第7話 上京

 事務所兼自宅に戻った空木は、ベランダに出て焼酎で火照ほてった体を風に当てた。国分寺崖線の上に建つマンションの四階に吹く風は、この季節決して心地良いとは言えなかったが、この時間になると幾分涼しげに感じた。

 空木は煙草の煙を燻らせながら、もう一度思考回路を回した。

 町村康之に手紙が届き、町村が慌てて土手に連絡したということは、その手紙は山岡美夏に関しての事に間違いない。山岡美夏を知り、町村の住所を知っている人間は妹の清美しかいない。手紙を出した人間は山岡清美だ。

 清美が何故、何のために手紙を出したのか、考えられる理由は、問い合わせをした産婦人科医院のどこからか美夏に関する返事があり、それに町村が関わっていると清美が考えたからではないだろうか。さらにその事が姉の死に何らかの形で関わっていると思ったからではないだろうか。

 考えている空木には、別にもう一つ疑問が湧いていた。

 石山田は、札幌中央署に死体遺棄の捜査本部が設置されたと言っていたが、死体遺棄なら遺棄現場を管轄する俱知安くっちゃん警察署に設置する筈なのに、何故札幌中央署に設置したのか、ということだった。それは、札幌中央署が、山岡美夏は札幌市内で殺害されて現場に遺棄されたと判断したからではないだろうか。

 空木が部屋に戻ると、スマホにメールの着信があった。それは清美からのメールだった。

 「町村さんへの手紙については、深堀さんから改めて連絡があると思います。姉の受診の問い合わせをした産婦人科医院さんについては、空木さんのお陰で全ての医院さんから返信がありました。結果として、姉は中央区の中央産婦人科医院を受診したことが分かりました。姉は妊娠していたそうです」

 淡々と書かれたメールを見て空木は、「妊娠していたのか」と呟いた。

 その夜、空木は夢を見た。空木は清美と共に男に会っていた。その男は空木の知らない男だった。言葉が話せない筈の清美が、その男に問い詰めるように聞いた。

「あなたが姉を妊娠させたのではないのですか」

男は返事をしなかった。清美はさらに男に問いかけた。

「その姉が邪魔になって殺したのですか」

男は清美を睨みつけ、そして無言で清美に襲い掛かった。それを見た空木が清美をかばったところで目が覚めた。

 朝の六時を回ったところだった。シャワーを浴びた空木が事務所のパソコンを開くと、昨夜のうちに札幌の二人の後輩からそれぞれメールが届いていた。

 後輩の一人の山留健一からは、北網ほくもう記念病院の外科医師田中秀己について、空木が依頼した二つの調査結果のメールだった。

 病院を担当している上木うえきというMRの話によれば、田中医師には山登りの趣味は無く、記憶にあるのは小学校の遠足で札幌市内の藻岩山もいわやまに登ったことぐらいであること。そしてもう一つの調査依頼である札幌への行き来については、月に一度札幌の大学の医局に顔を出していると書かれていた。

 空木は山留への返信には、お礼と共に田中医師がラウンジ『やまおか』にどの位行っているのか、東菱製薬の前支店長の町村という人物を知っているのか、聞ける機会があれば聞いてみて欲しいという依頼をしておくことにした。返事に期待はしていなかったが、どういう答えが返って来るのかは知りたかった。

 もう一人の後輩、森上一行からのメールも、札幌支店長当時の町村の素行、評判に関して空木が依頼した事の調査結果だった。森上が聞き出せた東菱製薬のMRの話によれば、当時町村は特約店の幹部とは、かなり頻繁に飲みに行っていたようだが、支店の社員つまり部下とも、たまに飲んでいたようだったと書かれ、仕事振りについてはよく分からないが、北見地区に行くことが多かったようで、北見にお気に入りのお店があるのではないかと噂になっていたようだと書かれていた。

 空木はトーストとコーヒーの朝食を食べながら、町村が北見へ良く行っていたという一文が、北網記念病院の田中医師との繋がりを意味しているのではないかと考えた。北網記念病院は北海道の北東部、北見市と網走市の中間地点に位置している。

 二人には接点があった可能性が高いが、空木にはそれが何を意味しているのか、全く見当もつかなかった。

 空木は窓を開け、ベランダに出た。梅雨明け十日というが、晴天の今日も暑くなりそうだった。

 美夏の三冊のノートに書かれていた、イニシャルYMと親しいというHTが仮に田中医師だとして、その田中医師が美夏の失踪を誰よりも早く知っていたとしても、それを何故わざわざ東京にいる町村に知らせる必要があったのか。世間話の一つとして話したとしたら、二人はかなり親しい関係だという事になる。

