第六章 グッバイ、悪魔憑き少女

6-1

 赤い液体えきたいしたたり落ちる。


 それは血液だった。


 胸部きょうぶ串刺くしざしにされた人型が、そこから真っ赤な血を滴らせている。


 雑草の生いしげ郊外こうがいの空き地。ちょうど日没にちぼつの時刻で、夕焼けが血のように真っ赤な光を投げかけている。そこで、シャオリンが変身した〈イフェイオン〉が、バケツをひっくり返したような頭をした騎士きしの怪物を串刺しにしていた。


「う、うそだ……」


 言いながら、トゲの生えた巨人が弱々よわよわしく首を振る。


 巨大な騎士の姿をした怪物は、何度もシャオリンを殺しにきた。すでに九回交戦し、今まで四体の怪物をたおした。これで五体目を倒した――いや、殺したことになる。


 シャオリンは、それが『血を流している』ことに初めて気が付いた。


 生きていた。


 これは怪物ではなく、血を流すだった。


 それを今、シャオリンが自分の手でし殺した。今だけじゃない。これまでだって、シャオリンは何度なんども殺していたのだ。


 ばくばくいう心臓しんぞうがうるさい。


 地震じしんでも起きたかのように、視界がぐらついて安定しない。


『シャオリン。もう一体が来ます』


 悪魔にそう言われて、身体が反射的はんしゃてきに動いた。


 右手ににぎったやりいきおいよく引き抜く。血しぶきが舞い、騎士の怪物がばったりと地面に倒れした。その姿に動揺どうようしながら、シャオリンは素早く振り向いてもう一体の騎士と対峙たいじする。


 九度の戦闘、そして悪魔のサポートにより、シャオリンはめきめきと強くなった。


 怪物を打ち倒すよろいだと意気込いきごんで、この厄災躯体カラミティ・フレームに〈イフェイオン〉と名前を付けた。戦い方を研究し、人気のない場所で特訓とっくんして、自分にしかできない独自どくじの戦術をみ出した。その戦闘術は、もうシャオリンの身体にみついている。


 だから、戦いはじめたらもう止まれなかった。


「……っ!」


 騎士の怪物が向かってきた。〈イフェイオン〉がバックステップし、影から二本目の槍を取り出して左手につかむ。長槍ちょうそう短槍たんそう二槍流にそうりゅう。これがシャオリンの戦闘スタイルだった。


 長槍ちょうそうを大振りする。


 騎士がカイトシールドで防御ぼうぎょし、その表面にはげしく火花を散らせた。すかさず〈イフェイオン〉が短槍たんそうを突き出すと、騎士はあわてたようにバックステップし、ロングソードを振って短槍を打ち払った。


「あ、待って――!」


 さけんだ言葉とは裏腹うらはらに、シャオリンは本能的にトラップを発動した。


 バックステップした騎士が、そばにあった廃墟はいきょの落とす大きな影に踏み込んだ。騎士の怪物が影をんだ瞬間、狙いすましたように三本の槍がその影から突出とっしゅつ。騎士の胴体はあっという間に串刺くしざしになった。


