2-5

 客入りの少ないカフェで、ちなみと小鈴はお姉さんと向かい合って座っていた。


「私の名前はリア・エバンス。埒外事象体隔離機構らちがいじしょうたいかくりきこうのエージェントだよ」


 お姉さんがそう自己紹介した。


 予想通り、彼女は大学生でもあるらしい。二十一歳の大学三年生。組織のエージェントとして働きつつ、普通に大学にも通っているとのことだ。


 リアと名乗ったお姉さんは、可愛らしいけど大人っぽくもある独特の雰囲気だった。顔の輪郭りんかくやわらかく、顔つきも幼めではあるものの、落ち着いた表情で大人びて見える。


 しかし、リアの首には首輪がはめられたままで、そこから伸びたリードはグロッキー状態で机にした小鈴がにぎっていた。


「私なんもしないからさ、そろそろこれ取ってもらってもいい?」


 リアが首輪をいじりながら聞いた。


「いやだ」


 小鈴が机に突っ伏したまま答えると、リアは「だよねえ……」と困ったように笑った。彼女が所属しょぞくする『組織』は小鈴をねらっているらしいので、その対応も当然のことかもしれない。


「あの、聞きたいんですけど」


「どしたの?」


「リアさんの組織ってどんなとこなんですか?」


 ちなみがそう聞くと、にへら、と笑ったリアが「おっけー、お姉さんがイチから説明してあげましょう!」と言った。


「まず、この世界には常識に反する異常なモノが存在する。そういうのを、私たちは『埒外事象体らちがいじしょうたい』とか『異方体クリプティッド』って呼んでる。小鈴ちゃんもその一種。ここまではいい?」


「そうやって呼ぶんですね。だいじょーぶです、わかります!」


 この前戦った〈虚像天使〉や小鈴の〈イフェイオン〉――天使と悪魔。それらは、今までちなみが生きてきた常識の中にない『異常な存在』だ。


「実は、『埒外事象体らちがいじしょうたい』はこの世界に沢山存在してるのね。悪魔憑あくまつきだけじゃなくて、天使もいれば魔物もいるし、形容しがたい怪物だとか人語じんごあやつ異形いぎょうとかもいる。でも、穂高ちゃんはそんなの知らずに過ごしてきたよね?」


 ちなみは小鈴に出会うまで天使や悪魔が実在するなんて思ってもみなかったし、リアが語ったような怪物に出会ったことなんて一度もない。


「全然知らなかったです」


 そう答えると、リアは満足げな表情を浮かべて頷いた。


「それはね、私たちが人知れずそれらに対処してるからなんだよ。『埒外事象体』が人々の目に触れないようにするのが私たちの役目。だから『埒外事象体隔離機構らちがいじしょうたいかくりきこう』――Exoboundary Entity Dissociating Agancy、略して『XEDAゼダ』。どんな国家にも政府にも、国連にも所属しない、人類社会で最も機密度きみつどの高い超国家的組織ちょうこっかてきそしきだよ」


「なんか、映画みたいでかっこいいですね……!」


「だろ~」


 そう言いながらリアが笑う。大学生、というのはわかるけれど、このゆるい雰囲気のお姉さんが超国家的組織で働いている姿はあまり想像できなかった。


「リアさんはほんとにそこで働いてるんですか?」


「それどういう意味? ちゃんと働いてますよ? 私はXEDAのエージェント。こう見えてもけっこう腕利うでききの操縦兵なんだぜ?」


 えっへん、とリアが胸を張る。それで気付いた――彼女は胸が大きい。とても。


「ちなみちゃん、だまされちゃだめだよ」


 そこで、少しだけ顔を上げた小鈴が口をはさんできた。


「この人は小鈴の命を狙ってるんだから」


「……そーなんですか?」


 小鈴の言葉を受け、そのままリアに聞いてみる。言葉にまったリアはテーブルに置かれた紅茶を少しだけ飲み、一息ついてから気まずそうに説明した。


「まあ、そうね。違うって言ったら嘘になるかな。小鈴ちゃんみたいな悪魔憑あくまつきは普通に隔離対象かくりたいしょうだから、捕まえてこいって命令が出てる。そういう異常な存在が皆に知られないように隠すのがXEDAゼダのお仕事だからね」


