光を求めて

上田 直巳

0.プロローグ

最後の個展


 私は緻密ちみつで写実的な絵が好きだ。


 例えば、そう、フェルメール。光の角度を計算して、繊細せんさいなタッチで描き込む。唇には陰影で膨らみをもたせ、縦筋で質感を与え、ハイライトを置いてつやを出す。


 だが現在、私の目の前にある作品は、まるで正反対だ。

 筆のストロークがそのまま残ったような粗い仕上げ。濃淡のグリーンを散らした背景は、白いワンピースとの境界すら曖昧あいまいだ。


 その中で、赤い唇が笑っている。

 不明瞭な世界の中にただ一点、鮮明に引かれた赤。視線は自然とそこへ吸い寄せられる。少し開いた隙間から、今にも笑い声がこぼれてきそうだ。


「すみません」


 背後から控えめな声がして、私を絵画の外へと引き戻した。

 ギャラリーのスタッフ、清見さんだ。


 黒のスーツに白のシャツ、ナチュラルメイク、セミロングの髪は一つ括り。就活のように地味な外見だが、いつも明るさを忘れない。

 一緒にこの個展を準備してきて、私は彼女の疲れた顔を一度も見たたことがなかった。この仕事が好きなんだろうなと、いつも思う。


「森影様がお見えです。ご案内、お願いします」


 清見さんはそっと距離を詰めて来客を知らせると、頑張ってくださいね、と拳を握ってみせた。私は深く頷いて、それから緊張しすぎないために彼女の顔を拝んだ。

 だが、さすがの清見さんも今回ばかりは表情が固い。


 森影氏はギャラリーのオーナーで、彼女の雇い主にあたる。本業がどれかはわからないが、美術商や芸術雑誌の監修にも携わっており、彼に認められれば業界ではそれなりに名が知られると思って良い。


 一方で若手芸術家の支援にも精力的で、こうして都内中心に数件所有するギャラリーを格安で貸してくれることもある。それも手慣れたスタッフ付きで。


 彼のギャラリーを借りることができたのは千載一遇のチャンスだ。おまけに忙しい合間を縫って足を運んでくださった。

 舞台は整った。これで一つでも彼のお眼鏡に適う作品があれば、この個展は成功と言えよう。


 私は成功させなければならない、『竹内ユウキ』の最初で最後の個展を。



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