5-4

 ちなみと小鈴は、リアの言っていた通り、高層こうそうマンションの最上階にある立派りっぱな部屋に泊まることができた。ちなみは嫌がる小鈴を連れまわし、連日れんじつにわたって浅草、上野、お台場、池袋などを巡り、東京観光を満喫まんきつしたのである。


 そして五日が過ぎ、日付は四月一日になっていた。


 午後三時。二人が高層マンション最上階の立派なリビングでおしゃべりしていると、インターホンが鳴った。


「はーい!」


 ちなみが返事をしてドアの方に向かう。


 今日はリアが『ダンタリオン』を返却へんきゃくしに来る約束だったので、二人はどこにも出かけずに待っていたのだ。予想通り、ドアの向こうにはグレーのニットワンピに黒タイツという可愛らしい格好かっこうのリアがいて、


「……どちらさまですか?」


 その横に見たことのないビジネススーツの女性が立っていた。


 とりあえず二人を中に招き入れると、ちなみの背中にくっついた小鈴が「なんでこの人中に入れちゃったの!?」と小さい声で文句を言ってきた。


 ビジネススーツの女性は玄関げんかんから部屋の中へと上がり込み、リビングへと歩いて無言でソファーに腰かけた。その態度たいどがあまりに堂々としていたので、ちなみと小鈴はその様子を呆然ぼうぜんながめるしかなかった。


「ごめんごめん、怪しい人じゃないんだよ! ちょっとコミュしょうでポンコツなだけで……」


 スニーカーを脱いで部屋にあがってきたリアが、スーツの女性のことをあわててフォローした。ひどい言われようだったものの、女性はソファーに座ったままぴくりとも表情を動かさない。


 リビングにやってきたリアはその女性のとなりに座り、ちなみと小鈴は並んで対面たいめんのソファーに腰かけた。私服姿の女子三人に囲まれて、ビジネススーツの女性はとても浮いた感じになっている。


「ほら、アイラさん。さっさと自己紹介して」


 言いながら、リアがひじで女性を小突こづいた。すると、スーツの女性は無表情のまま、淡々たんたんとした口調でしゃべりだした。


埒外らちがい事象体じしょうたい隔離かくり機構きこう、第八特務とくむ隔離官かくりかんアイラ・ガンター」


 それだけ言って、彼女は口をつぐんだ。


「ひぇ……」


 怖くなったのか、小鈴がちなみの横にぴったりとくっついてきた。正直、その気持ちはわかる。相手はにらんでいるつもりはないだろうけれど、その無表情には迫力はくりょくがあった。


 アイラと名乗った女性は、暗い栗毛色くりげいろの髪をショートカットにし、切れ長の目をしたスレンダー美人だった。アジア系のととのった顔は、しかし人形のように無表情だ。


