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 事務室じむしつに行くと、カウンターにいたのはいつもの事務員のおじさんではなく、制服を着た黒髪くろかみロングの小柄こがらな女の子だった。


「こんにちは、穂高ほだかちなみちゃん」


 女の子がにこやかに挨拶あいさつしてくる。


 その女の子は、ネクタイの色がちなみと同じなので、おそらく高校一年生だ。目はまんまるで顔立ちはおさない。その顔は長い前髪まえがみに半分くらいかくされており、なんだかミステリアスな雰囲気ふんいきだった。


 彼女はにんまりとした笑顔を浮かべると、こんなことを言い出した。


「あなたが落としたのはこのスクールバッグですか? それとも十数年じゅっすうねん分の記憶ですか?」


「……え? 今、記憶って言った?」


 ちなみが聞き返すと、カウンターしの女の子が身を乗り出してきた。


「まず自己紹介だよね。はじめまして、ちなみちゃん。小鈴こすずです」


「あ、はい。穂高ちなみです」


「でさ、どうかな!? やっぱりちなみちゃんって記憶喪失きおくそうしつ!?」


「そーだけど……なんで?」


「きたー! はい勝ち―!」


 小鈴こすずと名乗った女の子が、事務室の中で勝手にさわいでいる。そうして置いてけぼりにされているうちに、一時間目のチャイムが鳴り出してしまった。


「やば! ごめん、スクバ返して! ってか授業始まっちゃうけど、小鈴ちゃんはこんなとこにいていいの?」


「その前に」


 小鈴が小さく手を上げ、ストップのジェスチャーをした。


「ちなみちゃんが忘れちゃった過去のこと、教えてあげよっか?」


 首をかしげた小鈴が、上目遣うわめづかいにちなみの顔をのぞき込んでくる。


「なにか知ってるの?」


「知ってるよ。ねえねえ、昔のことを全く覚えてないなんてちょっと気持ち悪くない?」


「う、うん。そーかも」


「小学校の時は誰と仲良かったのかなーとか、中学の時好きな人いたりしたのかなーとか、知りたいもんね?」


「それはめっちゃ気になる!」


「だよねえ」


 小鈴が楽しげに笑う。


 両親の都合つごうもあり、記憶喪失になってすぐこの街に引っしてきたので、ちなみの過去を知っている人は学校にいないはずだった。けれど、どういうわけかこの子はそれを知っているらしい。


「じゃあ教えて! 私って昔はどんなだったの?」


 そう聞くと、いしし、と笑った小鈴は、


「教えなーい」


 なんて言い出した。


「はぇ? ……なんで!? 教えてよ!」


「嫌で~す。残念でしたぁ」


 んべ、と舌を出しつつ、小鈴がカウンター下からスクールバッグを取り出す。


「はいこれ、ちなみちゃんのスクバ。もう授業始まってるよ」


「でも――」


「小鈴はずっとここにいるよ。知りたければ休み時間に会いに来て。まあ、教えてあげるとは限らないけど」


 にんまり笑った小鈴が言った。そういえば、もう授業は始まっているんだった。ちなみは何かと目立ちやすいので、早く行かないと怒られるかもしれない。


「じゃあ、また来るから! その時はちゃんと教えてね!」


 そう言い残し、ちなみは廊下ろうかを走って自分の教室へと戻っていった。



   *****



 午後、四時十分。


 あっという間に一日が過ぎ、放課後ほうかごになっていた。本当はもっと友達とおしゃべりしていたかったけれど、みんなこの後の予定があるらしい。今日は部活にも呼ばれていなかったので、ちなみは家に帰ることにした。


 ――ところで、何か大事なことを忘れている気がするけど、なんだっけ?


「まあ、いっか!」


 流行りの邦楽ほうがくをハミングしつつ廊下ろうかを歩いていると、なんの前触まえぶれもなく、「ちょっと来て!」と後ろから声をかけられた。振り返る間もなく腕をつかまれ、どこかの教室に引っ張り込まれる。


