第一章 おバカで明るい最強操縦兵

1-1

 その街には、無数の廃屋はいおくが並んでいた。


 黒くすすけて半壊はんかいした壁。崩れ落ちた屋根。色褪いろあせて文字が読めなくなった看板。道端どうたんに積み上がる瓦礫がれきの山。


 ここは、東西ドイツの統合とうごうによってゴーストタウンとなった街だ。ベルリンの壁崩壊ほうかいから約三十年。昔は活気のある商店街だったこの場所も、今や幽霊ゆうれいの出そうな廃墟街はいきょがいと化している。


 耳をましても、聞こえてくるのは自分が発する音だけだった。


 どくどくうるさい心臓音。


 いつもより荒い呼吸音。


 そして、


 『フライシュッツ』という名の十三歳の少女が、陸戦兵器の狭苦せまくるしい操縦席そうじゅうせきに座ってその音を聞いている。廃墟はいきょの一角にうずくまる赤褐色せきかっしょくかたまり――それが少女の乗っている陸戦兵器の見た目だった。


 モニターに映る廃屋はいおくを眺めながら、呼吸と心拍しんぱくを整えようと努力する。


「ふう――」


 少女は深呼吸しんこきゅうを繰り返す。


 肩に届かないくらいの明るめの茶髪は、乱れてぼさぼさになっている。灰色のひとみは美しかったが、目の下にはくまができていて見るからに不健康そうだ。着ている戦闘服せんとうふくもぼろぼろで、少女はそれを脱いでしまうか本気で悩んでいた。


「水、なくなっちゃった……」


 水筒すいとうをひっくり返しながら少女が呟く。


 携帯食料はとっくになくなっていて、一昨日おとといの夕方からなにも食べていない。たった今水もなくなってしまったので、干からびてしまうのも時間の問題だ。


「命令……なんだっけ」


 少女はぼんやりと思考しこうする。ここのところ満足に休息がとれていないので、頭がうまく回っていなかった。最初のうちは組織の拠点きょてんめぐって燃料ねんりょう弾薬だんやく、食料などを補給ほきゅうできたけれど、それらも全て『敵』におさえられ、少女は行く当てを失った。


「命令……めいれい……」


 お腹が減っていることや、のどかわいていることよりも、命令を思い出せないことの方が少女にとっては死活問題しかつもんだいだった。命令とは『魔法まほう』だ。命令は彼女に生きる原動力げんどうりょくを与えてくれる。命令こそが彼女を生かす燃料ねんりょうなのだ。


 遠くから足音が聞こてきた。


 それは『敵』の足音だ。がちゃりがちゃりと、重々おもおもしい音を立てる走行音。


「もう来ちゃったんだ」


 少女はペダルを踏み、操縦桿そうじゅうかんを倒す。ディーゼルエンジンの回転数かいてんすうが上がり、赤褐色せきかっしょくの陸戦兵器――〈ヴェスパ〉がゆらりと立ち上がった。


 そう、立ち上がったのである。


 直方体形状の両脚りょうあしが地面を踏みしめている。


 その上には、前後に長い角ばった胴体どうたいが乗っている。


 胴体からは円筒形えんとうけいの腕が伸び、右手には重機関銃じゅうきかんじゅうを持っている。


 そして、頭部のガラスシールドの奥で光学センサが稼働かどうする。


 少女が乗っている陸戦兵器は人間型をしている。少し不格好ぶかっこうではあるものの、両腕と両脚をそなえ、右手に武器を持っているのだから、それは人間型であると言えた。


 『二脚兵装にきゃくへいそう』。


 英語なら『Armored Bipedal Vehicle』、あるいは『Bipodバイポッド』。


 それは、ディーゼルエンジンで油圧駆動ゆあつくどうする全高三メートルの陸戦兵器である。WWⅡ世界大戦で登場した『二脚兵装』は、冷戦期れいせんきに大きく進化し、現代ではどんな戦場でも使われるメジャーな兵器となっている。


 少女が乗っているのも、ごく一般的いっぱんてきなありふれた機体だった。〈VBB-1 ヴェスパ〉――イタリア製の第四世代型二脚兵装。安価あんかかつ頑丈がんじょうなため、民間組織から犯罪者にまで広く使われている、世界で最も大量生産された傑作機けっさくきである。


「よし……がんばろう」


 つぶやいた少女が、モニターを見つめる。


 大通りの向こうから現れたのは、三機の『二脚兵装』だ。濃緑色のうりょくしょくのその機体は、米国製べいこくせいの第四世代型〈M90フィンドレイ〉、それも重装甲じゅうそうこうのHA型。〈ヴェスパ〉が持っている重機関銃で相手をするには、かなり不利ふりな相手だった。


