第七章 自分探しJK

7-1

 朝、七時十分。


 枕元まくらもとに置いたスマホからアラーム音が鳴っている。ちなみは布団ふとんをかぶったままスマホを手繰たぐせると、画面をタップしてその音を止めた。


「……あれ?」


 その画面を見ると、表示された日付は四月十七日、月曜日だった。昨日は最後の『悪魔の武器』を回収しに青森に行って、シディム騎士きし修道会しゅうどうかいの神父と戦って、ぼろぼろになりながら勝利して――


 そこから先の記憶がなかった。


 急いでベッドからりて、鏡で自分の姿を確認してみる。Tシャツにショーパン姿のちなみの身体からだは、昨日の朝と同じくなんの問題もなさそうな見た目をしていた。血を流していた頭も、装甲の破片はへんが刺さっていた左腕や太ももも、動かなくなった右腕も、全て元通もとどおりになっている。


「なんで?」


 そもそも、昨日はどうやって家に帰ってきたんだろうか。メッセージアプリを起動して小鈴とのトークを見返みかえしてみても、待ち合わせの時にした会話以降、新しいメッセージはきていない。小鈴がケガを治して家に送り届けてくれたとしか思えないけれど、特に説明はないようだった。


 思えば、小鈴との約束は昨日で終わったことになる。


 五つの武器を集め終わったので、ちなみのお手伝いもまた終了した。たった二ヶ月間の、誰にも言えない秘密ひみつの関係。小鈴と仲良くなれたのはうれしかった――けれど、そこで得られた過去の『記録きろく』に、ちなみはまだ戸惑とまどっていた。


 机に置かれたノートをぺらぺらとめくってみる。


 そこには『フライシュッツ』のことが沢山たくさんメモされていた。十四年分すべてがメモされているわけではなかったものの、ちなみの二年分に比べれば十分すぎる量の『記録』だ。


 ちなみはそれがうらやましかった。穂高ほだかちなみのアイデンティティは今になってもやっぱり二年分しかなくて、ちなみ自身の十四年間は空白のままだったからだ。


 どんな経験をして、何を好きになって、どう生きてきたのか。『穂高ちなみ』にはそれがない。いくら昔を思い出しても、何も出てこない。それは、元から存在しなかったのだ。


「うあー、やめよう、やめやめっ!」


 言いながらノートを閉じ、もやついた感情かんじょうを振り払う。こういうのは一人で考え込んでもしょうがない。ちなみはスマホを手に取ると、ぽちぽちと画面をタップして小鈴にメッセージを送った。


『おはよ!』


『私のケガなおしてくれたんだよね?』


『ありがとう!』


『今日遊ぼうよ! 空いてる?』


 小鈴は夜おそくまでゲームをしているので、起きるのはいつも十時過ぎだった。数分待ってはみたけれど、当然ながら返事がくる気配けはいはない。ちなみは少しだけもどかしく思いながら、学校に行く準備を始めた。



   ******




 今日は朝から何かがおかしい。


 家には誰もいなかった。ちなみの母親は、用事ようじがあって家にいないときはメッセージを送ってくる。しかし、今日は一切いっさい連絡れんらくがなく、家の中はただただ無人だった。


 普段は通行人つうこうにんの多い通学路も、なんだかみょうに人通りが少ない。学校に近づくと、登校中の生徒たちがまばらに歩いていたものの、生徒の数はいつもより少ない気がした。


 ちなみは昇降口しょうこうぐちでローファーを脱ぎ、上履うわばきに履き替えると、三階フロアにある高二の教室に向かった。クラス替えをしてから一週間。何人か新しい友達もできたし、中三からの友人である鈴木すずき和歌わかも運よく同じクラスになっている。


「おはよーございます」


 いつも通り、扉を開けて教室の中へと入っていく。窓の外はどんよりしたくもり空で、教室の中も少しだけ暗い。それに、教室はいつもより随分ずいぶん静かだった。


 それでやっと気づく。


 室内にいるのは十五人ほど。その誰もがおしゃべりを中断ちゅうだんし、ちなみのことを見ていたのだ。


「えっと……私、なんかおかしい?」


 自分の席にスクールバッグを置きつつ、身だしなみをチェックする。スカートはめくれていないし、ブレザーの下にはきちんとブラウスとネクタイをつけている。おかしいことは何もないはずだ。


「ここ、2-Aですよ」


 近くにいた男子が言った。


「や、知ってるけど……」


「クラス間違ってませんか」


「えっ」


 改めて周囲を見回すと、皆が不審ふしんげな目でちなみのことを見ていた。どうやら、ちなみが間違えてこの教室に入ってきたと思っているらしい。


 もちろんそんなことはない。ちなみは間違いなく2-A所属しょぞくの生徒で、今教室にいる全員の名字を言うことだってできる。だというのに、誰もがちなみを『知らない人』ととらえているようだった。


