1.稲そよぐ風


「お待たせいたしました、森影様。本日はようこそお越しくださいました」


 予め考えておいた幾つかのパターンの中から、私は結局シンプルな挨拶をした。晴天であることと、相手が杖を持っていたことから「お足元の悪い中云々うんぬん」という文言は避けた。


 森影氏はチョークストライプの入ったブラウンスーツを瀟洒しょうしゃに着こなし、ステッキに軽くもたれかかりながら絵を見上げていた。初老の紳士という言葉がこれほど似合いそうな日本人を、私は見たことがない。


 身に着けている全てが如何いかにも上質で、それはそのまま、彼の審美眼を保証しているようでもあった。


「この作品は、躍動感がありますねえ」


 挨拶もそこそこに、森影氏は絵に目を戻す。エントランス正面に飾られた油彩画『稲そよぐ風』だ。

 輝くような稲穂の海、その先の畔道あぜみちに白いワンピースの女性が立っている。


 仰ぎ見るような格好のまま、森影氏は静止してしまった。さっきの言葉に返事すべきだっただろうか。そっと横顔をうかがって私は唖然とした。


 彼は目を閉じていたのだ。


 目を閉じて絵画を鑑賞する人がいるだろうか。いや、もしかしたら細目を開けているのかもしれない。だがその柔和な表情は、絵の中に吹く風を肌で感じているようにも見えた。


 私は安心して、後ろで見守ることにした。

 求められない限り作品解説はしないつもりだ。『竹内ユウキ』の世界を説明することは、私にはできない。


 私はまだ、それを十分に理解していない。たぶん、これからも。

 その魅力を存分に語れるのは、私ではないのだ。



  ☆



「ソロヤ、かな」


 竹内くんがそう言ったのは、たしか、二年目の新歓の席だった。飲み会定番のお題「好きな画家は誰か」というやつだ。


 美術部には、マニアックな画家の名前を出せた者が勝ち、みたいな勘違いが蔓延まんえんしている。有名な画家でも、あまり知られていない作品名を挙げて論じるとか。


 何それ。有名なほうが、多くの人に認められているってことでしょ? そのほうがすごいじゃない。そっちのほうが、いいじゃない。

 私たちは評論家じゃないんだから。


 ただ絵を描くのが好きだっただけ。好きがこうじてここにいる。


 スタートはみんな一緒。クレヨンの極太ラインと、はみ出たベタ塗り。

 胴体はないか、あっても三頭身未満。


 小学生になると鉛筆に持ちかえる。顔の輪郭はU。片目をつむり、開いたほうの目には星かハートでも入れてしまいそうな、痛々しい女の子の落書きを量産する。

 それがひょんなことから祖父母や親戚のお褒めにあずかり、学校の課題で出した絵がコンクールで入選する。嬉しいから、もっと描いちゃう。


 輪郭は五角形になり、目は黒塗りにハイライトの白抜きが入る。

 何度も描いていれば誰だってそれなりに上手くなる。いびつな円も何度も重ねれば正円に近づく。「それっぽい」を描くのは難しいことじゃない。


 睫毛まつげをバシバシ生やしてみたり、唇に厚みをつけてみたり、毛束感を出してみたり。

 そうして頬に膨らみをもたせ、瞳孔どうこう虹彩こうさいが描き込まれる頃には、周囲の友達から頭一つ二つ抜け出ている。もっと褒められる。調子に乗って、中学で美術部に入る。


 インコース確定。


「尾関さん、まだ、ゆうぞう使う?」


 隣から声を掛けられてハッと我に返った。

 スケッチブックと睨めっこしたまま、私は思考の海におぼれていたらしい。どのくらいそうしていたのだろう、バーミリオンに煮詰まった西日が部室に染みついた絵具の臭いを燃やしている。一緒にデッサンをしていた先輩は既に画材を片付け終えていた。


