『明るい家族計画【18】』


 携帯電話の画面には、メールの受信ボックスが表示されている。ということは、画面いっぱいにずらりと並んでいるこれらの文字列は、メールの件名の一覧のようだ。それにしても、ずいぶん変わった件名だ。しかもよく見ると、メールの発信元と宛先のアドレスが同じときている。そしてこの受信メールには、誤って削除しまわないよう消去防止のロックが設定されている。

 どうやら母は書いたメールを、あとで読み返す覚え書きとして自分自身に送ったらしい。この時代の携帯電話のメモ機能は貧弱で、文字数や件数の上限がとても少ない。多くの文字を携帯電話に残すためには、こういう方法を取るしかなかったのだろう。

 件名に18という番号が振られているということは、これ以前にも同じ件名で十七通書いたということだ。受信ボックスを検索してみると、思った通り、通し番号が振られた『明るい家族計画』がいくつも見つかった。どのメールも最初に見つけたものと同じように、消去防止のロックが設定されている。

 母はこんな面倒なことまでして、一体何をこの携帯電話に書き残したのだろう。ひどく疲れているというのに、好奇心がうずき始めてしまうともう止まらない。私は試しに、通し番号が最も若い『明るい家族計画【1】』を開いてみた。たちまち目が釘付けになる。予想外の文面に、息を呑まずにはいられない。



▶︎明るい家族計画【1】

 確認のため産婦人科に行った。超音波で見るからと言われ、変な機械を入れられた。痛くはなかったけど変な感じ。結果、やっぱり妊娠してた。どうしよう。できれば、いや絶対に産みたい!

 でも彼はきっと頷かない。ということは、好きなだけ抱いておいて子供ができたらポイ? ふざけんな。女を何だと思ってる。お前の抜くタイミングが遅いからこうなったんだろ。下手くそ。早漏。自業自得だ。



 他のメールも読んでみたところ、この携帯電話の持ち主は母で間違いない。ならばメールの中で語られている妊娠とは、間違いなく私のことだ。

 自分を産む前の、知る由もなかった母の胸の内。『明るい家族計画』の正体がわかると、私の胸はたちまち早鐘を打ち始めた。疲労と眠気のせいで重かった瞼はすっかり開いて、たった今まで自宅の布団を恋しく思っていたことが嘘のようだ。目と指は脳の指令を待たず、すでに次のメールに向かっている。私は否応なく、古い携帯電話の中で眠っていた家族計画書へと引き込まれていった。



▶︎明るい家族計画【2】

 一晩寝て考えた。もし産んでも、彼は私のものにはならない。となると、生まれてくる子は間違いなく父無し子になる。本当にそれでいいのだろうか。今、私のお腹の中にいるこの子は、それでも許してくれるだろうか。

 待て。この子がそうならずに済む方法は二つ。一つは、彼が今の家庭を捨てて、私と一緒になってくれること。まず無理だと思うけど、私もどうにか頑張って仮にそうなったとする。でもそれだと、彼の奥さんや子供は私たちのことをすごく恨むだろうし、それ以上にすごく悲しむと思う。それはできない。この子を、誰かの不幸と引き換えに産まれた子にしたくない。生まれながらに自分を恨む人間がいる世界になんて、あなたは生まれてきたくないでしょう?

 父無し子を回避する二つ目の方法は、そもそも産まないこと。これもやっぱりできない。でも、彼や彼の家族が私の妊娠を知ったら、絶対こっちを押しつけてくるはず。何もなかったことになるわけだから、この解決策が最も簡単でシンプルでしょ、って。はあ? 簡単? シンプル? 馬鹿にすんな! 私にとっては全然簡単じゃないし、彼との複雑な関係、私が抱いている複雑な感情を、シンプルイズベストみたいな常套句で片づけるなっての!

 考えるだけ無駄だった。ごめんね、やっぱりお父さんは諦めてもらうしかなさそう。でもその分、お母さん頑張るから。それで許してくれる? 許してくれるよね。だってお母さん、すでに命が宿っているあなたを殺す選択なんて、何があっても絶対にできないんだもん。


▶︎明るい家族計画【3】

 妊娠を伝えたら、案の定黙り込んだ。だからこっちから言ってやった。産みたいって。

 まさかあんなに取り乱すとは思わなかった。約束が違うって何? 誰がいつ、どんな約束をした? 不倫相手は子供を産まないなんて、ずいぶん都合のいい思い込みじゃない? 私がどうしてもこの子を産みたい理由、あなたは本当にわからないの?

 どうして惚れちゃったんだろう。あんな薄情な目をする男が、私とお腹の子の幸せを考えてくれるわけがない。でも堕ろすなんて絶対に嫌。今もお腹の中で生きてるのに、可愛くてたまらないのに、あの人が私を愛した何よりの証なのに。

 悔しい。あんなひどいこと言われたのに、それでも嫌いになれない。私は本当に馬鹿なのかもしれない。でもいい。馬鹿だとしても、この子の命を守りたいって気持ちは失っていないから。だって、自分の子なんだよ? あなたと私、一緒に汗水垂らして作ったじゃない? どうして簡単にいらないって言えるの? そんなこと言えるほうが、頭のネジが何本も足りてないんじゃないの?



 画面から目を外して、何度も深呼吸を繰り返した。微かに手が震えている。胸が詰まって息苦しい。激しい鼓動が耳の奥で鳴り響いていて、まるで誰かが頭の芯を乱暴に打ち鳴らしているかのようだ。

 私はこの携帯電話の中で、生死の境を彷徨っている──。若かりし日の母の苦悶が、ありありと目に浮かんだ。この先の展開に、恐怖を感じないわけにはいかない。しかしそれでも、指は勝手に家族計画の続きを開いていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る