 教室にはちなみの友人の鈴木和歌もいて、同じように怪訝けげんな顔をしている。ちなみはあわてて和歌の席に向かい、彼女に質問した。


「待ってなにこれ? ドッキリ?」


「いや違うけど。まず、誰?」


 不審ふしんげな顔をした和歌が言った。


「や、やだな~。やめてよ和歌。あなたの親友のちなみちゃんですよ?」


「誰だよ」


「誰って……穂高ちなみです」


「学年は?」


「高二」


「クラスは?」


「A組」


「A組にそんなやつはいなかったけどな。もしかして転校生?」


 首をひねった和歌が言う。


 ふざけているわけではないようだった。他のクラスメイトの反応も似たり寄ったりで、二年A組に『穂高ちなみ』が存在しないという見解けんかい一致いっちしていた。


 いくら話してもらちが明かなかったので、ちなみは他の二年生の教室に行き、知り合いにかたぱしから声をかけてみた。しかし、誰一人として『穂高ちなみ』のことを覚えていない。皆一様に戸惑とまどいの表情を浮かべ、ちなみのことなんて知らないと返してくる。


「ほんとになんで……?」


 ちなみは校舎を駆け回って、誰彼だれかれかまわず声をかけた。それでも、『穂高ちなみ』を覚えている生徒は一人もいない。こんなことは普通あり得ないだろう。この状況は、どう考えても異常だった。


「ちょっと、君」


 後ろから肩を叩かれて振り返ると、高一の頃の担任たんにん教師きょうしが立っていた。


「先生、私……」


「君だね、みんなに『私のことを知ってますか』と聞いて回ってるっちゅうのは」


 教師が言葉を続ける。


『君の名前は、確か――“フライシュッツ”』


「……え?」


 ちなみは目を見開いた。この学校の人達は、ちなみの正体しょうたいのことなんて何一つ知らないはずだ。だというのに、目の前の教師はちなみを『フライシュッツ』と呼んでいた。視界がぐるぐるとうずを巻く。ゆがんだ視界で、教師が何事なにごとしゃべり続ける。


『ダメじゃないか。学校は部外者ぶがいしゃ立ち入り禁止だぞ』


「待って、先生、私――!」


『フライシュッツはこの学校の生徒じゃないよ。元の組織そしきに戻りなさい。今ならだまっておいてあげるから、早く行ったほうがいい』


「ちがいます、私は……! 私、は……」


 この身体はちなみのものじゃない。


 フライシュッツのものだ。


『フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ』


 ――気持ち悪い。


 ちなみはぎゅっとお腹をいて、その場にうずくまった。身体の中に異物いぶつが入ってくるのを止められない。全身を『フライシュッツ』が浸食しんしょくしていく。足先から頭のてっぺんまで、なにもかも自分のものじゃなくなっていく。


 ぐるぐると天地てんちが回ってきそうだった。うまく呼吸ができなくて胸が苦しい。思うように自分の身体をコントロールできず、立ち上がることができなくなった。


 ――穂高ちなみは何者なのか。


 二年分しかない記憶。急に、その記憶に自信が持てなくなってしまった。それらは全部ぜんぶうその記憶で、本当はこの身体は『フライシュッツ』のもので――だとしたらこの私は、『ちなみ』は一体なんなんだ?


「君、大丈夫? 名前は? 何年生のどこのクラス?」


 顔をあげると、教師が心配そうな顔でこちらを見ていた。教師が聞いているのはちなみの名前だった。けれど、それでは前の会話と矛盾むじゅんする。この教師はちなみのことを『フライシュッツ』と呼んでいたはずだ。


 どこまでが本当のことで、どこからがちなみの妄想もうそうなのか判別はんべつがつかない。必死に状況を整理しようとするも、気分が悪くてまともに頭が働かなかった。


 なんだか悪夢あくむみたいだと思った。


 誰も『穂高ちなみ』を覚えていない。友達、クラスメイト、教師……皆、ちなみのことを知らないと言う。もしかしたら、おかしいのは皆の方ではなくちなみの方で、今まで過ごしてきた日常の方が自分の妄想だったのかも――


「すみません、なんでもないです」


 ちなみは身をひるがえし、その場から駆け出した。呼吸は浅く、胸は苦しく、視界がぐらぐられて気持ち悪い。一刻いっこくも早くこの場所からはなれたくて、階段を駆け下り、上履うわばきを履いたまま昇降口しょうこうぐちの外に出た。


 ひたすらに走る。


 大通りを抜け、交差点を曲がり、公園を横切よこぎって、住宅街じゅうたくがいを駆けていく。何から逃げているのかもわからず、ひたすら逃げた。そうすれば悪夢が終わって、いつも通りベッドの上で目覚めるはずだと思いながら。


 走っているうちに、いつの間にか自宅の近くまで引き返していたらしい。ちなみが走る路地ろじの先に、一人の女性が歩いているのを見かけた。


 その女性は、ちなみの母親だった。


「お、お母さん……」


 けっし、恐る恐る母親に話しかける。しかし、その女性はちなみのことをまじまじと見つめると、心配そうな表情を浮かべてこう言った。


「なにかあったの? よければ話を聞くけど……あなた、名前は――」


 言われた瞬間しゅんかん、ちなみはその場から逃げ出していた。

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