7-4

自我じが境界きょうかい再定義さいていぎですか……驚きました。シャオリン、きみはすごい子ですね』


「いや、正直ばかくそつらいよ。今すぐ悪魔の中に戻りたい」


 小鈴がため息をつきながら言った。


『そうまでして外に出てきたのは、一体どんな事情じじょうですか? なにか不備ふびがあったのでしょうか。聞かせてもらえれば改善かいぜんできますが』


「ううん、完璧かんぺきだったよ。さすが悪魔」


『では、何が』


「一個だけ文句を言いに来たんだよ。この座り込んでるおバカさんにね」


 そう言った小鈴は、背中しに視線しせんを向けてきた。


「ねえ、ちなみちゃん」


 名前を呼ばれて、顔を上げる。すると小鈴は「なにその顔」と笑ってこう続けた。


「確かにちなみちゃんは戦いが上手だけど、そんなのはどうでもいいんだよ。小鈴にとっての『穂高ちなみ』はね、おバカでドジでうっとおしくて、明るくてお人好しでたまにかっこいい。小鈴はそういうちなみちゃんが好き」


 少しはにかんでから、小鈴が言葉を続ける。


「誰になんて言われても、全世界の人間から忘れられても、ちなみちゃんはちなみちゃんでいいんだよ。そうじゃなきゃ絶対にイヤ。だから、むねって『私は私だ!』って言ってよ。そういうの得意とくいでしょ」


 ――私は私でいい。


 そう言われて、ちなみは涙があふれるのを止められなかった。というよりも、小鈴に名前を呼ばれた時点でもう泣いていた。


 うれしかったのもあるし、安心したのもあって、子供みたいにわんわん泣いてしまった。もう高校二年生なのに、こんなに大泣きするなんてずかしすぎる。小鈴も心なしか引いているように見えた。だというのに、涙は全然止まってくれそうにない。


「顔やばいよ、ちなみちゃん」


「みないでよぉ~……」


 ぐしぐしと涙をぬぐうちなみを見て楽しげに笑った小鈴は、再び正面を向いて〈ザミエル〉に話しかけた。


「ごめんね、悪魔。ちなみちゃんがこんなだから、もう少し一緒にいてあげたいかも」


『それは難しいかもしれません。ボクの躯体くたいは、再びシャオリンを取り込むために今にも動き出そうとしています。もう契約けいやくは完了へと向かっている。一度始まったものは止められない――これは変えようのない世界のルールです』


「それでも、もう少しわがままを聞いてもらうよ」


 小鈴は不敵ふてきに笑い、こう続けた。


超人体顕現オーバード・スケール


 その光景にちなみが息をのむ。


 小鈴の影から無数むすうの黒い触手しょくしゅが伸び、まゆのように少女の身体を包み込む。それが急速きゅうそくに伸びあがり、三メートル弱の人型に変化した。全身からトゲが生え、右腕に巨大な武装が出現し、影が溶け落ちてその全身があらわになった。


 〈超人躯体オーバード・フレームイフェイオン・ヴォイド〉。


 人智じんちえた存在であるネイティヴ・スケールではなく、ヒトのままヒトを超えた力を行使こうしするオーバード・スケール。それは、ヒトである小鈴が悪魔の力をうばい取って構築した超人躯体だ。


 その姿は〈イフェイオン〉そのものだったが、ライムグリーンの鎧は退色たいしょくして緑っぽいグレー色に変わっている。その代わりにツノの一部があざやかなオレンジ色に変わっていて、〈イフェイオン〉の時には所持しょじしていなかった大型のシールドを装備していた。


『シャオリン、きみは本当にすごい子です』


 言いながら、〈ザミエル〉が片手剣を出現させた。


『そのわがままを聞いてあげたいところですが、もう止められそうにありません。ボクの躯体くたいは全力できみを取り込もうとしてしまう。イフェイオンを使おうと、成体の悪魔に勝利するのは困難こんなんです』