 操縦桿を倒す。


 ディーゼルエンジンの唸りを上げ、〈ヴェスパ〉が路地を疾走しっそうする。重々しい見た目の〈フィンドレイ〉が散開し、少女の機体を包囲ほういするようにフォーメーションを組んだ。


「てーいちにおりれーば、すーばらしいー……」


 機体を操縦そうじゅうしながら、小さな声で少女が歌う。


 〈ヴェスパ〉が路地ろじ爆走ばくそうする。一機目の〈フィンドレイ〉がロケット弾を発射したが、ゆらりと揺れた少女の機体はそれをなんなく回避かいひした。二機目の〈フィンドレイ〉が背後から二十ミリ砲をつものの、〈ヴェスパ〉はそれも易々やすやすと回避していく。


「……おーかにはすもも、てーいちにぶどうー」


 路地を疾走しっそうした少女の機体が、一機目の〈フィンドレイ〉とすれ違う。少女はすれ違いざまにトリガーを引き、重機関銃をバースト射撃。発射された十二・七ミリ弾は、装甲の隙間すきまを食い破り、敵機てっきのディーゼルエンジンを一撃で破壊した。


 少女が間奏かんそうをハミングする。


 ステップを踏んだ〈ヴェスパ〉を、二機の〈フィンドレイ〉による十字砲火じゅうじほうかが襲った。それは完璧な連携れんけいで、どんなに熟練じゅくれんした操縦兵でも避けることは不可能だ。


 しかし、少女の機体はその十字砲火を


 二機の〈フィンドレイ〉はなおも攻撃を続ける。しかし、ゆらゆら揺れる〈ヴェスパ〉は全ての攻撃を回避して、すれ違いざまに二機目の敵を無力化した。


「てーいちにおりれーば、ぼーきょうのちー……」


 少女の〈ヴェスパ〉が、最後の〈フィンドレイ〉へと正面から走りせまる。〈ヴェスパ〉は武器を構えておらず、それはほとんど自殺行為こういだった。〈フィンドレイ〉は二十ミリ砲を連射し、無防備むぼうびな〈ヴェスパ〉を狙い撃ちにする。


 だが、当たらなかった。


 少女の機体には傷一つつかない。右へ左へと揺れる〈ヴェスパ〉は、砲弾ほうだんの雨を易々とすり抜ける。それは奇蹟きせきか魔法としか言いようがなかった。おびえたように、〈フィンドレイ〉がじりじりと後ずさる。


 小さな歌声が、後奏こうそうをハミングした。


 〈ヴェスパ〉は〈フィンドレイ〉の真横へとすり抜けると、重機関銃をバースト射撃。発射された十二・七ミリ弾は、的確てきかくに装甲の薄い部分をつらぬき、敵機のエンジンを一撃で機能停止させた。


 濃緑色のうりょくしょくの機体が、ごしゃりと地面にくずれ落ちる。二十八秒。少女はほとんど神業かみわざのような戦闘術で、最小限さいしょうげんの銃弾だけを使って、たった二十八秒で敵二脚小隊にきゃくしょうたいを全滅させた。それは、常識的じょうしきてきにはあり得ない戦果だった。


「てーいちにおりれーば、ぼーきょうのちー……」


 歌いながら、少女の機体はその場を後にする。


「……命令、なんだっけ」


 少女は小さく首をかしげた。命令が思い出せないのは本当に困りものだ。命令がなければ、少女はなぜ逃走とうそうを続けているのかわからない。


 命令が欲しい。そうでなければ、生きる意味がなくなってしまう。


 少女は生きる亡霊ぼうれいのように、ありもしない命令を求めて廃墟はいきょの街を彷徨さまよった。



   *****



 朝、七時十分。


 まくらもとに置いたスマホから、アラーム音が鳴っていた。布団ふとんにもぐりこんでいた少女がもぞもぞと動き、スマホをタップしてその音を止める。


 少女の名前は『穂高ほだかちなみ』。十六歳の高校一年生である。


 ちなみはベッドの上でむくりと起き上がり、「さむ……」とつぶやきながら布団を引き寄せた。


「よし……」


 少しだけ目を閉じて、自分の過去かこに思いをはせる。それはちなみのちょっとした日課にっかだった。朝起きて、昔の自分を想像する――なぜそんな日課があるのかといえば。


「うん! 今日も思い出せない!」


 ちなみが記憶喪失きおくそうしつだからだ。


 ここ二年の出来事できごとはきちんと覚えている。全く記憶がないのはその前だ。両親によれば、中学二年生のころひどい事故じこにあい、それまでの記憶がパーになってしまったらしい。


