第2話『人魚が涙を流した後は』②
初めて彼に出会った時のことを今でも覚えている。
私はいつの間にか死んでいたようで、その霊体がふよふよとそこら辺を漂っていたとか。見つけたのがケイと聞いている。しかし現実の私はまだ死んではいなかったらしい。
植物状態になっており、いつか目を覚ますかもしれないと言われているとか言われてないとか。このことを神様に聞いた時には「ちゃんと仕事してください」と言ってしまったのだが、後ろでケイさんが爆笑していたのを覚えている。
何か変なことを言ってしまったのだろうか。
「今回の人は、何を刈り取るんですか?」
「喜びの感情よ」
「そうですか。いつもは悲しみとか苦しみとかが多いのに」
「さぁね。今回は違うんじゃないの?」
人、多すぎるわよと文句を言っている時計頭の彼は人と人の間を縫うように歩いていく。普通の人には私たちを見ることができないので気にならないだろう。でも、私たちからしたら見えていない分不便だ。迷子になった探すのに苦労する。
懸命に足を動かして立方体の頭を見つめながら着いていく。眠らない街と言われるだけあって、あちこちから光やら音やらが響いている。生きている時にこれほどまでに輝かしい街を見たことがない。霊体になっているのに目がチカチカしそうだ。
「ここよ」
「ホスト、クラブ……? これは、何のお店ですか?」
「お金を払って男性に相手をしてもらうところよ」
さらっと説明をされたのだが、いまいち分からない。お金をわざわざ払って相手をしてもらうなんて、意味があるのだろうか。私は学校に行けば男子と普通に話しているのに不思議だなぁ。派手に光を放っている看板を見上げ、首を傾げた。世の中には私の知らないことがいっぱいあるのだろう。
どんなことをするお店なのか想像をしていると、「中、入るわよ」と開いていない扉を通り抜けて行った。
普通の人には見えないと言うことは、壁や扉をそのまま通り抜けることができるってこと。ぶつかることもないので安心だが、存在していないと思い知らされると心が苦しくなる。無視されるって、こんな気持ちなのかな。キュッと自分自身の服を掴んでズンズンと進んでいく彼の後ろを追いかけた。
眠らない街はなかなかに騒がしかったのだが、『ホストクラブ』はそれ以上に大きな音と煌びやかな光に包まれていた。いや、包まれているというよりも放っていると言った方が正確かもしれない。
「あの子ね、和泉みいなさん」
「何か話しているみたいですよ?」
「関係ないわ。むしろ、今が一番のチャンスよ」
行くわよ、と言って数メートル先に大きな声を出して「キャー!」と叫んでいる女性の元へと歩いて行った。周りには噴水のように髪の毛を浮かせた男性がビンを持って「ウェーイ!」と雄叫びをあげている。異様な光景に戸惑いつつも彼女の目の前で止まったケイの元へ駆け寄った。
「あなたが和泉みいなさん?」
「えー? なぁに、あんただれぇー?」
「うっわ、ベロンベロンじゃない。一体何を飲んで……あぁ、これね」
舌足らずな話し方をする和泉さん。後ろからこっそり覗いていると、キラキラと光る大理石のような机には大量のビンが置かれていた。恐らく中身はお酒だろう。あまり種類を知らない私からしたら何がどんなお酒なのか分からない。じーっと見つめていると、「ちょっと、話聞いてんの?」とイライラしているケイが話しかけていた。
「えぇー? お兄さん、遅めのハロウィンでもしてんのぉー? まじウケるー!」
「酔っ払いって、何でこうも面倒なのかしら」
「私はぁ、酔っ払ってない! もん!」
ため息をついている彼は頭のてっぺんに手を当てている。まぁ察するに呆れているのだろう。家族にお酒を飲む人がいなかった私でも分かる。酔っ払いの相手は面倒なのだと。
どうするのだろうかと様子を見ていると、周りにいた男性たちが不審な目で彼女を見ていた。互いにヒソヒソと話しているのだが、時々「こいつ、やばくね?」と言っているのが聞こえてきた。
