第五章 埒外事象体隔離機構

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 『Derデア Freischützフライシュッツ』。


 それは、一八二一年に発表されたドイツオペラのタイトルである。日本語でいえば『魔弾まだん射手しゃしゅ』。ここでいう『魔弾』とは、ねらった的に必ず当たる、森の悪魔ザミエルによってもたらされた魔法まほうの弾丸のことだ。


 目の前の光景こうけいは、その名から連想れんそうされるとおりに悪夢あくむめいていた。


 埒外らちがい事象体じしょうたい隔離機構かくりきこう――XEDAゼダ二脚にきゃく操縦兵そうじゅうへいであるアイラ・ガンターは、自機〈ホルダード〉の操縦席そうじゅうせき歯噛はがみした。


 森の中で、赤褐色せきかっしょくの〈ヴェスパ〉がおどっている。


 敵は一機、『フライシュッツ』というコードネームの機体だけだ。対してこちらは五機。部隊ぶたい指揮しきをするアイラの〈ホルダードMk-II〉と、四機の〈ホルダードMk-I〉。インド製第四世代だいよんせだい二脚にきゃく兵装へいそうであり、どちらも〈ヴェスパ〉より高性能だった。


 だというのに、誰も『フライシュッツ』を止められない。


 敵機――赤褐色の〈ヴェスパ〉が木々きぎの間を走り、一機目の〈ホルダード〉をり飛ばす。アサルトライフルの十字じゅうじ砲火ほうかを魔法のようにすり抜け、二機目の〈ホルダード〉に急接近きゅうせっきんした〈ヴェスパ〉は、すれ違いざまに重機関銃じゅうきかんじゅうを発射してそのエンジンを破壊した。


 近くにいた三機目の〈ホルダード〉がロケットランチャーを発射する。しかし、敵機はそれを宙返ちゅうがえりで回避かいひして、着地ざまに重機関銃で応射おうしゃした。的確てきかくにエンジン部をつらぬかれた〈ホルダード〉が、一撃で機能きのう停止ていししてくずれ落ちる。


 あまりに速い。速すぎる。


 『フライシュッツ』の挙動きょどうには一切の迷いがない。赤褐色の機体は木々の間を風のように走り抜け、次々と〈ホルダード〉をほふっていく。それは、圧倒的あっとうてきすぎる操縦技能そうじゅうぎのうだった。


「タウラス5、私の後ろに――」


 アイラが言いかけたときには、最後の僚機りょうきもピンポイントでエンジンを破壊され行動不能になっていた。


「……ッ!」


 操縦桿そうじゅうかんを引き、ペダルをばす。


 アイラの〈ホルダード〉が旋回せんかいしながらステップを踏んだ。ダークブルーに塗装されたトップヘビーな二脚兵装が、アサルトライフルをバースト射撃しながら〈ヴェスパ〉を追う。


 〈ヴェスパ〉がジャンプし、すぐ横に生えていた。敵機はそのまま木々を蹴り、空中を自在にびまわる。常識じょうしき外れの二脚運用――敵の操縦技能は異常いじょうだった。


 アイラ・ガンターは優秀ゆうしゅうな二脚操縦兵だ。


 その証拠しょうこに、アイラの肩書かたがきは『第八特務とくむ隔離官かくりかん』である。特務隔離官とは、XEDAゼダにおいてたった十二人しかいない特権とっけん付与ふよされた職員のことだ。


 しかし、そんな彼女でも『フライシュッツ』を止めることは不可能だった。


 アイラの〈ホルダード〉が専用装備であるレールランスを突き出すが、それをフェイントで回避した〈ヴェスパ〉が素早すばやく背後に回り込む。即座そくざに〈ホルダード〉が旋回しランスを振るうものの、敵機はそれを跳躍ちょうやくして回避している。


 ダークブルーと赤褐色の二脚兵装が、目まぐるしくポジションを変えおたがいの武器をぶつけ合う。三秒の間、アイラと『フライシュッツ』はドッグファイトをり広げ――ついに〈ホルダード〉の右腕がランスごと宙を舞った。


 右肩をずたずたに破壊はかいされた〈ホルダード〉が、〈ヴェスパ〉の蹴りで森の奥へと吹っ飛んでいく。


「待て……っ!」


 アイラはめまいをこらえて機体を立ち上がらせるものの、『フライシュッツ』はとんでもないスピードで森を駆け、視界の外へと消えていった。


 結局、作戦に従事じゅうじしたXEDAゼダ機動きどう隊員たいいんは誰一人として『フライシュッツ』を止められなかった。がスタミナ切れを起こしたことで、ようやく数日間に渡る追跡劇ついせきげきまくを閉じた。



