13. ライトノベルの肩身が狭い……気がする

 おおよそ1990年代にジャンルとしての定義が固まったとされるライトノベル、略称ラノベ。わたくし真野まのうおの小説スタイルも、このラノベをルーツとしています。



 これは個人的な見解ですが、ラノベはマンガ・アニメを文章化したものだと考えています。作中の映像を想像したときに、実写ではなくアニメとして脳内再生される小説だと言えばお分かりいただけるはずです。


 ただし、たとえ内容が二次元的であっても、文章化という過程を経ることで、否応なしにリアリティラインが一段階引き上げられます。過度な荒唐こうとうけい化には注意を払わねばなりません。



 ちなみに、作品全体における許容可能な地の文の量は、


  純文学>文芸>ライト文芸>ライトノベル>なろう系>SS


 という認識です。



 本創作論のコンセプトにもあるように、真野は「人物の説明や風景描写ばかりで、いつまで経ってもストーリーが前に進まない!」という状態に耐えかねて、それらを「適度に」省略する方針を取り始めました。


 そう、「適度に」なのです。地の文を全排除して、会話文だけで進行していくような極端な状態は望んではいないのです。



 近年はライトノベルといえばなろう系とイコールに語られるようになり、さらにはライト文芸の登場によって、本来的なラノベが肩身が狭くなっていると感じられます。


 重厚で精緻な描写が魅力の文芸作品。

 ひたすらテンポ重視のなろう系。


 両極端な需要の狭間で、ラノベはどっちつかずの存在として見向きもされなくなる運命にあるのでしょうか。



 このカクヨムでも――あくまで真野が読んでいる範囲内ですが――文芸寄りとWEB特化文体の二極化傾向は薄々と感じられます。



 会話文を軸としたストーリー展開が読み進めやすく、かつ程々の読み応えが得られるラノベは、どっちつかずではない「ちょうど良さ」こそが売りであったはず。


 いっそのこと、雑味を取り除いた児童文学に活路を見出だすのも、一つの戦略かもしれません。

 ですが、マンガ・アニメ的れんを含んだラノベの独自性を失うのは、やはり惜しいと言わざるを得ません。



 結局のところ、ライトノベルの命脈を絶やさぬためには、書き手が己のスタイルを貫き続けるしかないのでしょう。


 たとえ、生きた化石と揶揄やゆされる事態が訪れようとも。

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