「ついにやっちまったか?」
「いや、まだ酔ってるだけだろ。おら、早く会計させろよ。他の客が待ってる」
「うっす」
互いに何かを確認するように話をしている彼らは一人、また一人と彼女の元から離れて行く。何をそんなにコソコソする必要があるのだろうか。私たちが見えない男性陣は和泉さんをどうするか話しているようだ。私はじっと見つめていると、ケイは「仕方ないわねぇ」と言いながら肩に担いでいる鎌を地面につけた。
「このままじゃ話にならないわ。ほら、歩きなさい」
コンコンと地面を二回叩くと少し不自然に立った和泉さん。まだ何か言っているようだが、「お会計はどうするのよ」と彼が聞くと、「つけでぇーす」とピースサインをこちらに見せていた。彼女の言葉に「かしこまりましたぁー!」と大きな声で一人の男性が言ったのでドキッとした。いきなり大声を出さないでほしい。こっちの心臓に悪いじゃないか。
どうにかして外に出ると、深夜に近い時間帯なのにまだ人がうじゃうじゃいる。ここでは目立ってしまうのでどうにかして道の端へと連れて行った。
「ほら、ちゃんと歩きなさいよ」
「んー……むりぃー」
「はぁ……なーんで死んでから酔っ払いの相手をしなきゃいけないのよ!」
「面倒なら家まで運んであげましょう。下手に歩かせると目立ちます」
「そうね、そうするわ。ほら、私の肩を掴むのよ!」
ほとほと困っているケイに提案をすると、すんなりと受け入れていた。いつもは考えたり渋ったりしているのに。本当に困っているのだろう。少し面白いけれど、そんなこと言ったら拗ねてしまうので黙っておくことに。フラフラとしている彼女になんとか肩を掴ませてもう片方の手で鎌を持った。
「黎、あんたこれ回せる?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、頼んだわよ」
差し出された大きな鎌を自分の体で支えながら持つ。そこまで重くもないのだが、軽くもない。自分の倍以上あるものを扱うのは大変だが、今のケイには無理だろう。少しだけフラフラしながら、くるりと一回転すると私たちの姿は消えた。
くるりと大鎌が回転された後、私たちが着いたのは小綺麗な部屋だった。どこにでもありそうな、一人部屋。ベットに小さい机、そしてクローゼット。その机の上にはたくさんのメイク道具が散乱しており片付けが苦手なのかな、とひかりさんを思い出した。持っていた鎌を横にすると、幾分か重みが消えた。
「ほら、あんたの家に着いたわよ。しっかりしなさい!」
なんとか立っている状態だった彼女は完全にケイに寄りかかっている。土足のままで部屋に入ってきてしまったが、仕方ないだろう。よくよく彼女を見ると、可愛らしい服装をしていた。
ピンクの生地に黒のリボンが大きく胸元についており、女性らしさをひしひしと感じる。いいな、こんなにも可愛い服を着れるなんて。私ももう少し生き延びていたらこんな服が着れたのかなと考えていると、どさっと和泉さんを布団の上に落とした。
「もう少し丁寧に扱った方がいいと思いますよ」
「何言ってんのよ。十分丁寧に扱ったでしょう? ほら、靴を脱がせて。私もう疲れちゃった」
はーあ、と大袈裟に言い両手をバンザイしているケイ。疲れたアピールをしているのだろう。仕方ないと思い、上半身だけ倒れている彼女の靴を脱がせた。私がよく履いていた運動靴とは違い、真っ黒な靴。高さがあるようで、靴底が分厚くなっている。シークレットシューズみたいだな、と思い脱がせたそれらを端っこに寄せた。
「これからどうするのですか?」
「どうするって、目が覚めるまで待つしかないんじゃない? このままじゃ刈れないし」
「そうですか。困りましたね」
