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「わかった」


 アイラがうなずいて、淡々たんたんとした口調で説明を始めた。


「『克服者こくふくしゃおよび支配者たる人種じんしゅ創造そうぞうのための事象体じしょうたい研究機関』。ドイツ語では『Überwinder-Schöpfung Forschungsinstitut』。この組織は国家社会主義ドイツ労働者党NASDAP秘匿ひとく科学部門から派生はせいした研究組織で、支配者たりえる最高の人種を創造することを目的としていた」


「えっと、こくふく……どいつろうどう……?」


 すでに目を回しているちなみを見て、リアが苦笑した。


「穂高ちゃん。細かい組織名そしきめいとかは覚えようとしなくていいよ。アイラさんは簡単に説明するのがへたっぴだから、難しいところは無視むししてオッケーだからね」


「わ、わかりました!」


 ちなみが緊張きんちょうした様子でそう返すと、アイラは数秒すうびょう待ってから説明を再開した。


「私たちは、その組織をUWけんと呼んでいる。彼らはデザインベビーに『改良』をほどこして、あなたのような子供たちをつくった。高い反射神経と、それに対応できる肉体性能を持った強化人間――それがあなたのハードウェアとしての素性すじょう


 改めて説明されると、なんだか不思議ふしぎな感じだった。


 今でも、ちなみ自身は自分が普通の人間だと思っている。しかし実際じっさいはそうではなく、穂高ちなみは研究者が生み出した強化人間なのだ。こうしてちゃんとした組織の人に説明されると、間違まちがっていたのはちなみの認識にんしきのほうだったと思い知らされる。


 アイラの説明は続く。


「UW研はあなたのような強化人間を完成させ、実際じっさい埒外らちがい事象体じしょうたいを回収してしまった。だから、XEDAはこの研究機関を壊滅かいめつさせる作戦を立案りつあんし、私がその指揮しきをとった。UW研が壊滅して、行き場をなくした強化人間たちは方々ほうぼう逃走とうそう。私たちは衰弱すいじゃくしたあなたを保護ほごして、強化人間たちが年端としはも行かない少年少女だったことを知った。それは、後にUW研の研究内容を調査したことでも裏付うらづけられた」


 ちなみは呆然ぼうぜんとその説明を聞いている。


 ノートにメモした内容、そしてたまに思い出す映像が、アイラの説明によって明確めいかくなものとなっていく。それらはちなみの妄想もうそうではなく、まぎれもない真実だったのだ。


「フライシュッツ」


 アイラが言った。


「それがあなたに与えられたコードネーム。あなたは、完成された強化人間として幼少期ようしょうきから様々な戦闘術せんとうじゅつを教え込まれ、十三歳で実戦じっせん投入とうにゅうされた。彼らの研究によれば、フライシュッツは数ある成功例の中でも最高さいこう傑作けっさくの強化人間だったらしい」


 ちなみは急に気分が悪くなるのを感じた。フライシュッツ。フライシュッツ。フライシュッツ。みんながちなみをフライシュッツと呼ぶ。ちなみの記憶すら、ちなみのことをフライシュッツと呼んでいた。


 身体の中ぜんぶが異物いぶつわったように思えて、寒気さむけがした。自分以外のなにかが身体の中に入ってくる。ちなみは何度もつばを飲み込んで、こみ上げてくるを必死に我慢がまんした。


「ちなみちゃん、大丈夫? なんか変だよ」


 今までだまっていた小鈴が、心配しんぱいそうな顔をして声をかけてきた。いつの間にか、小鈴の両手がちなみの左手をにぎっている。


「あんまり聞かない方がいいよ。もう帰ってもらおう、ね?」


 ちなみの手をむにむにとみながら、小鈴がアイラとリアを帰らせようとしている。


「へ、へーきへーき! ちょっと変な感じになっただけ!」


「そう?」


 ちなみが笑いかけると、小鈴は残念ざんねんそうな顔をして引き下がった。


「いや、ホントに大丈夫? だいぶ顔色かおいろ悪いけど……」


 リアがそう聞いてきた。どうやら、ちなみは相当そうとう変な顔をしているらしい。


「まあ、あんまり気持ちのいい話じゃないよね。どうする? もう帰ったほうがいいかな、私たち」


「いえ、へーきです! 帰る前にもう一個教えてください」


「じゃあその質問で終わりね」


 そう言って、立ち上がりかけたリアは再び腰を下ろした。


「えっと、聞きたかったのは、どうして私は日本にいるのかなって」


 ちなみが質問すると、アイラは少し時間を置いてから口を開いた。


「あなたが普通ふつうの生活を送れるように、最も二脚兵装と縁遠えんどおく、平和な日本に送りこんだ。その際にフライシュッツとしての記憶きおくを消去して、穂高ほだか夫妻ふさいの娘として普通に生活できるようにした」


