第2話『人魚が涙を流した後は』①
何回目の冬が回って来たのだろうか。
月を捕まえようとして落ちた私が幽霊になってどれほどの月日が経っているのか。全く見当もつきそうにない。
「今日は満月になるみたいですよ」
「ふぅん。興味ないわね」
「都会の人はあまり満月を見ないようですね」
高い高いビルの上から道行く人々を見つめた。空は雲ひとつない綺麗な夜空なのに、誰も見上げることはなく過ぎて行く時間。風に煽られているのか、大きなローブがハタハタと動いている。夏は暑そうだなと思っていたのだが、そもそも死神は暑さを感じないらしい。私も等しく暑いや寒いを感じることがない。幽霊となってしまった今、小さな心配は不必要のようだ。
「今回はどこへ行くのですか?」
「さぁ? もうそろそろ伝達が来るらしいけどね。あーあ、なーんで死んでからも働かないといけないのよ」
「それはギムと言うのではないですか? 働かない大人は国民のギムを放棄しているってお母さんが言っていました」
「なんてことを教えているのよ、あんたの母親は」
カシャン、と担がれた大きな鎌を持って貧乏ゆすりをしているケイ。何かイラつかせるようなことを言ってしまったのだろうか。大人というのはよく分からない。正しいことを言っていると言う割には意外と自分に甘かったりする。自分の両親しか見ていないけれど、つくづく不思議だ。
見下げているこの街は、ケイ曰く『眠らない街』らしい。街が眠ると言う方がおかしいと思うのだけど、例えで言っているとか。意味が分からないまま頭を傾げていると、「夜でも明るい場所ってことよ」とだけ言ってそっぽを向いてしまった。
今日はあまり機嫌が良くないようだ。子供みたいと思ってしまうけれど、心の余裕があまりないのかも。
「大丈夫ですよ。私はいつでも平気です」
「あんた、失礼なこと考えてたわね?」
「そんなことないですよ。今日はあまり機嫌が良くないケイのために、私が一生懸命頑張りますから」
堂々とした言い方で、両手を腰に当てた。これでも『頼れるお姉ちゃん』と言われているのだから。一人っ子らしくないと言われるが、正直あまり気にしていない。周りに頼られることは好きだから。だから、ケイにも遠慮なく言って欲しいのだ。
じーっと見つめていると、「はぁ。私が悪かったわ」とため息を吐かれて終わった。おかしいな、喜んでくれると思ったのに。張っていた胸を縮こめて落ち込んでいると、「はぁい!」とご機嫌な声が聞こえてきた。
「やぁやぁ、ケイに黎ちゃん。元気してるー?」
「あ、ランプさんだ! こんにちは!」
「はい、こんにちはぁ。元気がよくでいいね。ほらほら、ケイはー?」
「何で私も言わないといけないのよ。早く今回の話をしなさい」
「ちぇっ つれないなぁ。黎ちゃーん、こいつなんて放っておいて、俺と一緒に行動しようよぉ」
「ごめんなさい。それはルール違反だと聞いたからダメですよ」
「うっ しっかりしすぎておじさん泣きそう……」
シクシクと言いながら泣いているふりをしているのは、ランプさん。顔がないのだから、泣くこともできないと思うんだけどなぁ。でもそんなことを言うと更にいじけてしまうので、「泣かないでください」と頭だと思われる金属部分を撫でた。熱さを感じることはないが、ボッと中が明るくなったので喜んでいるのだろう。密かにホッと胸を撫で下ろした。
「さっすが、黎ちゃん! 優しいねぇ」
「えへへ。ありがとうございます」
「ちょっと、今回の依頼はまだなの? 早くしなさいよ」
「へいへい。分かってるよ。ほら、これだ」
私の頭を撫でていたランプさんは持っていたカバンの中から紙らしきものを出してきた。教科書と同じくらい厚さのあるそれは、読むのには時間がかかりそうだ。じっと見つめるケイさんはピタッと動きを止める。時計の針だけが正確に時間を表示しており、それ以外は呼吸も止まったのではないかと思った。
「……これ、まーた面倒な人間を押し付けて来たわね?」
「あれ、バレちゃった? いやぁ、神様がそうしろって言うからさぁ。仕方なく俺は持って来たんだよー?」
「クソ神が! 私への嫌がらせかしらねぇ!」
「口と態度が悪いお前が悪いんだよ。な、黎ちゃん」
「そうですよ、ケイさん。もう少し直したらどうですか」
「うるさいわねぇ! これでも直してる方よ!」
プンスカ怒りながら愚痴を吐いている彼は「イライラするー!」と握っていた紙をくしゃくしゃにして捨てた。「あっ」と声を出したビュービュー吹いている強風に乗ってそのままどこか遠くへと行ってしまった。
「あーあー……俺、知―らねー」
「あ、ランプさんっ」
「じゃ、依頼遂行よろしくぅ! またね、黎ちゃん!」
ヒョイっと軽く後ろに下がり、そのまま闇夜へと消えてしまった。急いで立って振り返ったのだが、無駄だったようだ。夜を照らす役割をしているはずの彼が消えると、少しだけ心細い。依頼内容が書かれた紙は消えてしまったし、どうしようか。私も確認したかったなぁ。毎回いきなり現れて突然消えるのだから仕方ない。立ったままでは風で飛ばされそうなので、もう一度ケイの隣に座り直した。
「どうしますか?」
「どうするって、行くしかないわよ。はーあ。また厄介な人間を担当するのねぇ」
ヤダヤダ、と首を横に振っているようでゆっくりと腰を上げた。肩に乗せていた鎌を持ち直し、「行くわよ」と声をかける。数回頷き、いつも通りキュッと彼のローブを掴んだ。
「じゃ、
彼の一言に私は「分かりました」と返事をした。それと同時に大きく半円を描くように鎌を振ると、私たちの姿はスッと眠らない夜の街へと消えた。
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