ぐーぐーと心地よさそうに寝ている彼女、和泉みいなさん。こんなにも可愛い格好をしているのにお金を払ってまで男の人に相手をしてほしい理由は何なのだろうか。立ったままの私は部屋を見渡した。
机の上に置かれていた化粧品に目が行っていたのだが、ベッドの下に透明の箱が一つ。こんなところに置いてあるものと言えば、秘密にしたいものだったりするのだろうか。見てしまったからには何が入っているのか気になる。人様の家だけど、どうしよう。一人で脳みそを回転していると、「んー……」と声が。声のする方を見ると、目を擦りながら体をこした和泉さん。
「あれ、私、いつの間に自分の部屋に……って、誰? え、私また変な人家に入れた?」
「変な人って失礼ね。さっきホストクラブで声かけたじゃない。覚えてないの?」
「ホストクラブで? うーん……あ! あの時のコスプレした人だ!」
「誰がコスプレよ! これでも死神なんだからね!」
えーと言っている和泉さんは、あのお店にいた時と少し話し方が違うような。こちらの方が素の性格なのだろうか。「あの」と私が声かけると、「え、子供もいるの!」と叫んでいた。
「いきなりお邪魔してすみません。私たち、和泉さんの感情を刈りにきました」
「え? 刈り? 私、何か刈り取られるの?」
「そうよ。あんた、今までずっとこんな生活していたの? このままじゃ私たちが刈り取らなくても人として終わるわよ」
「そうなの?」
「はい。だから、早めに終わらせようと思って」
「ふーん。別に、そんなことしなくていいよ」
ケロッとした顔で私たちに話している彼女。危機感がないと言えば分かりやすいのだが、それ以上に何だか違和感がある。前回のひかりさんとは違って、誰かに助けを求めているわけでもないというか。むしろ、自ら進んで深い深い沼に入りに行っているような。そんな感覚。
立ったままだった私は彼女に「座りなよ」と言われ、大人しく隣に正座した。
「そのさ、感情を刈り取ったらどうなるの?」
「あんたの今やってるそのしょうもない自己犠牲がなくなるわ。健康で文化的な生活ができるようになるのよ。あと少しで破滅しそうなの」
「自己犠牲? もしかして、ホスト通いのこと言ってる?」
「当たり前じゃない。あの店、どう考えてもあんたのことカモとしか思ってないわよ」
辛辣なケイの言葉が彼女に刺さったのか、「ふーん」と反応した後床を見ていた。さすがにそれは言い過ぎではないだろうかと思い、「和泉さん」と声をかけた時だった。
「別に、そんなの分かってるよ」
あっけらかんとした顔で天井を見上げた。
「分かっているって、どういうことよ」
「そのままの意味だよ。私は客としてあの店に行ってお金を落としているの。それに、お姫様のように扱われているのが快感なの。誰にも必要とされなくなった瞬間、私の鮮度は落ちたも同然。それだったら死んだ方がマシ」
真っ白な紙で包まれたタバコを咥えて、どこから出したのか分からないライターで火をつけた。「あ、タバコ平気?」と私に聞いてきた彼女に頷き、ふぅーっと吐いた白い煙は同じく真っ白な天井と同化している。
「自己犠牲だとか、よく分かんないけどさ。私にとっての居場所はあそこなの。あそこがなくなったら、私は水中のようなこの世界で上手く呼吸できないよ」
「……そう。でも、私たちもこれが仕事だからどうにかしてもらうわよ」
「お好きにどうぞー あ、今度来る時は人がいないところにしてよねー?」
「はいはい、分かったわよ。黎、行くわよ」
「あ、うん」
立てかけていた大鎌をケイが担ぎ、窓へと向かう。こんなことを忠告された和泉さんは変わらずタバコをふかしており、白っぽい煙が部屋の中を漂っていた。ぎゅっとケイの裾を掴んで、最後の最後まで彼女を見ていた。何を考えているのか分からない彼女の顔が、どうしても視線を逸らすことができなかった。
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