第2話『人魚が涙を流した後は』③

「あぁは言ったけど、実際どうすればいいのかしら」


「今回の依頼ですか?」


「えぇ。拒否するのは前回と変わらないけれど、今回はあの子が今のままが良いって望んでいるのよ。そうなると、こっちも動きにくくなるわ」


はぁ、と何度目のため息をついているのか分からないケイ。冷たく突き放されたわけではないけれど、何か目に見えないよくないものが彼女の中にズブズブと入っていくのだけは私にも分かる。


あれは、良くない傾向だ。


人が何かを間違えた時に気づかずに進んでいることがあると、お父さんが言っていた。しかし、それよりタチが悪いのが『悪いと分かっていながらその間違いに浸かっていること』だと、テレビを見ながら言っていたような。


「あの、いつも思っていたのですが」


「んー? 何よー」


「ケイは何故、いつも依頼者の人たちと話をするのですか? 他の人はタイミングを見計らってサクッと刈り取るって聞きました」


「誰から聞いたのよ、そんなこと」


「ランプさんです」


「あんのクソランプ……存在ごと燃やしてしまいたいわね」


物騒ですよ、と注意すると「冗談よ、冗談」と手をひらひらさせていた。正直、ケイの冗談は本気にしか思えなくて怖い。そのうち本当にランプさんを燃やしてしまいそうだ。今度彼に謝罪しておこう。


「特に理由なんてないわよ。ただ、自分の中で『こうしないとダメだ』って思っているだけ。もしかして、生前の記憶と関係があったりして」


なーんてね、と笑いながら地上を歩いている人たちを見下ろした。ヒューヒュー鳴っている風は相変わらず強いようで、分厚いローブがはためいている。ケイの生前の記憶。私は植物状態になったままの幽霊だから記憶がある。正直、あまり思い出したくもないけど。でも、何も覚えてないとなるとまた話が変わってくるのだろう。どこまでもこの世界は冷たくなれるようだ。


「とりあえず、あの子の行動を見ていた方がいいかもね。チャンスが来るかもしれないし」


「分かりました。あ、彼女の言っていたことは守ってくださいね」


「分かっているわよ、はいはい」


また適当な返事をしている彼をジトーッとした目で見ると、「本当にわかっているから!」と手をアワアワと動かしていた。何も言わなくて通じるとは。一緒にいる時間が増えていくたびに互いの境界線が曖昧になっていく。仲が良いと言われたら、私は否定をするだろう。だって、物理的に離れることができないのだから。


「さーて、あの子はどこで働いているのかしら?」


「覚えてないのですか」


「そ、そんなわけないでしょ! えーっと、確か新宿にあるって書いてあったような……」


トントンと頬らへんを叩きながら思い出しているらしい。こんなことがあるから破いたりしなければいいのに。はぁ、とため息をついていると「あ、そうそう!」と言いながら手をポンっと叩いた。


「確か、あのホストクラブの近くにあるコンセプトカフェって書いてあったわね」


「コンセプトカフェ? 喫茶店ですか?」


「それとはちょっと違うわね。あーまた変なところ連れて行かないといけないのね……」


深く深くため息をついたケイは面倒臭そうに顔を掻いていた。喫茶店とは少し違うとは、どう言うことだろうか。カフェと言うのはコーヒーやジュース、軽食を出すようなお店のはず。


何回はお母さんに連れて行ってもらったのを今でも覚えている。家で飲むオレンジジュースと違ってお店のジュースが何倍も美味しいと感じるのは不思議だ。


何やらボソボソと呟いている時計頭の彼。行かなくていいのかな、と考えながら黒い点々を見つめる。時折、黒髪ではない異色が混ざっているのを見ると間違い探しのようで楽しくなってきた。あ、苺みたいな色をしてる人いる。あっちはブドウかな。


「美味しそう……」


「何、お腹空いたの?」


「いえ、ここから見ると人の頭って小さいから果物みたいだなって」


「あぁ、派手髪のこと? まぁここはあんな髪色していても働ける人が多いからね。にしても、カラフルねぇ」


私の言葉に気づいた彼は同じように下を見下ろした。昨日のように何十階ある建物の上ではなく、大体一桁の階数しかない建物の上にいる。風の強さはあまり変わらないのだが、地面に近くなった分人の顔がよく見える。視力が良いのは生きている時と変わっていないようで、誰がどんな表情をしているのかここからでも見えた。


「あ、あれ、和泉さんでは?」


「え、どこどこ?」


「ほら、あれですよ。あの真っ白なひらひら日傘をさしている人です」


指差す先に見えたのは、暗くなってきているにも関わらず日傘を使っている人。上から見ると、真っ黒な頭の中に一人だけポツンと白が動いているので分かりやすい。未だキョロキョロしているケイ。あんなにも目立つのになぜ見つけられないのか。少し焦ったくなり、立ち上がった私はガシッと彼の頭を掴んで彼女が見える方向へ動かした。


「あそこですよ! ほら、見えるでしょう?」


「わ、わかったわかった! 見えるわよ、見えるから! 離しなさい!」


自分の中ではかなり強く掴んでいたのだが、慌てたように手で振り払おうとするケイ。パッと手を離すと、「全くもう」とぶつぶつ何かを呟いているようだった。私が揺らした時計頭を手で押さえて元の位置に戻す。


「よし」と言っているけれど、特に何も変わっていないような。クラスのおしゃれ好きな女の子たちが前髪を触っていたけど、同じ感覚なのかな。彼に関することは不思議でいっぱいだ。