「なになになに!?」


 そこは化学実験室だった。白く清潔感せいけつかんのある広い部屋で、壁ぎわのたなにはビーカーやら試験管やらの実験用具が所狭ところぜましと並んでいる。


 ちなみの後ろでぴしゃりととびらが閉められた。そこにいたのは、


「……あ!」


 黒髪くろかみロングの小柄な女の子――小鈴こすずだった。


 そういえば、ちなみのことを知っているとか知っていないとかで、事務室で会話したきりだった。完全に忘れてた。


 眉間みけんしわを寄せた小鈴が、ずんずん近づいてきて目の前で停止する。


「あ、じゃないよ! なんでお昼休みとかにこなかったの!? 一日中くそつまんない部屋で待ってたんだよ、超絶ちょうぜつヒマだったよ!」


「ごめんごめん、忘れてた。あはは」


「あははじゃないよ、なに笑ってるの!? 忘れてたってどういうこと!? また来るって言ってたよね、それでなんで忘れちゃうのかな!? ねえ、ねえ!」


「わばばば」


 肩をはげしくすられて、ちなみの頭ががくがくと揺れた。しばらくしてちなみを揺するのをやめた小鈴は、ため息をつきながらこんなことを言った。


「ちなみちゃんがおバカなせいで、説明してる時間がなくなちゃったよ」


 そして、初対面しょたいめんなのにバカあつかいされた。


「ば、ばかじゃないですう! ちょっとお茶目ちゃめなだけだから!」


「こうなったらしょうがない。とりあえずこれつけて」


 言いながら、小鈴が首元くびもとに手を伸ばしてきた。


「ひゃ、なに――」


 くすぐったい、そう感じた矢先やさきに、かちゃりと音が聞こえてきた。


「え?」


 首回りになにか違和感いわかんがある。どうやら輪っかのような物体で――考えるまでもなく、それは首輪くびわだった。


「なにこれ!?」


「このリードを持っている人の言うことを何でも聞いてしまう魔術的まじゅつてきな首輪だよ」


「はい?」


 笑顔を浮かべた小鈴が口を開いて、


「ちなみちゃん、お座り!」


 と言った。


 それに返事をする前に、ちなみの身体が勝手かってに動いてその場にしゃがんでしまった。首輪をつけられ、その首輪から伸びるリードをにぎられ、命令通りにお座りして……まるで、犬になったみたいだった。


「なにこれ~っ!」


「ぷぷ、ぱんつ見えてるよ」


「ちがうの、見せたくて見せてるんじゃなくて……!」


 ちなみが顔を真っ赤にする。ずり落ちたスカートをおさえようにも、『お座り』の姿勢しせいから少しも動けない。そんなちなみを見て、小鈴は心底しんそこおかしそうに笑っている。


「そうだ! 犬耳もつけようよ! できる?」


幻覚げんかくでよければ。これでどうでしょう』


「うわ、いいじゃん! さいこうだよ」


 どこからか中性的な謎の声が聞こえてくる。その声と会話しながら、小鈴がちなみの頭を見てけらけらと笑っていた。


「なに? なにが起きてるの?」


「みせてあげるよ」


 小鈴がポケットからスマホを取り出し、その画面がめんを向けてくる。インカメに映ったちなみの頭には、髪と同じ明るい茶色の犬耳いぬみみが生えていた。


「うそ、なんで!? 犬になっちゃったの、私!?」


「似合ってるよ、ポチ」


「私はポチじゃない! どうしよう、こんな耳つけてたらもっとバカだと思われちゃう!」


 涙目なみだめのちなみを見ていよいよ調子に乗った小鈴は、けらけら笑いながらお座りするちなみ犬をカシャカシャと撮影さつえいしだした。


「ねえやだ、んないで~っ!」


「ちなみ、お手」


 言われるがまま、小鈴が差し出したてのひらに自分の手を乗せる。小鈴の説明通り、リードを握られている間は強制的きょうせいてきに言うことを聞かされてしまうようだった。


「もうやめて、私で遊ばないで!」


 その言葉ではっとした小鈴は、立ち上がってリードを引っ張った。


「そうだった。遊んでる場合じゃないんだ。いくよポチ!」


「やだ!」


「返事は『ワン』だよ!」


「わんっ」


 元気よく返事をしたちなみは、リードを引っ張られて化学実験室の外に出された。


 はたから見れば、ちなみはとんでもない異常者いじょうしゃだ。犬耳と首輪をつけてリードで引っ張られるちなみを、生徒たちが奇異きいの視線で遠巻とおまきにながめている。


「こんなのやだぁ……」


 ちなみは真っ赤にした顔をうつむけて、知り合いに見られないことをいのりながら小鈴についていくしかなかった。



   *****



「待って、こんなとこ入っていーの!?」


「バレなきゃ平気だよ。とにかく急いで、もうすぐあいつが来る!」


 そこは、学校の裏にある小さな森だった。明らかに侵入禁止の頑丈がんじょうそうなさく迂回うかいし、人ひとり入れるかどうかくらいの隙間すきまを通り、小鈴が中へと入っていく。リードで引かれているちなみも、同じようにそこに入るしかない。