 山岡美夏はどこかで死亡して羊蹄山麓に遺棄された。つまり失踪を早くから知っていたということは、美夏の死に関わっていた可能性が疑われても不思議ではない。だとしたら、美夏の失踪の件は誰にも話さないのではないだろうか。それにも関わらず町村が美夏の失踪を知っていたということは、HTから聞いたかどうかに関係なく、町村は美夏の死に関わっていた可能性があるのではないか。町村は警察の言う重要参考人だ。

 HTから聞いたということであれば、二人とも重要参考人だが、YMと親しいHTは登山をするが、田中医師には登山の趣味はないらしい。もう一人のHTは調べていないがどうなのだろう。

 空木がもう一人のHTの名刺をメモした手帳を改めて見ようと部屋に戻った時、スマホが鳴り画面に深堀和哉の名前が表示された。

 「空木さん深堀です。朝早くから申し訳ありません。今から空港に行かなければならないので、こんなに朝早い時間の電話になってしいました。清美さんから、手紙の件で空木さんに連絡して欲しいと頼まれましたが‥‥」

 深堀の声は、町村に出した手紙の事を、空木が何故知っているのか警戒しているような口調になっていたが、空木にはその口調よりも、深堀が言った「空港へ行く」という言葉の方が気になった。

 「深堀さん、何故私が町村さんへの手紙の事を知っているのか疑問なんでしょうが、私にとっての疑問は、その手紙を清美さんが何のために出したのかなんです」

「‥‥‥手紙を出したのは清美さんではなく僕が勝手に出しました」

 和哉は、以前空木が清美に報告した町村の住所を、知っていた事を空木に話し、中央産婦人科医院からの返信で、美夏が妊娠していた事実を知った事をきっかけに、町村に会わなければならないと思い手紙を出したと説明した。

 「あなたが手紙を出したんですか‥‥、それで今から町村さんに会うために東京へ行くつもりなんですね。会ってどうするつもりですか‥‥」

「美夏さんが亡くなっていた事を伝えて、町村さんが妊娠させた相手なら、美夏さんの死に対して何らかの形で償いをする責任があることを話すつもりです」

「償い?それはどういうことを意味するんですか」

「それは‥‥、妹の清美さんに悔やみを述べて、墓前で手を合わせて詫びてもらえればそれで良いと僕は思っています」

 和哉の話を聞いて、町村が土手を通じて言った「自分には覚えのない事」という意味が、空木はやっと分かった。和哉の出した手紙には、美夏を妊娠させたのは町村ではないか、と書かれていたに違いないと。

 「深堀さん、あなたは勝手に手紙を出したと言いましたが、清美さんはあなたの考えと同じなんですね」

「勝手に手紙を出したことは謝りました。でも清美さんも町村さんに疑問を抱いています。僕の考えには分かったと言ってくれました」

「そうですか。しかし町村さんは、私の知人を通じて、「自分には身に覚えのない事だからあなたに会うつもりはない」と伝えてくれと言っています。どうやって会うつもりなんですか。それに会えたとしても、美夏さんとの関係を否定されたらどうするつもりなんですか」

「‥‥‥とにかく会えるまで町村さんの家に、今日からの四連休の間は会いに行くつもりです。否定されたら‥‥」

 和哉は言葉に詰まった。町村が美夏を妊娠させた相手だと確信しているからなのか、返事に窮した。

 空木は、和哉が思い込みと感情の勢いのまま行動しようとしていることに、あやうさを感じると同時に不安を覚えた。何が不安なのかは分からないが、美夏の死に町村が関係していたら、和哉の執拗な訪問に町村がどう反応するのだろうか、妄想なのかも知れないが漠然とした不安が頭をよぎった。

 「深堀さん、私と一緒に町村さんに会に行きましょう。私は一度町村さんに会っていますから、私が会いたいと言えば会ってくれるかも知れません。家の場所も知っています。いかがですか」

「本当ですか。ありがたいです。是非お願いします」

 和哉の声が急に明るく、そして大きく空木の耳に響いた。

 空木は、今日の午後三時に中央線の武蔵小金井駅北口での待ち合わせを約束して、和哉との電話を終えた。


 空木が武蔵小金井駅北口に、約束の時間の少し前に着いた時、深堀和哉はベージュのコットンスラックスに白の半袖のポロシャツという姿で、黒いリュックサック風のバッグを肩に掛けて立っていた。