「それだけですか? もっとなんかないんですか?」


 怪訝けげんな顔をしたリアが聞くと、アイラは表情を変えずに「ない」と答えた。


「はぁ……」


 ため息をついたリアは一転してにへら笑顔を浮かべ、改めて女性を紹介した。


「こちらはアイラ・ガンターさん。今年で二十九歳、趣味しゅみきたえること。不器用で不愛想ぶあいそうでコミュ障なポンコツ大人です。よろしくね」


「訂正させてほしい。私はまだ二十八で――」


「文句があるなら自分でまともな自己紹介をしてください」


 リアがぴしゃりと言い放つと、アイラは口を噤んでしまった。


「えと……穂高ちなみです」


 微妙に気まずい空気の中、ちなみがとりあえず自己紹介した。すると、アイラは「知っている」と答え、ちなみの方を見て話しかけてきた。


「穂高ちなみ。あなたを正式に埒外らちがい事象体じしょうたい隔離かくり機構きこうの操縦兵として勧誘かんゆうする。……どう?」


 無表情のまま、アイラは小さく首をかしげてそう言った。


「だめだよっ」


 ちなみの腕にくっついた小鈴が、小さい声で制止してきた。もちろん、ちなみとてXEDAゼダの勧誘に乗るつもりはない。


「ごめんなさい! 私、XEDAにはいかないです」


 そう言って、ちなみが申し訳なさそうに頭を下げた。


「わかった。それなら仕方ない」


 アイラは表情を変えず、あっさりとちなみの申し出を受け入れた。


「リア、XE70331292を出して。シャオリン・ダンバースに当該とうがいエンティティを返還へんかんする」


「……ほんとに返しちゃっていいんですか?」


 持っていたアタッシュケースをテーブルの上に置きながら、リアがアイラに質問した。


「これは長官とトライスターによる決定。何が起きても、私が怒られる筋合すじあいはない」


「最低だな、この人」


 笑みを引きつらせたリアが、ツッコミを入れながらアタッシュケースを開く。アイラがその中から小さなガラスケースを取り出し、中身を確認してから小鈴の目の前に置いた。


「ありがとうございます」


 ちぢこまって手を出そうとしない小鈴の代わりに、ちなみがぺこりとお礼をする。アイラは小さくうなずいてから、説明のために口を開いた。


「いずれにせよ、シャオリン・ダンバースがよう隔離かくり対象たいしょうであることには変わりない。悪魔憑あくまつきはガンのようなもので、人類社会からの隔離が早ければ早いほど事象じしょう汚染おせん低減ていげんできるのは事実。しかし、今あなたを隔離するには、私たちの戦力が足りていない」


 そこで言葉を切ったアイラは、ちなみの方を見てから説明を続けた。


「穂高ちなみ。私の知るあなたは、弱体化じゃくたいかして戦闘力を低下させていた。けれど、リアとの戦闘、『ルキフェル』からの報告により、あなたが本来の戦闘力を取り戻していることがわかった。私はあなたと交戦したことがある。今の穂高ちなみを止めるためには、確実に二人以上の特務とくむ隔離官かくりかんが必要。殺さずに無力化するのはもっと難しい」


 リアの言っていた『テスト』とはこのことだった。


 リア・エバンスの実力は、次期じき特務とくむ隔離官かくりかん候補こうほとされているほどだ。狙撃兵との連携れんけい運用うんようであれば、局所的きょくしょてきには特務隔離官以上の戦力になり得る。そんなリアでも、ちなみを止めることはできなかった。


 アイラが説明を続ける。


XEDAゼダは様々な案件を抱えている。現状の戦力で穂高ちなみを撃破げきはし、シャオリン・ダンバースを確実に隔離するためには、二人を同じ戦場で殺す以外に方法がない。しかし、ちなみの力は将来的にXEDAにとって必要なものになる。だから、悪魔憑あくまつきを放置してでも穂高ちなみを生かしておくことに利があると、長官と筆頭ひっとう特務隔離官は判断している」


 ちなみはごくりとつばを飲み込んだ。


 なんだかすごい話になってしまっている。『ダンタリオンの左腕』は、なにやら壮絶そうぜつ経緯けいいがあって小鈴のもとに返ってきたらしい。


 そこで、リアがアイラに質問した。


「でも、別に返す必要はないんじゃないですか?」


「シャオリン・ダンバースにいている悪霊あくりょうは、情報戦に特化している。今まで何度もセキュリティを突破され、極秘ごくひ情報じょうほうを抜き取られた。保管場所を察知さっちされ、襲撃しゅうげきされるのは時間の問題。そうなれば、収容部しゅうようぶ警備部けいびぶ甚大じんだいな被害が出る」


「だったら壊せば――いや、ダメか。どうせ再召喚されますもんね。ロズウェルに出し抜かれてもアレだし、確かに返すしかないか……」


 リアはひとりでに納得している。ちなみには難しくて全部を理解することはできなかったものの、XEDAゼダにも複雑な事情があることくらいはわかった。


「説明は以上」


 そう言って、アイラが立ち上がった。どうやら帰ろうとしているらしい。


「あの! 教えて欲しいことがあるんですけど」


 ちなみは慌ててアイラを引き止めた。アイラはちなみを見返すと、無表情のままソファに座り直し、こう言った。


「質問があるなら受け付ける」


 ちなみの横にぴったりくっついた小鈴が、『なんで引き止めたの』と抗議こうぎの目線を向けてくる。小鈴にとって、悪魔憑きを隔離かくりしようとするXEDAはかなり苦手な存在なんだろう。ちょっとかわいそうではあるけれど、それでもちなみには確認しておかなければならないことがあった。


「さっき、私と交戦したことがある、って……ほんとですか?」


 ちなみが聞くと、アイラは無言でうなずいた。


「私の過去も知ってますか?」


「知っている。私はあなたと交戦し、捕獲ほかくし、日本に送りこむ段取りを整えた。特務隔離官としてその案件を担当していた」


 そう言ったアイラに、ちなみが真剣な面持ちで質問した。


「じゃあ、教えてほしいです――私って、なんなんですか?」

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