『そうだね、悪魔の言う通りだよ。こんなパクり躯体でフル装備の悪魔になんて勝てっこない。だからさ』


 〈イフェイオン〉が顔だけ振り向いてちなみの方を見る。その真っ赤な両目は、ちなみに笑いかけているように見えた。


『小鈴を助けに来てよ、ちなみちゃん。昨日みたいにかっこよく!』


 そうだ。


 こんなところで泣いている場合じゃない。まだ、ちなみにもできることがあるはずだ。


「……わかった!」


 元気よく返事をしたちなみが、涙をこらえて立ち上がる。そして、〈ヴェスパ〉のガレージがある森に向かって一目散いちもくさんに駆けていった。



   *****



「それにしても、悪魔はちなみちゃんをさそうのが壊滅的かいめつてきにド下手だったね。一世いっせい一代いちだいの告白なら、もっと優しくしてあげなきゃダメだよ」


 小鈴が言った。


 〈イフェイオン・ヴォイド〉が全力で路地ろじを駆け、〈ザミエル〉から逃げ続ける。


『下手、ですか。可能な限り、ボクの親愛しんあいを伝えたつもりなのですが……』


 翼を広げた〈ザミエル〉が上空を飛ぶ。このままではすぐに追いつかれてしまうだろう。


「それがダメだったんだよ。ちなみちゃん、あの時すっごい落ち込んでたでしょ。あれはよくないよ」


 色褪いろあせたライムグリーンの巨人が大通りをすべって急停止し、右腕の大盾おおたてと左腕の長槍ちょうそうを構えた。


『やはり、ヒトの感情は理解しがたい』


「じゃあさ、小鈴と一緒にもう少し勉強する?」


『そうですね』


 〈ザミエル〉が急降下し、〈イフェイオン〉の元に向かう。赤銅色しゃくどういろの悪魔が振り上げた片手剣と、色褪いろあせた巨人が構えるやりはげしくぶつかりあった。


『そうできるのなら、ボクとしてもうれしいです』



   *****



 ちなみは全速力で大通りを走っていた。


 びしょれになったブレザーを脱ぎ捨てる。ネクタイを外して投げ捨て、シャツのすそをスカートから引っ張り出す。ハイソックスもぎ捨てて、素足すあし上履うわばきをきなおす。


 これでかなり動きやすくなった。いっそシャツもスカートも脱いでしまいたかったけれど、誰もいないとはいえさすがに恥ずかしいのでそのままにしておく。


 ここからガレージまでは直線ちょくせん距離きょりで五キロもはなれていて、ちなみが強化人間であることをまえても十五分以上はかかってしまう計算だった。〈ヴェスパ〉が時速五十キロで走行したとしても、往復おうふくで二十五分以上は小鈴を待たせることになる。


 はやる気持ちを押さえつけ、ひたすらに足を動かす。


 雨足あまあしは弱くなっているものの、れた地面は滑りやすくて何度も転びそうになった。すでに息はあらく、心拍数しんぱくすうの上昇はとどまる所を知らない。それでもちなみは必死に走り、無我むが夢中むちゅうでガレージを目指していた。


「お困りのようですね」


 そんな声が聞こえたのは、五分ほど走った時だった。


 足を止めずに顔を上げると、ちなみと並走へいそうするようにして不思議な外見の少女が浮遊ふゆうしていた。あわい青色のミディアムヘアに、あざやかなマリンブルーのひとみ。白いダボダボジャケットと黒いボディースーツをまとった細身で小柄な女の子。


「シャルーア……ちゃん」


 〈ニンウルタ〉のメイスに変身する、古代兵器の『レプリカ』である少女だ。シャルーアはさも当然とうぜんかのように頭上を飛んで来ると、真上から両手をばし、ちなみの両肩にれてきた。それと同時に、ちなみの身体がふわりと浮き上がったのである。


「わ!? え、待って、なに!?」


「キャンキャンさわがないでください。耳障みみざわりです」


 ダウナーな声でそう言うと、ちなみを両手にげたシャルーアは高度を上げ、屋根の上を一直線にガレージの方角ほうがくへと飛んでいく。


「方向はこっちであってますね?」


 ジト目を向けたシャルーアが聞いてくる。


「あ、うん。えっと……もしかして連れてってくれるの?」


「あの調子に乗ったザコ悪魔をシバきに行くんですよね。当機とうきはその方針ほうしん賛成さんせいです。だから助けてあげます」


「ほんと!? ありがとう!」


 ちなみが目を輝かせて感謝の言葉を述べると、シャルーアはむすっとした表情のまま「そんなにスピードは出ませんが、我慢がまんしてください」と返事をした。


「デレクさんもこうやって運んでるの?」


「そうですよ。いつもは首根くびねっこをつかんで運搬うんぱんしています」


「へえー! すごいね!」


 確かにそこまで速くはなかったものの、地形に左右されない分でかなりの時間短縮たんしゅく見込みこめる。少しでも時間がしい今は、運んでもらえるだけで十分にありがたかった。


「さっきはどーしてザミエルと戦ってたの?」


「どこかの組織にちょっかいをかけられる前に、真っ先に討伐とうばつしようとしたまでです。当機とうきはあの悪霊をずっと監視かんししていましたから、異変いへんをいち早く察知することができました」


 そう答えた後、シャルーアは不機嫌ふきげんそうに「結果は見ての通りでしたが」と付け足した。


 足元を無人の家々が通り過ぎる。スキー場のリフトに乗っているような感覚だったけれど、スピードはそれよりずっと速い。


「ねえ、シャルーアちゃん」


「なんですか」


「知ってたら教えて欲しいんだけど……」


 ちなみが言うと、シャルーアは続く言葉を待たずに「シャオリン・ダンバースのことですか」と聞き返してきた。


「うん。昨日さ、ナントカ修道会しゅうどうかいの神父さんに聞いたんだよね。小鈴と悪魔は絵の具みたいにざってるからもう分離ぶんりできないって。赤と青が混ざって紫になっちゃってる、的な」