 深堀は空木を見て深く一礼した。空木はその姿を見て軽く手を上げた。

 「遠いところお疲れ様でした。ところで深堀さん、手紙には会いに行く時間は書いたんですか」

「いいえ、今日会いたいとだけしか書いていません。それと‥‥、僕の名前は手紙には山岡和哉、弟として差し出しています」

「‥‥住所は」

「札幌市とだけしか書いていません」

「何故、弟と書いたんですか。町村さんは美夏さんの家族構成を知らないんですか」

「‥‥分かりません。でも知っていたら妹の清美さんが聾者ろうしゃだということも知っている筈で、その清美さんが一人で会いたいというのは不自然ですし、僕としては、町村さんとの面会には清美さんを巻き込みたくなかったんです。仮に家族構成を知っていたとしても何とでも言えますから‥‥」

 空木は、和哉の言葉に、清美への強い想いを改めて知らされた気分だった。

 空木は予め、住所から町村の自宅の電話番号を調べていた。スマホからその電話番号を押した。

 空木は、町村が土手登志男の携帯に電話をして来た際に使っていた携帯の番号は、土手から聞いて承知していたが、敢えて自宅の固定電話にかけた。それは町村に、「いつでも家に行きますよ」という空木の探偵としての矜持きょうじを示したかったからだった。

 電話には奥さんらしき女性がでて町村に取り次いだ。町村は在宅していた。

 「空木さんですか‥‥。私の家の電話番号をどこで知ったのですか」

 町村の声は驚きと疑念が混じりあっていた。

 「一応私も探偵の端くれなので、電話番号ぐらいは調べる事はできるんです」

「‥‥それでご用件は」

「それは直接お会いしてお話ししたいのですが、今からお会いしていただけませんか」

「今からですか。電話で済ませる事は出来ませんか」

「町村さんはもうご存知かも知れませんが、山岡美夏さんが白骨化死体で見つかりました。その美夏さんの事でお話しを聞かせていただきたいのですが、何なら近くまで来ていますのでご自宅にお邪魔しましょうか」

「いや、家に来るのはちょっと困りますから外でお会いしましょう。空木さんは今どこに居らっしゃるんですか」

「武蔵小金井の駅です。三十分後に小金井公園の江戸東京たてもの園の入り口の前でいかがですか」

 空木は半ば強引に約束を取り付け、深堀和哉と共に駅から一キロほど北に位置する小金井公園に向かった。

 小金井公園は都立公園の中でも広さ八十ヘクタールと最大の広さの公園で、およそ千八百本の桜が植えられている桜の名所でもある。この広大な公園で一番分かり易い場所が、空木が約束した江戸東京たてもの園だった。


 町村はたてもの園の入口に立っていた。空木を遠目に見つけると町村は近づいて来た。

 「‥‥‥空木さんでしたね。いつぞやはご苦労様でした」

 町村は東菱製薬の本社での面会の事を言っていたが、頭を軽く下げたその態度はさっきの電話での口調とは違って落ち着き払っていた。

 その町村が、空木の後ろにいる深堀和哉を見ていぶかし気な視線を送った。

 その視線を感じた空木は、和哉を紹介した。

 「山岡美夏さんの弟さんの山岡和哉さんです」

 瞬間、町村は顔を紅潮させた。

 「弟さん‥‥会わないとお伝えした筈です。『やまおか』のママの身内という方に電話でお伝えしたはずですが、伝わっていなかったのですか。どういうことですか空木さん」

顔を紅潮させた町村は、空木を睨みつけた。

 空木は後ろに立っている和哉を振り返りながら、弟という空木の紹介に何の疑いも見せずに怒る町村は、美夏の家族構成を知らない事がわかったというように頷いて見せた。

 「あなたが会わないと言われたのは、和哉さんであって私ではないですよね。和哉さんは私とあなたの話を聞いているだけですから、ここには居ないものとして無視して下さい」

「無視しろと言われても、私が美夏ママを妊娠させた相手だなんて書いてくる人とは‥‥」

「町村さん、あなたに関係のない話ならそこまでムキにならなくても良いんじゃないですか。それともその件とは別に会いたくない理由でもあるんですか」

「そんなものはありませんが、私はただ気分が悪いと言っているだけです。‥‥分かりました、そこまで言われるなら空木さんとだけ話をしましょう」

 空木と町村は、真夏の暑い陽射しを避けて桜の木の下のベンチに腰掛け、和哉はベンチの後ろに少し離れて立った。

 「町村さんにいくつか確かめたい事があります。あなたは私と東菱製薬の本社でお会いした時には、既に『やまおか』のママ、山岡美夏さんの失踪をご存知だったようですが、それをいつ知ったのか、誰から聞いたのか教えていただけませんか」