「はい。もうちょっと」

「じゃあ先にあがるから、終わったら戻しといて」

「お疲れ様です」


 先輩が部室を出ていくのを見届けると、私はゆうぞうに向き直り、2Bの鉛筆に持ちかえた。「ゆうぞう」というのは、デッサン用の石膏せっこう像につけられた名前だ。

 もちろん、ギリシャ風の彫りの深い顔立ち。

 いつからそう呼ばれているのか定かでないが、一説によると先代学長の名前が「勇三ゆうぞう」だったらしい。


 描き始めてから時間が経って、影の位置がすっかり変わってしまっていた。

 紙の中のゆうぞうはオリジナルの石膏の質感そのままに、無機質な目で虚空を眺めている。

 私はその右目に鉛筆の先をあてがうと、瞳孔と虹彩を丹念に描き込んだ。仕上げに消しゴムで叩いて白くぼかし、そのあとに星マークを入れる。


「ブッ」


 突然、後頭部に笑いが降ってきた。

 振り向くと竹内くんが描きかけのキャンバスを持って通りかかるところだ。相変わらず、乱雑な筆跡が目立つ。


「これから?」


 皮肉を込めて聞いてみた。

 その、金茶きんちゃの絵具を塗りつけただけみたいな稲穂の海は、これから細かな線を重ねてディテールを引き出していくんだよね? まだまだ、これからだよね。


「うん、これから」


 竹内くんはいつもの場所にイーゼルを立てながら答えた。

 たぶん全く響いていない。


 大学の美術部は、部費さえ払えば何をするのも自由だ。朝から入り浸るもよし。好きな時にふらりと立ち寄って、少しだけ描いていくもよし。好きな時に来て、描かないのもよし。来なくてもよし。

 竹内くんは夕方の講義を入れているから、これくらいの時間に来る日が多い。「今から作業に取り掛かる」という意味だけの「これから」。


 イーゼルの上に据えられて遠目に見る彼の油彩画は、さっきと雰囲気が違って見えた。それでも「粗い」という印象はぬぐえない。


 やっぱり私は、ミレーのような、わらの一筋一筋まで感じられる作風が好きだ。


 だけど、どうしてだろう。こんなに解像度が低くて、如何にも描きかけという感じがするのに、そこに黄金に輝く稲穂の海が広がっているとわかる。画面右手前から左奥へとなびいて、その先に立つ白いワンピースの人物へと向かう。


 この絵の中には、風が吹いている。


 私はゆうぞうへの興味をすっかり失って、竹内くんが準備する様子を見るともなく見ていた。それでも彼は道具を取りに行き来しながら画家わたしモデルゆうぞうの間を絶対に横切らない。


「この前言ってたの、あれ、誰だっけ?」


 別に、何でも良かったのだけれど。

 私たちの話題にできることなんて他に思いつかなかった。学部も違えば、第二外国語だって違う。私はフランス語。彼はたしか、中国語。

 どこの絵具の発色が良いとか、どんな画筆が好みとか、そういうのは、まだ早い。


「この前?」

「ほら、飲み会のとき」

「飲み会……ああ、好きな画家は誰かってやつ?」

「そう、それ」


 戻ってきた彼はエプロンをしていた。黒は汚れが目立たないなんて言うが、油彩画家には関係ない。


「ホアキン・ソロヤ。……あ、ソローリャって言ったほうがいいかな」


 再び側を通るとき、彼は5Bの鉛筆を取って、ゆうぞうが見つめる先の空白に「Sorolla」とつづりを書きつけた。


 帰り道、早速調べてみた。ホアキン・ソローリャ。ソロヤ、ソロージャともいう。十九世紀スペインの画家。


 画像もいくつか開いてみた。……正直、どこがいいのかわからない。

 いや、下手って訳ではないけれど。人物なんかは活き活きしている。でもよく見れば、背景は手抜きで誤魔化したような粗い仕上げ。これで本当に完成作品?


 私はやっぱり、フェルメールが好き。



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