 ちなみが覚えているのは二年分のことだけで、十四年分の記憶はきれいさっぱり空白くうはくだ。ただ、不自由ふじゆうに思ったことはない。気にならないわけではないけれど、過去がわからなくて困ったことは一度もなかった。


「そろそろ起きるか~……」


 あくびをしながらベッドから降りる。昨晩さくばん聞いた流行りのJ-POPを適当にハミングしながら、朝の身支度みじたくにとりかかった。



   *****



陸上自衛隊りくじょうじえいたいとイギリス陸軍が、島の防衛ぼうえいを想定した合同訓練を実施じっしし、その様子の一部が公開されました。訓練は陸上自衛隊の――』


 つけっぱなしのテレビからそんなニュースが流れている。


 制服せいふくに着替えたちなみは、リビングで朝食をとっていた。明るい茶髪をサイドテールに結わえた、美人めな顔立ちの快活かいかつそうな女の子――それが穂高ちなみだ。彼女はいちごジャムを塗ったトーストをかじりつつ、ぼけっとテレビをながめている。


 どこかの草むらで、緑色の迷彩服めいさいふくを着た兵士が走っていた。次いで、装甲車そうこうしゃが画面に映る。そして、手足の生えた人間型の兵器――『二脚兵装にきゃくへいそう』が映った。その機体は二本の脚で草むらを走行し、手にした大きな銃を構えている。


「ちーちゃん」


 弁当を作り終えた母親がキッチンから出てきて、声をかけてきた。


「今日、模試もしの結果返ってくるんでしょ」


 そこで盛大せいだいにむせたちなみは、ゆっくりと母親の方を向きながら「そうだっけかな~?」とすっとぼける。


「ちょうど一か月たったでしょ。そろそろじゃないの」


「へ、へ~。よく覚えてるね!」


 白々しらじらしく話題をらしながら、残っていたトーストを急いで食べる。模試の結果は間違まちがいなくやばい。だから、これ以上余計なことを言われる前に、早めに家を出ようと決心した。



   *****



 八時四十五分。


 授業が始まる前の、朝のショートホームルームの時間。教卓きょうたくに立った担任の男性教師が事務連絡じむれんらくをしている。ちなみは眠気と戦いながら教師の言葉を聞き流して――


『連絡事項はこれで終わりかな、と……まだあった。なあ、穂高』


 いたところ、唐突とうとつに名前を呼ばれた。


「えっ、あ、ひゃいっ!」


 驚いたちなみがなさけない返事をすると、中年の教師はため息をついてこう言った。


『また下駄箱げたばこにスクールバッグ落としてきただろ……』


 はっとして机の横を見ると、いつもそこにかけているスクールバッグがなかった。何か忘れている気はしていたけれど、家から持ってきたもの全部、バッグごと下駄箱に置いてきてしまったらしい。


「……またやっちゃったみたいです!」


『これで八回目か? そろそろ席に着いた時に気付こうな? 事務室じむしつに保管してあるらしいから、一時間目が始まる前に取りに行ってこい』


「わかりました!」


 ちなみがそう返すと、『毎回、返事だけはいいんだよなあ』とぼやきながら、担任教師は退出たいしゅつしていった。


「おい、またかよお前」


 担任がいなくなって教室内がさわがしくなると、友人の鈴木すずき和歌わか――ぱっつん前髪の女子生徒が、あきれ顔で声をかけてきた。


「なんでスクバを一回下に置くんだよ。持ったまま上履うわばきにき替えろっていつも言ってるじゃんか」


「もー、ママはうるさいなあ」


 席を立ちつつ、和歌にそう言い返す。


「ママちゃうわ。なんでお前はポロポロポロポロ落とし物するかな」


「それがちなみちゃんの可愛かわいいとこじゃん。こちとら記憶だって落としてますから。ダテに記憶喪失やってないのよ」


 ふふん、と得意げに胸を張ったちなみに、和歌が「ほこらしげにすんな」と突っ込んだ。


「じゃあついでに聞いて来いよ。『私の記憶も落ちてませんでしたか』って」


「そんなわけないでしょ。和歌ったらもうボケちゃった?」


「お前に言われると腹立つわ。いいから行ってこい」


 しっし、と和歌が手を振る。それに「はーい」と返事をして、ちなみは教室を後にした。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

〈近況ノートにて機体やキャラの設定イラストを公開中です〉

・穂高ちなみ

https://kakuyomu.jp/users/kopaka/news/16818093083242676429


・VBB-1 ヴェスパ二脚兵装

https://kakuyomu.jp/users/kopaka/news/16818093083040185580

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