四
辺りがほんのりと色づき始め、林の景色もかなり遠くまで見通せるようになってきた。真っ白でしっとりとしていた彼の身体は、すっかり乾いて今はたくましく黒光りしている。生い茂る木々の間から射し込んだ朝日が、背中に生えた透明の翅を虹色に輝かせた。
彼は居ても立ってもいられなくなり、自分の抜け殻を蹴って宙へ飛び立った。鬱蒼とした木立の間をかいくぐり、頭上に覆い被さっていた数多の枝葉を突き抜けた先は、どこまでも広がる新鮮な青い夜明けだった。
我知らず、言葉にならない雄叫びを上げていた。世界は広い。地中も林の中も、高い空から見下ろせばあまりにも
彼はしばらく、大空を飛び回る優越感に酔い痴れる日々を送った。背中の翅のおかげで飛べるようになった上、腹の底からとてつもなく大きな声も出るようになった。よく通る声に乗せて歓びを歌い上げると、辺りにいくつもの気配が現れる。彼の歌を聴くために、仲間が集まって来るのだ。
ただ、仲間の気配はたくさん集まるものの、それ以上彼に接近しようとする者はいなかった。仲間たちはいつも遠巻きに歌の冒頭だけ聴いて、すぐにどこかへ飛び去ってしまう。彼の優越感は、日を追うごとに失望へと変わっていった。
察しはついていた。彼の歌を耳にしてやって来るのは女性。彼女たちは男の歌を吟味して、歌の主が自分に見合うかどうかを値踏みしているのだ。その推論が裏づけられたのは、ある仲間の男に出会ったときだった。その男はとても勇ましく強靭な歌声を持っていて、男である彼が聴いてもほれぼれしてしまうほど、抜群に歌が上手かった。
「俺が歌いだすと、女たちが山ほど寄って来て、すぐにでも踊りたそうに腹をくねらせる。だから俺は、もう三度も女と踊った。でもな、俺はもっともっと女と踊りたい。声が出なくなり、この身体が動かなくなっちまうまでな」
そう言い残して男は飛び去ったが、よほど颯爽とした姿を見せつけたかったのか、よそ見をして目の前の木にぶつかった挙句、取り繕おうとばたつくこともなく地面に落ちた。しばらく待ってみたが、一向に起き上がる気配はない。どうやら男の命運は、ここで尽きてしまったようだ。仲間に自慢するほど地上の生活を謳歌してきたのだから、多少早い幕引きとはいえ、それほど未練はないだろう。
そういえば、地上に出て来たばかりの頃、草の茎を登っていた女が言っていた。女は一生のうち、一度しか相手を選べない。ということは、複数の女と踊った男が多ければ多いほど、踊る相手に巡り会えない男が増えるということだ。これまで一度も女と踊ったことのない彼は、自分のだらしなさをあからさまに揶揄されたような気持ちになった。毎日、心を込めて歌っているつもりだが、未だに彼の歌に惹かれる女性は現れない。これではまるで、自分はこの世界に不要だと言われているようなものではないか。
草を登っていた女の声が、いつまでも頭の中で反響を繰り返している。やはり僕は、歌が下手で魅力のない、ただのノロマだったのだ。あのとき突風に煽られて落ちるべきだったのは、彼女ではなく僕だったのかもしれない。そんな自責に打ちのめされ、彼の歌声はますます精彩を欠いていった。
地上で生まれ変わってから、一か月が経とうとしていた。毎日くたくたになるまで歌い続けたが、それでも彼の声になびく女性は現れなかった。気がつくと、身体の所々にガタが来始めている。地上で歌を歌い続けられる時間は、もうそれほど残っていないのかもしれない。
このまま一生を終えることに、恐怖や後悔が無いと言えば嘘になる。しかし彼の胸中には、そんな虚しい運命を受け入れる準備もできていた。以前出会った歌の上手い男のような、生まれつき恵まれている者ばかりを見てきたなら、こうはならなかっただろう。しかし彼はこれまで幸福な光景よりも、仲間のやるせない最期のほうを数多く目の当たりにしてきた。
たった今まで女を求めて歌い、必死に飛び回っていた者が、突然力を失って地面に落ちる。そこで仰向けにひっくり返ったまま、なす術もなく最期のときを迎えるのだ。何ともあっけない結末。ただ、彼らには悲壮感こそあるが、卑しさや見苦しさは微塵も感じられなかった。結果はどうあれ、彼らの生の終着点には、役目を終えた者たちの崇高な美学のようなものがあった。
そして、未だに女性にも最期にも辿り着いていない彼はというと、世界から爪弾きにされたような空気に押し潰されてしまいそうだった。だから余計に彼は、そんな仲間たちの潔い最期に憧れを抱くようになった。何年も地中に引きこもっていたときは何とも思わなかったが、この期に及んで孤独をひどく呪っている自分がいる。あまりにも強烈な皮肉。もはや彼は、苦笑で気鬱を紛らす気にさえなれなかった。
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