「でも、隔離かくりってことは、小鈴を捕まえたいだけですよね? 命を狙ってるってわけじゃないんですよね」


 ちなみにはリアが悪い人だとは到底とうてい思えなかった。もしかしたら話し合いでなんとかなるかもしれない――そう思っていたところで、小鈴が「違うよ」と否定した。


XEDAゼダは小鈴を捕まえてバラバラにして研究したいんだよ。だから捕まったら最後なの。どのみち逃げるしかないんだよ」


 そう言われて、ちなみの脳裏のうりにいつか見たホラー映画のワンシーンが思い起こされた。真っ白な病室。腕と脚をベッドに拘束こうそくされ、身動きが取れない小鈴。全身を白い服で包んだ研究者たちが、手に手にメスを持ってせまってくる。


「ひぇ……」


 これはまずい。あまりにかわいそうだ。


 ちなみが顔を青くしていると、リアがあわててフォローを入れてきた。


「さすがにそんなすぐに解剖かいぼう、解体ってことにはならないよ!? 絶対にないとは言い切れないけど……XEDAゼダは正義の味方ってわけじゃないから……でもまあ、普通の生活が送れる可能性は低いね。怖がらせるつもりはないけど、悪魔憑きは焼却しょうきゃくされる事例が多い、かな」


 そして、全然フォローになっていなかった。


「だ、だめですよ!?」


 ちなみが小鈴を守るようにぎゅっと抱きしめる。強く抱きしめすぎたのか、小鈴は「ぐえ」とカエルのような悲鳴をあげた。


「そんなに怖がんないでほしいなあ。私いま首輪されてるから、どうせ自由には動けないし……あと無理に連れてく気もないし」


 リアが悲しそうな表情をしてそう言った。彼女の首輪から伸びたリードは小鈴がしっかりと抱え込んでいる。こんな風にXEDAゼダのエージェントとのんびり話していられるのは、首輪という保険をかけているからだった。


「そういえば、リアさんはなんで私のことを知ってたんですか?」


 ちなみはずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。すると、


「ああ、そうだった。私も聞きたいことがあるんだ」


 と言って、リアが胸の下で腕を組んだ。


「そもそもさ、私は今日休みだったのね。だから家で寝てたんだけど、緊急招集きんきゅうしょうしゅうたたき起こされて、ろくに説明されないまま現場に来いって言われてさ」


 不満げにしたリアが説明を続ける。


XEDAゼダって秘密の多い組織だから、自分のミッションに関係すること以外は全く教えてくれなくて。だから、二人のことも軽く資料で読んだだけで、全然教えてもらってないんだよね」


「そーなんですか?」


「うん。私が知ってるのは、穂高ちゃんがなぜか二脚兵装を操縦できる女子高生ってことと、小鈴ちゃんが数か月前からXEDAに追われている悪魔憑きだってこと。あとは穂高ちゃんが小鈴ちゃんにそそのかされて二脚に乗ってるかもしれないってこと」


「そそのかしてない」


 小鈴が言った。


 少し回復してきたのか、口を尖らせた小鈴は上半身を起こしながら抗議した。


「小鈴は正当な取引でちなみちゃんに手伝ってもらってるだけ」


「……そうなの?」


「そーです!」


 ちなみが自信満々に答えたので、リアはとりあえず納得したようだった。


「私が言い渡されたミッションは、穂高ちゃんを保護することだったのね。なんかね、小鈴ちゃんを捕獲ほかくできるなら、穂高ちゃんの方は殺してもいいって上は判断してたみたいで……私の先輩はそれに反対して、上を説得してる時間がないからって特権を使って私を派遣はけんしたらしい」


「え……」


 物騒ぶっそうな言葉が聞こえた気がして、ちなみが目を白黒させる。そんなちなみにちょっとだけ申し訳なさそうにしながら、リアが言葉を続けた。


「今の穂高ちゃんの能力だと、うちの二脚小隊には敵わない。だから殺される前に穂高ちゃんを助けて欲しいって先輩には言われてたんだけど……なんか聞いてた話と全然違ったじゃん。どういうこと?」


 リアが納得いかない様子で首をかしげた。


 彼女の話をまとめると、まず〈フィンドレイ〉部隊はちなみを殺してでも小鈴を捕まえるつもりだった。そして、ちなみを保護するため、別ルートからリアが派遣された。


 つまり、XEDAはちなみが負けると思っていたのだ。しかし実際には、ちなみは敵機を返りちにして生き延びてしまった。結果的に、リアが助けに来る必要性は全くなかったのである。


「そっかあ……」


 ちなみが〈フィンドレイ〉を全機戦闘不能にしたことを説明すると、リアは心底疲れた様子でため息をついた。

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