どうしよう。早まった。

 真っ白なシーツに後悔が広がってゆく。


 描くほうはもう慣れたけど、描かれるのは初めてだ。

 下着をとる前にそっと振り返ってみると、彼は画材の準備に忙しく、こちらを見てはいなかった。自意識過剰というやつか。

 所詮私たちは、画家とモデル。


 ポーズは先に竹内くんが示してくれていた。背を向ける格好だからまだ気が楽かと思っていたのに、いざベッドに寝そべると、向かいのチェストには小道具と並んで鏡が乗っている。頼むから、中まで詳細に描かないでね。


「あ、ちょっと待って」


 椅子の軋む音がした。


 竹内くんが立ち上がって、近づいてくる――そんな気配がする。

 振り向くなんて絶対無理。鏡? そんなの見られるわけがない。視線まで固まって、石膏像にでもなった気分。かわりに意識は全部、背後にもっていかれた。


 背中がざわつく。鳥肌立ててしまいそう。

 足音が止み、竹内くんの手がのびてくる。


 突然の刺激は、お尻にきた。思わず漏れそうな声を堪える。

 シーツのしわを直した竹内くんは、すぐに自分の席に戻って行った。




 慣れとは恐ろしいもので、私は次第に竹内くんの前で平気で服を脱ぐようになった。


 休憩に入ると全裸のままでイーゼルの前に座り、竹内くんの作品に加筆する。合作は数を増していった。


 あるいはマグカップ片手に彼の背後に回り、キャンバスを覗き込むふりしてその横顔を盗み見る。

 ふいに彼と目が合って、熱い飲み物をこぼしてしまった。


「続き、やろうか」


 濡れた肌が赤く染まる。


 ただ寝そべっている時間は退屈だけど、私は竹内くんの筆遣いを背後に聞くのが好きだ。ペチャペチャと絵具を混ぜるペインティングナイフ。キャンバスを大胆に擦る筆の音。今塗っているのは、何色だろう?


 たまに振り向いて、怒られる。

 いいじゃない、ちょっとくらい。ケチ。


 真剣に描いていた竹内くんの筆が、ふいに止まった。苦しそうにうずくまる。私はベッドを飛び降りて場所を替わった。

 それでも彼は筆をとろうとした。


「無理しないで」


 私は背中をさすって懇願する。


「……した、かっ……」


 荒い息の合間に、彼が言葉を絞り出す。


「え、何?」

「残し、たかったんだ。この世に……何かを、残したかった」

「残せるよ」


 汗で貼り付いた前髪をそっとく。濡れた瞳の中に私がいた。


「残そう」



  ★



 出来上がった作品に、彼は『追う背中』というタイトルをつけた。どういう意図なのかはわからない。追いかけていたのは、私のほうだったのに。


「この作品は、生命力に満ちている」


 森影氏が静かに断言した。

 すべてを見透かしたような言葉に、私は涙を堪えるしかなかった。


 はい、彼が命を注ぎ込んで、生み出した作品なんです。



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