 森の中をしばらく走ると、開けた場所に出た。雑草ざっそうの生いしげる、緑色の大広場だ。


「よし、ここなら……」


 つぶやいた小鈴が振り向き、ちなみに話しかけてきた。


「よく聞いて、ちなみちゃん。時間がないから一回しか説明しないよ。実はね――」


 しかし、小鈴は説明を途中とちゅうでやめ、呆然ぼうぜんと空を眺めて「おわった」と言った。


 ちなみが振り向き、小鈴と同じ方向に目を向ける。真冬の空はんでいて、いくらでも遠くまで見渡みわたせそうだった。


「んん……?」


 そして、遠くからこちらに向かって『なにか』が飛んでくるのが見えた。ものすごいスピードだ。それはどんどん大きくなり――どうやら人型の『なにか』であるらしいことがわかってきた。


「やっぱり間に合わなかった! しょうがない、ここはちなみちゃんに任せるよ!」


「えっ、待って、なに?」


 小鈴の急な宣言せんげん戸惑とまどっていると、「お座り!」と命令された。ちなみの身体が勝手に動いて、草むらの地面にしゃがみこむ。


「どーいうこと!? 待って、置いてかないで!」


 そして、小鈴はダッシュで森の中へと逃げて行った。お座りさせられたせいで出遅でおくれたちなみも立ち上がろうとして――突然巻き起こった強風にあおられ、尻餅しりもちをついてしまった。


「なに? なんなの……?」


 目の前の地面に大きな影が落ちる。


 そして、空から『それ』が降りてきた。


 地面にふわりと着地した『それ』は、きらめく翼を持っただった。


 身長は三メートル以上。全身は灰色のよろいおおわれ、右手に長剣、左手に大盾を持っている。その姿は巨大な騎士の彫像ちょうぞうのようだ。しかし、頭部には光る輪っかがはめ込まれており、顔の代わりにつるりとした面が張り付いていた。


 そいつは翼をたたむや否や、のしのしと歩いてちなみの方へ近づいてくる。


「わ、わ、わ――!?」


 目の前でひざをついた彫像の騎士が、ずい、と顔のない頭部を近づけてくる。尻餅をついたままのちなみはその場を動けず、十センチの距離で不気味ぶきみな顔面と見つめ合った。


「あ、ど、どーも……穂高ちにゃ、ちなみです……あはは……は……」


 あせを流しながらも、一応自己紹介をしてみる。しかし、当然ながら無反応むはんのうの騎士は、まじまじとちなみのことを見つめたままだ。ここで人生終わりかもしれない。きっとこのまま殺されてしまうんだ。


 ちなみの脳内のうないを過去二年分の記憶が流れていく。おそらくこれが走馬灯そうまとうだ。試験結果が最悪さいあくでお母さんに怒られたこと――スカートがバッグにひっかかっておしり丸出まるだしで歩いていたこと――間違えてブレザーの下にパジャマを着て登校したこと――


「……あ」


 不意ふいに、彫像の騎士がちなみから離れた。そして立ち上がり、首をぐるりとめぐらせると、猛然もうぜんと森の方に駆け出した。


「やばいやばいやばい、こっちきた! 身代みがわり作戦失敗! さいあくだ!」


 あわてた小鈴の声が聞こえる。森の中から様子をうかがっていた小鈴が走り出した。その胸には、いつの間にか黒い球体きゅうたいが抱えられている。


「悪魔、お願いっ」


 走りながら小鈴が叫んだ――


『 “恒体顕現ネイティヴ・スケール:イフェイオン”』


 さっきも聞いた、中性的な声がそうとなえた。


 その瞬間しゅんかん、小鈴が抱えていた黒い球体がばらりと解体かいたいされる。それは影のように四方八方に伸び、あっという間に小鈴を包み込んで、彼女の身体は黒くりつぶされた。


 ネイティヴ・スケール。


 ヒトという規格きかくを超えた、真の姿。


 小鈴だった真っ黒な人型が巨大化する。それが身長三メートルまで大きくなると、全身からツノのような形状けいじょうが伸びていく。すぐに黒い影はけ落ちて、あざやかなライムグリーンの鎧があらわになった。


「うそ……」


 ちなみは目を見張みはった。エイリアンのロボットのように異質いしつな姿をした、ライムグリーンのトゲトゲ巨人――〈イフェイオン〉。たった今、ちなみの目の前で、小鈴はそれに変身してしまったのだ。





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〈近況ノートにて機体やキャラの設定イラストを公開中です〉

・小鈴

https://kakuyomu.jp/users/kopaka/news/16818093083302869432

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