首を触る僕を「────それで、」ひたと見据えて。


「あなたは、だれ?」


 え、と僕は思うが、声が出ない。

 何でだろう。声を出そうとしているのに。


 手が、ぶるぶると、震える。持っているカメラも、当然ブレる。


 おかしい。僕はさっきまでヒメ先輩と喋っていたはずだ。撮影の許可を得て、地下歩道で踏切事故の話を聞いて。

 公園? には自殺者が多いとか、この辺は市自体が軍都だし、仕方ないとか……あれ?


 僕、あのとき何て話してた?


 ……。


 僕は、いつから話せなかったのかな?


 僕は、僕は、僕は、僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は────……


「……あのね」

 僕の反応を待っていたっぽいヒメ先輩が、一呼吸置いてから口火を切った。


「私ね、世請くんのこと、名字で呼ばないのよ」


 僕はヒメ先輩を見詰めた。


「寸沢嵐くん、なんて、呼ばないってこと」


“で、どうしたの……寸沢嵐くん・・・・・


 出会い頭のころ。詰まるところ、最初から。僕はヒメ先輩へ手を伸ばし端末を落とす。

 くるくると、回って落下した端末の液晶に一瞬映った僕は首が、くの字に曲がっていた。


 伸ばした手は届かなかった。ぐずっ、と重い水音がして、僕は崩れ落ちた。俯せに倒れ込んで、それでも腹這いに這い擦って……ヒメ先輩を目指す。


 それでも微塵にも進まず蠢くだけの僕に「いつから、」ヒメ先輩が近付いて来た。


「あなたは、取り込まれてしまったのかしらね」


 あ……あ……と、息も絶え絶えに洩らす僕の顎を撫でる。ヒメ先輩の指先が触れた途端、ぽうっ、とそこだけが、あたたかく灯って。


「まぁ……私たち・・・には、関係無いわねぇ?」


 きれい、だった。ふんわり、花が綻ぶように笑んだヒメ先輩は、崩れる泥みたいな中から『僕』を抱き上げた。


 ────にゃぁー……ん────


「おかえりなさい。家族も待ってるわよ」


 抱き抱えられ、『家族』と言う単語に、僕は思い出す。


“ほら! 凄いだろっ、最新機種! いっぱい、写真とか動画を撮ろうな”

“もうっ。お父さん、少しは私も撮ってよー!”

“えー、良いじゃないの。せっかくの端末だもの。お母さんは、お父さんに賛成”

“うー……お母さんまでっ”


 老いた野良猫を引き取って、たいせつにしてくれた、僕の『家族』。

 それが、みんないなくなってしまうなんて、誰が予想出来ただろう。


“もうみんな帰って来られないんだよ……私と、いっしょに行こう”

 お父さんのお母さんと言う人が、連れて帰ってくれたけど。

“あら……どうして、猫が? 息子が連れて帰って来たのかしら?”

 その人は、すぐに僕が、わからなくなってしまった。


 その人が勝手に家を出てしまうから、僕は追い駆けて。


 最期に見たのは。


 お父さんのお母さんが持っていた、お父さんの携帯端末。中の写真や動画には僕やお父さんやお母さん、お姉ちゃんが写ってたから、自分のだって勘違いしてたのかな。


 が、お父さんのお母さんが、びっくりして倒れたときに道の端へ転がって行ったのと。


 首の捻じれた僕から出て、地面に拡がり染みる、血。


 僕を轢いた人は、お父さんのお母さんへ駆け寄った。お父さんのお母さんは、大丈夫だったみたい。

 次いで、轢いた僕を見て、哀しそうにしてた。


 ────ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 どうしても、お父さんのお母さんは、助けたかったの。


 僕が足止めになれば良いって。


 ごめんなさい。嫌な気持ちにさせて。


“やだ、野良よ!”


 でも僕もう『野良』じゃないから。


 お父さんのお母さんを助けてください。

 お家に帰してください。


 ごめんなさい。


 ……ああ、コレは、神社ここの前の、道路で起きたのか。


「────もう、大丈夫だから」


 おかえりなさい。


 最期まで、身をなげうってまで人を愛したあなたを、あなたを愛する人が待っているわ。


 ヒメ先輩が告げた。僕を抱くヒメ先輩が、全体的に光を帯びる。


 あたたかい。僕は目を閉じる。


 この途端。


“────、────!”

“────っ”

“────!”

“────”


 僕を呼ぶ声がして、僕はまた、目を開けた。







「────あれ?」

「お早う、世請くん」

 気が付くと、ヒメ先輩がを見下ろしていた。寝ていた身を起こして辺りを見渡せば、鬱蒼と茂る森の中────いや、山? 後ろを見返れば小さい社。


「ぇ、ここ、どこ?」

 俺が、ぽかーんと周囲を見回していれば、ヒメ先輩が深い深い溜め息を吐いた。

「きみは、相変わらずだなぁ」

 呆れた様子のヒメ先輩に、俺は冷や汗を掻く。


「え。また、俺、何か……」

 どえらい目に……言い掛けた俺へ、先輩が何かを寄越す。


 それは、カメラ付きの携帯端末だった。しかも。


「えっ、懐かしっ! コレ、スマフォじゃなくて、スライド式携帯じゃないですか! えぇ、懐かしい!」

 今や、日常ではネットや中古ショップでしか滅多にお目に掛かれない、携帯電話と言うヤツだ。

「見ても良いよ」

「えー、良いんですか? ってか、コレ、ヒメ先輩のですか?」

 だとしたら通信規格がもう無いし、現役では無いと思うけど。ゆるされても、他人のものを見て良いものか悩む。だけれどヒメ先輩は、ううんと首を振った。ぇえ? それ見て平気なの?