「‥‥‥あなたが会社に訪ねてきた日に、あなたから聞いたのが初めてでした。あなたから聞くまでそんなことになっているとは全く知りませんでした。空木さんも知っての通り私はあの年の十月一日には東京に居ましたからね」

 空木は町村の返答に一瞬の躊躇ためらいがあったことを感じた。

 「そうですか、分かりました。もう一つお聞きしたいのですが、和哉さんからの手紙でご承知のように美夏さんは妊娠していました。弟さんも妊娠させたのはあなたではないかと疑っています。あなたが自分ではないと言うなら、美夏さんとそういう関係になる男性に心当たりはありませんか。以前本社でお話しを聞いた時に、美夏ママを目当てに来る客がいるような事を話していましたよね」

「絶対に私ではありませんし、心当たりもありません。何故私が彼女とそんな関係になっていたと言うんですか。心外です」町村は眉間に皺を寄せて言った。

「町村さん、あなたは美夏さんに協力してもらって会社のお金を着服、いや横領していたのではありませんか。私はたまたま『やまおか』の出納帳簿を見る機会がありました。あなたは三年近くの間に二百万円近いお金を、お店の請求金額を水増しすることで横領していたのではありませんか。そうだとすれば、あなたと美夏さんの関係は、尋常の関係とは言えませんよね。そういう関係のあなたなら、美夏さんと深い関係になってもおかしくありませんし、そういう関係になりそうな人物にも心当たりがあっても何ら不思議ではないと思いますが、いかがですか」

「‥‥‥‥」

 空木の話を聞いているのかどうか、町村は真っ直ぐ正面を見つめていた。

 「‥‥空木さん、人を侮辱するのもいい加減にしてください。そんな根も葉もないことを、仮にも支店長だった私に言うとは、あなたの人間性を疑います。もうこれ以上あなたと話す事はありません。帰らせていただきます」

 町村の顔は真っ赤に紅潮し、その声は近くを散歩している年配夫婦が振り返るほどだった。

 「組織の中で支店長も経験され、今は本社の部長となったあなたなら分かる筈です。部下は上司を選べませんが、上司を見る目は誰よりも厳しいものがあります。嘘をつく人間は上司になってはいけません」

 空木は町村の興奮した状態を見て、推測が当たったと思いながら静かな口調で話した。

 「あなたに説教される覚えはありません。失礼します」

 町村はそう言ってベンチから立ち上がった。

 「町村さん、最後にあと一つ聞かせて下さい。イニシャルHTの知り合いとは誰のことですか。北網記念病院の田中秀己先生をご存知ですね」

「イニシャルHT?‥‥何の事なのか全く分かりませんね。私はこれで失礼します。もう二度とお会いすることはないでしょう」

 町村は捨て台詞のように言って足早に立ち去った。

 時刻は四時半を回っていたが、三十度を超える暑さの中、公園を散策する人はまだたくさんいた。

 二人の話を聞いていた和哉が、空木の横に座り「空木さんありがとうございました」と頭を下げた。

 「残念でしたが、妊娠させた男は町村さんでは無さそうですね」

「そうでしたね。これと言った収穫は無かったですね。空木さんが予想した通り全て否定しましたね」

「収穫が無い訳ではなかったと思いますよ。これからどうするか相談しましょう。深堀さんは今日どうされますか。どこかに泊まられるんですか」

「立川のホテルを予約してありますが、これ以上東京に居ても仕方なさそうなので、今日の夜の便で札幌へ帰ろうかなとも考えているところです」

「この四連休ずっと東京にいるつもりでしたよね」

「ええ、町村さんに会って話を聞けるまで居ようと思っていましたから、ホテルも予約しましたが、空木さんが全て話してくれたので、これ以上居ても無駄かなと思います」

 そう言う和哉の顔は、何か寂しげに空木には見えた。

 「深堀さん、今日これから私の行きつけの寿司屋に行きませんか。立川のホテルもキャンセルして、汚いですけど私の部屋に泊まって行ってください。さっきも言ったようにこれからどうするか、ゆっくり相談しましょう」