「あ、あれね。あんな格好していると目立つわねぇ」


「でも、可愛いですよね」


「何、あんたあの服着たいの?」


「え。いや、そんなことは……」


違うの? と首を傾げている彼は心底不思議そうにしている。私、そんなこと言ったことあったかな。今は真っ白なワンピースを着ているけど、いつもはズボンを履いていることがほとんどだった。お母さんがスカートを許してくれなかったから。


お買い物に出かけた時、ガラス越しに何度もひらひらの可愛い服を眺めていた。今更着てもなぁ、と頭の中で考えていると「あ、中に入った」との声が。


「どうしますか?」


「どうするって、私たちも行くしかないでしょう? でも、あの子にだけ見えるのよねぇ」


「じゃあ、天井から見ましょうよ。それならバレませんよ」


「そうね、そうしましょ」


納得したらしいケイは肩に抱えていた鎌を杖代わりにして、「よいしょ」と言いながら立った。最近、彼の言動が少しずつ老けているような。私から見ると、お兄さんと話しているイメージなのだが時々おじさんっぽく見えてくる。この前それを話したら、「あんたもいつかこうなるのよ」と言われた。半分死んでいるようなものなのに。


「ほら、行くわよ」


「あ、はい」


スッと目の前に差し出されたローブを掴んだ。真っ黒な闇の中に紛れるのにはちょうど良いローブ。分厚さがあるそれをギュッと握りしめると、大鎌をくるりと回転させて私たちは消えた。


次に目に入ってきたのは若干暗闇の天井裏。埃っぽいのだが、霊体である私たちにとってはそこまで気にする必要はない。下から漏れ出る光と大音量の音楽が、昨日のホストクラブと似たような場所だと知らせているようだ。


「せっまいわねぇ。中に入っちゃいましょうよ」


「ダメですよ。あくまでも、見守るために来てるんですから」


えー、と文句を言っている時計頭の彼。確かに彼が座るとギリギリ天井に届くか届かないかくらいの低さ。私は余裕あるのだが、少しでも動くとガンッと音が鳴る彼には大変だろう。どうにか解決方法がないかと考えていると、「えーウケるー!」という甲高い声が聞こえた。


「お兄さん、コンカフェ初めてなんですかぁー? かーわーいーいー」


「いやいや、こんな可愛いお姉さんに相手してもらえるなんて思わなくて」


「ありがとうございますぅーあ、空いてるグラスお下げしますねぇー」


「……大変な仕事ねぇ」


ぼそっと呟いた言葉に何度も頷いた。カウンター越しに話をしているのは二人の男性と和泉さんの三人。他にもお客さんがいるようなのだが、店員さんらしき人たちは皆同じようにニコニコしながら話し相手をしている。


飲み物や料理を提供しているのは私の知っている喫茶店と同じなのだが、店員さんの服が明らかに違う。なんと表現すればいいのか分からないのだが、フリフリのエプロンに中身が見えるんじゃないかと思うほど短いスカート。ひらひら動いている彼女たちの服を鼻の下を伸ばしてお客さんたちは見ていた。


「普通の喫茶店じゃないのですね」


「そりゃそうよ。彼女たちのお仕事は、あんな感じのお客さんを相手にすることなんだから」


「ホストクラブの男性たちと似ています」


「まぁ、そうね。水商売に近いからね」


水商売、と自分の口の中で再生した。聞いたことがある。夜中、トイレで目が覚めた時にお母さんがテレビを見て言っていた。『水商売なんて、はしたない』と。言葉の意味が分からなかった私はそのまま用を済ませて寝室に戻った。だが今はなんとなく想像ができる。


「人を楽しませるのがお仕事なのですね」


「え? まぁ、そうね。間違ってはないわ」


「素晴らしいです。はしたないなんて、どうしてそう思うのでしょうか」


母親の話すことだけを聞いて生きていた私にとって、彼女の生き方は不思議だった。『男に媚びを売るなんて』と繰り返し呟いていた母親。同じ女性なのに、どうしてそこまで悪く言うのだろうか。


同じように生きていて、彼女たちは彼女たちなりに働いているのに。微かに見える隙間からは彼女の表情は見えないが、お客さんは楽しそうだ。彼らもきっとこの空間が好きで来ているのだろう。何も見ていない人間が、頭ごなしに否定するのはいかがなものだろうか。


「人によってはそう思うのよ。自分はあんな人間にならないってね」


「そんなことを言えるほど、偉いのですか?」


「あんた、たまにとんでもないこと聞いてくるわね。まぁ、そんなこと言う奴らは大体『自分はこんなところで終わらない』とか言って自分を過大評価しているのよ」


「過大評価、ですか」


「そうよ。どいつもこいつも、自分のことばかりで嫌になっちゃうわね」


やだやだ、と頭を横に振っているケイ。ゴンっと当たったようだ。痛がっているのを一切見ることなく、じっと魔法の空間を見つめていた。あっちこっちへ動いている彼女は終始笑顔で話しかけてはお客さんの話を頷いて聞いていた。


「あ、外に出るみたいです」


「休憩かしら」


「会いに行きましょう」


「いや、あんたがやめた方がいいって言ったんじゃない」


「少しだけでいいんです。行きましょう」


ぐいぐいとローブを引っ張る私を見つめる彼。「仕方ないわねぇ」とため息をついたかと思うと、パチンッと指を鳴らした。

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