「お父さんとお母さんは、本当のことを知ってるんですか?」


「部分的に知っている。穂高夫妻は、XEDAとえんのある子供のいない夫婦。あなたが孤児こじであることは把握はあくしているし、ふとしたはずみで埒外らちがい事象じしょうに巻き込まれ、『普通』ではなくなる可能性も承知しょうちしている」


 普通ではない状態とは、まさに今のような状況のことだ。


「あなたが自分を知ろうとするのは当然とうぜんのこと。こうなる可能性は十分にあったし、ならない可能性もまた存在した。だから、あなたが何かを気にする必要はない」


 彼女はちなみに気をつかってくれているのだろう。アイラもお父さんもお母さんも、ちなみが普通の生活を送ることを望んでいた。けれど、そうじゃない道を選ぶのもちなみの自由――彼女はそういうことを言っているのだ。


「次の仕事がある。他に聞きたいことがあればリアに連絡して」


 アイラが時計を見ながら立ち上がった。荷物にもつをまとめてリビングから出ていこうとするアイラを追って、リアもソファーから立ち上がる。


「ばたばたしちゃってごめんね。アイラさんも言ってたけど、なんか聞きたいことがあったら連絡してきていいからね!」


「ありがとうございますっ」


 ちなみがあわてて立ち上がり、二人にお礼を言う。そうしてXEDAゼダのエージェントたちはり、リビングを支配していたみょう緊張感きんちょうかんも一緒に消えてなくなった。


「やっと帰ってくれた……殺されるかと思ったぁ~!」


 そう言って大きなため息をついた小鈴は、だらしない姿勢しせいでソファに寝ころんだ。



   *****



 その数時間後。


 時刻じこくは夜八時。ちなみと小鈴は屋上おくじょうに出て、ベンチに座って夜空をながめていた。


 まだ少し肌寒はだざむいものの、四月になって気温が上がり、だいぶ過ごしやすくなっている。二人の頭上には満天まんてんの星が広がっていて、手を伸ばせば届いてしまいそうだった。


「なんかさ」


 ちなみがつぶやくように言った。


「全部フライシュッツのことばっかりなんだよね。たまに思い出す記憶きおくも、ノートに書いたメモも、みんなが説明してくれる内容も」


「ダメなの?」


 小鈴がそう聞いてきた。


 微妙びみょうな表情を浮かべたちなみが、「だめじゃないけどさー」と前置まえおきして話を続ける。


「昔のことを思い出しても、自分のことじゃないって感じ。映画を見てるみたいでふわふわしてるの。だからさ、それって私の思い出じゃなくて、フライシュッツさんの思い出じゃん、って思っちゃって……」


 ――穂高ちなみは何者なのか。


 結局、その答えは見つからないままだ。ちなみのアイデンティティは二年分のまま、空白くうはくまらずにずっとちゅうぶらりんになっている。


「それならそれでいいんじゃない」


 小鈴が言った。


「え~、そーかなぁ」


「そうだよ。小鈴が知ってるのはドジでおバカで脳内のうない花畑はなばたけなちなみちゃんだからね。過去がどうだとしてもそれは変わんないよ」


「それは確かに――って、ばかじゃないし! あとお花畑でもないからっ」


「この前の期末きまつテスト、ギリギリ赤点回避かいひできてよかったね。でも、あんなに勉強したのに赤点ギリギリしかとれなくてかわいそう。ハンカチいる? 泣いてもいいんだよ?」


「うっ……」


 言い返せなくなったちなみを見て、小鈴がけらけらと笑った。


「武器集めも次で最後だね」


 夜空を見上げて、小鈴が言う。


 『武器』は全部で五つ。『フォルカロルの翼』『アンドラスの右腕』『ダンタリオンの左腕』『ハルファスの左脚』はすでに手に入れた。あとは『アイムの右脚』だけだ。


 夜風が吹いて、小鈴の黒髪くろかみれている。


 ちなみは少し意地悪いじわるな言い方をしたくなって、その横顔よこがおに向かってこんなことを言った。


「あーあ。もっとヴェスパに乗りたかったなあ」


 すると、小鈴の顔はみるみるうちに不機嫌ふきげんそうな表情に変わっていき、しまいにはむすっとしてそっぽを向いてしまった。


「ねえねえ小鈴」


「なに」


 なく答える小鈴を見て、ちなみはにこにこと笑った。


「もっとちなみちゃんと一緒いっしょにいたかった? そーだよね?」


「ちがう」


「もー、しょーがないなあ小鈴は〜!」


「ちょっと、うざいからくっつかないで! 暑苦しい!」


 ちなみは後ろから小鈴にくっついて、逃がさないようにぎゅっと抱きしめた。小鈴はそれを鬱陶うっとうしそうに押しのけようとしていたけれど、今日はなんだか抵抗ていこうする力が弱いように感じられた。

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