 和哉は空木の言葉に、驚いたような顔の中に、嬉しさとほんの少し困惑の色を浮かべて空木を見た。

 「そう言っていただくのは、ありがたいですし嬉しいですが、空木さんのお宅に泊まるのは遠慮します。でも寿司屋さんには連れて行ってください」

 夕方五時近くなった公園には、犬の散歩に歩く人が増えてきた。空木は、きっと今日の夜のオリンピックの開会式を見る為に、犬の散歩を早めに終わらせようとしている人たちなのだろうと、勝手に想像した。


 二人は武蔵小金井駅に戻り、中央線の下り電車で国立駅に向かった。

 「いらっしゃいませ」の平寿司の女将の声に迎えられて店に入った二人は、カウンター席に座った。

 「空木さん、今日は若い方と一緒なんですね」女将はニコニコしながら言った。

「そうなんだ、北海道から来た深堀さんと言うんだ。宜しく頼みます」

「あら、北海道からわざわざこんな所に来てくれたんですか。ありがとうございます。深堀さんは、北海道のお生まれなんですか」

 女将はビールを二人の前に置きながら聞いた。

 「はい、遠軽えんがるの生まれです。あ、遠軽と言っても分からないですよね」

 女将は知らないという様に首をかしげた。

 「遠軽ですか、知っていますよ。瞰望岩がんぼういわと自衛隊の町ですね」

空木は和哉のグラスにビールを注ぎながら言った。

「空木さんよくご存知ですね。行かれたことがあるんですか」

「ええ、札幌にいる頃二回ほど行きました。一回は仕事で、もう一回はプライベートで斜里岳に登りに行く途中で寄ったんです。深堀さんは遠軽生まれなんですか。札幌にはいつから」

 そう言いながら空木は、ビールの入ったグラスを和哉のグラスと合わせて一気に飲み干した。

 「高校を卒業して、遠軽の自衛隊に入ったんです。自衛隊にいた七年の間に重機の免許を取らせてもらい、その後、今勤めている北遠土木工業という、遠軽出身の社長の会社にお世話になることになって、札幌へ来たんです」

「そして、理容店で清美さんと出会ったという訳ですか」

「ええ、まあ‥‥」

和哉は照れくさそうに慌ててビールを口に運んで飲み干した。そして空木のグラスにビールを注ぎ、自分のグラスにも手酌で注いだ。

「ところで空木さんは、今日の町村さんとの面会で何か掴んだんですか。収穫があったようなことを言っていましたよね」

「具体的に明らかな収穫があった訳ではないのですが、横に座っていてあの人の動揺が収穫でした。妊娠のことは兎も角として、美夏さんの失踪の事は早くから知っていた、若しくは早くから知っていた人から聞いていた筈です。それと会社の金を横領していたのも間違いないと思います。恐らく、美夏さんの死についても何か知っているか、もしかしたら関わっているかも知れないと思います」

「でも、町村さんが全て否定している以上どうにもならないでしょう」

「その通り、これ以上どうにもなりません。私たちではね」

「私たちでは‥‥‥」

「深堀さん、札幌に戻ったら警察に町村さんの事を話してみませんか。警察が死体遺棄事件としている以上、町村さんへの聞き取りはする筈です。警察の聴取にどこまで知らないと言い通せるのか分かりませんが、何かしらの進展があるような気がします。いかがですか」

 空木はカウンターに置かれたゲタに乗った鉄火巻きを摘まみ、ビールから焼酎の水割りに変えて飲み始めた。

 「‥‥警察と言えば、昨日札幌を出る前に、清美さんから連絡が来て、警察からノートに書かれているYMとは誰なのか知っていたら教えて欲しい、と聞いてきたので町村さんの名前と住所を教えたという事でした」

「警察がYMを聞いて来たんですか‥‥。あのノートを警察も読んだんですね」

「先週の土曜日に、白骨化した死体がお姉さんだと断定されて、お姉さんの部屋の捜索に来た時に、お姉さんが残した置手紙と一緒に三冊の例のノートも持って行ったんです。町村さんの事は、空木さんの言う通り札幌に戻ったら警察に話してみます」

 二人はしばらくの間、和哉はビールを、空木は焼酎を飲んだ後、「おまかせにぎり寿司」で腹を満たした。そしてお互いに別れを告げ、和哉は立川のホテルへ、空木は事務所兼自宅のあるマンションへそれぞれ帰った。

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