「私のじゃないけど……もう持ち主もいないから」

「じゃあ駄目なんじゃ……つーか、コレ電源入るんですか?」

 傷だらけの端末は、余り状態が良いと見えない。けど、ヒメ先輩は宣う。

「さっきまで動いていたから、動くでしょ」

 ヒメ先輩が言うので、俺は電源を入れた。


 電源が入り、起動画面が表示されたあと、待ち受け画像が映る。


 3.7インチ液晶の待ち受け画像は、幸せそうな家族と、一匹のぶち猫の写真だった。


「ヒメ先輩のお知り合いですか?」

「さぁ……? それにしても、」

 ヒメ先輩が苦く笑う。嫌な予感。


「きみは本っ当に、歩くだけで変なことに巻き込まれるね。今日だって、朝の通学中から記憶が無いんじゃないの?」

「はっ……マジだ。……ええええ何でっ。俺は学校に行こうとしただけなのに!」

「そろそろ自覚しなさいって。世請くんはね、歩くだけで、“こう言うもの”に当たるの。それも、わざわざ向こうが呼んでいるんじゃないのよ。自分から、当たりに行ってるの」


 そんなこんなで、どうにも出来なくて被害に遭うでしょ。そう言うの何て言うか知ってる? 『当たり屋』って言うの。


 ヒメ先輩の発言に、俺は勢い良く挙手した。


「いや! やーやーや! その意見には断固! 撤回を求めます!」


 確かに。昔から変なものとか変なことに巻き込まれることは多々在った。

 だけど、俺から向かったことなど、一度として無い!


「……無自覚って本当に怖いね」

「絶対認めませんから!」

「じゃあ、高座くんとも縁を切らないと」

「うっ……それは……」


 クラスの友人、高座。

 とても明るく気さくで好いヤツなのだが、謎や事件、更にオカルトと聞けば、一にも二にも無く目を輝かせ突っ込んで行く。

 現在、高座以外に特段、親しい友人のいない俺には、アイツと縁を切るのは死活問題だった。


「高座くんはね、言うなれば磁石が無く意識しなければ近寄ることも無いの。でもね、世請くん。きみは、違うの。きみの中には強力な磁石が在って、無意識でも迷うこと無く辿り着けてしまうのよ」

 ゆえに、縁を切らないとこれからもハードモードで大変な目に遭うよ、と。


「けどっ、でもっ、……あれ。そう言えば今日、高座はいないんですね?」

 またも変な出来事に遭遇していた俺に、あの高座が放置するなんて有り得ない。だとしても常日頃ハイテンションが標準装備なアイツは見当たらない。俺が問うと、ああ、とヒメ先輩は頷いて。


「今日補習だったから。来られなかったんでしょ」

 とちた。……待って。


「補習?」

「補習」

 それは、昨日、俺も受けなきゃならないと先生からお達しされたものでは……? 一気に、血の気が引く。


「帰ります! あ、いや、学校に戻ります!」

 俺は携帯端末をヒメ先輩へ押し付けるように渡すと一目散に階段を駆け降りる。最後は何かごろごろした岩が足場になっていたけれど、どうにか下り切れた。


「気を付けてね。今日はもう私の効果・・・・で何も無いだろうけど」

「はーい! ありがとうございました!」


 どうやら、今日もヒメ先輩にお世話になったらしい。


“絶対に秘密だよ”

 ヒメ先輩は不思議な存在だった。


 学校にはいるし認知もされているけど、生徒じゃないっぽい。

 何だったら、人間ですら、無い。

『A高校郷土史研究会』と名の同好会が宛行わられた、二階突き当りの狭い部屋に住まう、超常的な存在。


 ヒメ先輩の“ヒメ”は、────『秘女ひめ』なのだと言う。

 いつから存在しているのか、自身にも不明だそうだ。


“もう、大丈夫だから”


“おかえりなさい”


 俺は巻き添えを食らっていた間の記憶が無かったけども、どうも大事なことも忘れてしまった気がする……も、ポケットに在った自分のスマートフォンに在った通知の山に、瞬時に掻き消された。


 俺が消えたあと、ヒメ先輩は石段へ腰を下ろし、携帯端末を撫でていた。




 無事に学校へ戻れた俺は、落ち葉の敷き詰められた土の上に寝転がっていたために、泥と葉っぱに塗れていて担任から事件へ巻き込まれたのではないかと心配された。……補習は後日になった。


 それから。


 A高校郷土史研究会の部屋には、時折どこからかやって来た斑猫が、出入りするようになった。




   【 了 】

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