「悪くない例えです」


「それでさ、今ってどーいう状態? ……わかる?」


 そう聞くと、シャルーアは「当たり前です。バカにしないでください」と返答してから説明を始めた。


「絵の具の例で言うなら、確かにシャオリン・ダンバースと悪霊あくりょうは、混ざり合って『紫』になりかけています」


「ねえねえ、『シャオリン・ダンバース』って長すぎて呼びづらくない? もう小鈴って呼んじゃいなよ」


 ちなみが言うと、シャルーアは渋々しぶしぶといった様子で「わかりました」と返した。


「小鈴と悪霊は境界きょうかい喪失そうしつして混ざり合った状態でしたが、多分ざりきってはいなかったんですよ。悪霊が赤で小鈴が青だとすると、紫になっているところと、赤と青がマーブルに溶け合っているところと、まだ青色を残しているところがあったんでしょう」


「全部紫になったわけじゃないってこと?」


「だからそう言ってるじゃないですか。バカなんですか?」


「う……ごめんなさい」


 しょんぼりしたちなみをよそに、シャルーアが説明を続ける。


「小鈴は、まだ青色を残した部分とマーブルな部分を切り取って、『それが自分なんだ』と境界線きょうかいせんを引き直したんです。一度失われた自我じが境界きょうかいを再定義したというわけですね」


「そんなことできるんだ」


「普通はむずかしいですよ。不可能と言ってもいいくらいです。そもそも小鈴は一度自我じがを失ってるわけですし、それを取り戻すなんて並大抵なみたいていのことじゃないです。とりわけ強力な自我が再発生しなければ、そんなこと起こりません」


「じゃあ、すごくラッキーだったってこと!?」


 ちなみが聞くと、シャルーアがジト目を向けてきた。


「あなたは本当にバカで無知むちですね。悪魔との契約けいやくはそんな生半可なまはんかなものじゃないです。小鈴は自分をたもつのでせいいっぱいのはずで、気を抜けばすぐに取り込まれてしまうんじゃないですか」


「そんなぁ……」


 悲しそうにしたちなみを見て、シャルーアがすぐに付け加える。


「ですが、まあ。悪魔との境界線きょうかいせんを引いた状態で、悪魔の力を弱体化することができれば、小鈴が一時的に主導権しゅどうけんを取り返すことは可能だと思います」


「ごめん、もう少しわかりやすく!」


「あなたみたいなとんでもないバカにもわかるように説明しますね。悪魔を半殺はんごろしにすれば、小鈴が消えるのを保留ほりゅうにできるかもしれないってことです」


「――ほんとに!?」


 ちなみが期待に目をかがやかせると、むすっとした表情のままシャルーアが忠告ちゅうこくした。


「あくまで保留ほりゅうにするだけです。一時的に主導権しゅどうけんが戻ってくるだけで、何かのはずみで突然とつぜん小鈴が消えてしまうことだってありえます。それくらい不安定ですし、その状態をキープするには強力な自我をたもち続ける必要があるんですよ」


「それでも」


 ちなみが言う。


「それでも、また小鈴と一緒にいられるんだよね?」


 シャルーアはため息をついてから、「そうです」と返事をした。


「そっか。だったらよかった! 教えてくれてありがと!」


 そう言って笑顔を浮かべたちなみに、シャルーアが質問する。


今更いまさらな質問ですが、怖くはないんですか? デレクがボコボコにされるところも見てたんですよね? あんな化け物にどうやって勝つつもりなんですか?」


「んー……やってみなきゃわかんない!」


「あなたはどこまでバカなんですか?」


「えへ」


 ちなみは少しだけ照れ笑いをすると、「でもさ」と続ける。


「私、もっと小鈴と一緒にいたいんだ。だから頑張る。このままじゃ終われないよ」


 シャルーアはしばらくだまり込むと、唐突とうとつにこんなことを言いだした。


「デレクが悪魔にやられたとき、当機とうきは行動不能状態におちいっていたんです。あの時ちなみが現れなければ、きっとデレクは殺されていました。なので、感謝しています」


「や、それはたまたまでしょ。別に私のおかげとかじゃ――」


「いいえ。あなたがデレクを心配して、危険もかえりみずに飛び出してくれたから助かったんです」


「そーなのかな? とにかく、無事でよかったね」


「……はい」


 それから少しして、森に入ったシャルーアは地上へと降り立ち、ちなみを解放かいほうした。


「さっさとヴェスパをとってきてください。早くしないと小鈴が消えますよ」


「うん。ほんとにありがとう、シャルーアちゃん!」


「長すぎて呼びづらいでしょう。シャルでいいですよ、ちなみ」


 そう言うやいなや、シャルーアがそっぽを向いた。ちなみは青髪あおがみの少女に笑顔を向け、


「待ってて、シャル! すぐ取ってくるから!」


 と言って森の奥へと走っていった。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

〈近況ノートにて機体やキャラの設定イラストを公開中です〉

・イフェイオン・ヴォイド

https://kakuyomu.jp/users/kopaka/news/16818093086065401911

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る