   *****



 壁も床も白い殺風景さっぷうけいな部屋。


 デュアルモニターのタワーPCが乗ったデスクと、壁際かべぎわに置かれた簡素なベッド。室内の備品びひんはそれだけだ。ここはXEDAゼダ隔離局かくりきょくのオフィス内にある、『診察室』と呼ばれている部屋だった。


 デスク前の椅子に腰かけた青年が言う。


「聞いたよ。あの子とまた模擬戦もぎせんしたんだってね」


 その青年はドクターと呼ばれていた。白衣を着た、白髪で柔和にゅうわそうな顔をした優男やさおとこだ。


「もう三度目だっけ。やっぱり同じ結果だったのかい?」


 ドクターが話しかけているのは、ベッドに腰かけたビジネススーツ姿の女性――アイラ・ガンターだ。栗毛色くりげいろのショートヘアで切れ長の目をした、スレンダーな美人である。


 アイラはこくりとうなずくと、無表情のまま口を開いた。


「前に森で戦ったときは、もっと異常な戦闘力をしていた」


「そのはずなのに、ずいぶん弱くなっている……だったっけ?」


「そう。何かわかった? あの子に関して」


 あの子、とはつまり、『フライシュッツ』のことである。


 先日交戦した強化人間の正体は、年端としはも行かない少年少女だった。『フライシュッツ』以外の強化人間は、XEDAゼダ機動隊との戦闘で命を落とした。生き残ったのは彼女だけだったのである。


 明るい茶髪をした十三歳の少女。


 名前はなく、与えられていたのはコードネームだけ。


 昏睡こんすい状態から目覚めざめた彼女は、ドクターからこれまでの経緯けいいの説明を受けると、「そーなんだ」とさみしそうに言った。


 それから数日は経過けいか観察かんさつが続いた。ドクターが冗談を言えば笑うし、食事を与えればおいしいと喜ぶ。兵士として育てられたとは思えないほど明るい少女だった。


 問題になっているのは、その後の彼女の扱い方だ。


 隔離局かくりきょくの局長は、彼女をXEDAの操縦兵としてしたいと考えているらしい。しかし、三度の模擬戦を経て、『フライシュッツ』はかなり弱体化していることがわかってきたところだった。


「そうだね……」


 ドクターが目をせ、背もたれに身体をあずけながら言った。


「よく笑うし、歳相応としそうおうに明るい子だよ。でもね、なんというか……熱を感じないんだ」


「熱?」


 アイラが無表情のまま聞き返す。


「体温の話じゃないよ。どう言えばいいのかな、彼女には欲がないんだ。生きる目的を失くしてしまったような感じでね。自分から『こうしたい』って言ってこないんだよ」


「能力が弱体化しているのはそれが原因?」


「それもある。だけど、彼女を再起さいきさせるのは多分そう難しくない」


「教えて」


 すると、ドクターはため息をついてからこう続けた。


「昨日あの子に、『この先きみが何をしたいか、一緒に少しずつ考えていこう』って言ったんだ。そしたら彼女がなんて返事をしたかわかるかい?」


「わからない」


「彼女は笑顔でこう聞いてきたんだ。『それは命令ですか?』ってね」


 アイラの表情が少しだけ動いた。ドクターはそれを返事と受け取ったのか、さらに説明を続ける。


「多分、彼女を再起させる方法はいたってシンプルだ。強く命令すればいい。わかりやすく、明確めいかくに命令だとわかる形でね。そうすればあの子は喜んで二脚兵装に乗ると思うよ」


 そう言って、ドクターは肩をすくめる。アイラはちらりとドアを振り返ってから、ドクターにこう聞いた。


「私以外にその事実を知っている人はいる?」


「いないよ。これを話したのはきみが最初だ」


「じゃあ、誰にも言わないで。記録にも残さないで」


「隔離局の職員として、僕には報告の義務ぎむがあるんだけど?」


「私には特務とくむ隔離官かくりかんとしての特権が認められている」


「明白な職権しょっけん乱用だね」


 しかし、言葉とは裏腹うらはらにドクターは楽しげに笑っていた。


 『特務隔離官』とは、特に能力の高い十二人のエージェントに付与される肩書かたがきであり、隔離局の局長と同等の特権を与えられている職員のことだ。


「でも、珍しいね。きみが個人に肩入れするなんて」


「個人に肩入れするわけじゃない」


 淡々たんたんとした口調でアイラが言った。


「善良な人間が不当に扱われるのを見過ごせないだけ」


「そうだったね」


「あの子の能力は弱体化していて、XEDAの戦力としてはふさわしくない。彼女は埒外らちがい事象じしょうから切り離す。手続きをするから手伝って、ドクター・リヒト」


「勝手にことを進めるのかい? また局長に怒られるよ」


「私には特権が認められている。局長に怒られる筋合いはない」


「きみのそういうところ、僕は結構好きだよ」


 それには返事をせずに立ち上がり、アイラは颯爽さっそうと診察室を後にした。

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