 それは、『影踏み鬼シャドウ・タグ』と名付けられた技である。


 限定的げんていてきな条件下で、落とした影からモノを出し入れできる〈イフェイオン〉の能力を活用した、シャオリンの得意技とくいわざだった。


 串刺しにされた騎士が力を失い、糸の切れた人形のように動かなくなった。槍が刺さった場所から、真っ赤な血がぽたぽたとしたたり落ちる。


 殺したいわけじゃなかった。


 けれど、やらなければやられていたのは事実だ。騎士の怪物は明確めいかくにシャオリンを殺しに来ていたし、げたところでいずれはまた追いかけてくることもわかっていた。


「ねえ、悪魔」


 血を滴らせる人型の物体を前にして、〈イフェイオン〉がたたずんでいる。


 動くもののいない空き地は静寂せいじゃくに包まれていた。数秒すうびょうたって、ようやく決心がいったように、小鈴が質問を投げかける。


「もしかしてこれ、人間なの? 中に人が入ってる? 怪物じゃ、ないの……?」


 すると、しばらくの間をおいて悪魔が言った。


『その通りです。あれらはシャオリンと同じく、人智じんちを超えた躯体をまとった人間です』


 言われた瞬間しゅんかん、目の前がくらになった気がした。


 呼吸が浅くなる。心臓しんぞうがずきずきと痛む。


 なぜ気付かなかったんだろう。


 無意識むいしきに、自分だけが特別だと思っていた。言われてみれば〈イフェイオン〉も同じだ。全身からトゲを生やした悪魔的あくまてきな巨人――ともすれば、怪物に見えるのはシャオリンの方かもしれないのに。


「……どうしてだまってたの」


『きみの命を守るためです。あれが人間だと知っていたらシャオリンは戦えていなかった。確実かくじつにどこかで命を落としていたでしょう』


 正論せいろんだった。


 悪魔はいつも正しい。もし、最初から敵が人間だと知っていたなら、シャオリンは戦いにれる前に死んでいたにちがいない。


「殺しちゃったんだ。もう六人も」


 シャオリンがぽつりとつぶやいた。


『正当な防衛ぼうえい行動こうどうの結果です。シャオリンがむ必要はありません』


 苦しい。


 息ができない。


 景色がモノクロになって、夕焼ゆうやけの赤も、したたる血の赤も、何もかもグレースケールに変換へんかんされていく。シャオリンは自分に言い聞かせるようにこう言った。


「うん、大丈夫。大丈夫だから……」



   *****



 また二人殺した。


 手加減てかげんはできなかった。仕方がなかったのだ。殺される前に殺す、シャオリン・ダンバースが生きのこるすべはそれしかない。殺して、殺して、殺して――いつまで殺し続ければいいんだろう?


 大雨の公園で、シャオリンは一人地面にへたり込んでいた。


 今しがた殺した二体の騎士が、雨に打たれてぼろぼろとくずちていく。相変あいかわらず景色はモノクロで、流れ出た血が赤いかどうかすらわからずじまいだった。


風邪かぜを引きますよ。早く家に帰りましょう』


「……なんかね」


 雨を落とすグレー色の空を見上げ、シャオリンがぽつりと言った。


「なんか、つかれちゃった」


 身体が冷たくて、れたパーカーがおもたくて、ここから一歩も動けそうにない。


「もういいよ。前に言ってた『契約けいやく』のこと。約束よりもちょっと早いけど、シャオリンの身体からだを悪魔にあげる」


 何度も話し合った。


 今まで生きてこれたのは悪魔のおかげだから、欲しければいつでもあげるよと何度も言ってきた。すると悪魔は決まってこう答える。


『シャオリンがじゅうぶんに大人になるまでが契約けいやく期間きかんです』


 生きるのは楽しい。だから今まではその好意こういに甘えて、自分の人生を楽しんだ。けれど今、シャオリンは初めて悪魔の意見いけんに反対した。


「大人だよ。もう十五歳だし」


『まだ契約期間は数年分残っていますよ』


「もういいの。もうえられない。こんなの怖いだけだよ」


 降りしきる雨が痛いほどに冷たい。


 シャオリン・ダンバースは殺人鬼さつじんきだ。そうできてしまう自分がどうしようもなく怖くて、この場で今すぐ死んでしまいたかった。


『では、きみの記憶の一部を封印ふういんしましょう。そうすれば、つらい過去のことは忘れて、また充実じゅうじつした日々を送ることができます』


「そんなことできるんだ」


『可能です』


「でも」


 シャオリンが地面に視線を落とす。


「それでも、もう十分だよ。だって、これまでのことを忘れたとしても、あいつらはまた追ってくるんでしょ。前みたいに普通に生きていけるわけない。ずっと不安だし、怖いよ。だからもう終わりでいいの」


 少しして、悪魔が短く回答した。


承知しょうちしました』


「うん。ごめんね」


『これで契約は満了まんりょうとします。ですが、少し準備が必要なので、あと数か月だけ付き合ってください』

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