Ⅸ
10cmもない至近距離。長いまつ毛の覆ううるんだ瞳は高校生とは思えないほどの色気にどきりと胸が甘い悲鳴を上げる。こんな感覚、もうずっと忘れていた。
この流れなら誰しもが今度は唇に——と思うだろう。
だけど千尋くんはせず、椅子に座り直した。
彼の中で唇は“特別”なんだろう。首の皮一枚で繋がったような関係じゃ、だめだと。
それが悲しくて、だけど私を肯定してくれたことがうれしくて、感情が入り乱れた。
「コーヒー、冷めちゃいましたね。入れ直します」
骨ばった手は私のティーカップだけとり、席を立つ。
待って、いかないで。
私を一人にしないで。
浮気されて、私をもうずっと見てくれなくても涙は出なくて。それは見て見ぬふりをしてきたから。
———ずっと寂しかったことに、気付かせないでほしかった。
細くて大人の男性には遠いその幼い、だけど私よりも大きな背中。
立ち上がって、追いかける。
そして、その背中にぎゅっと抱きついた。
「今夜だけ。今夜だけでいいから、そばにいて」
千尋くんを包む布にすがるように額をこすりつける。
「……うん。わかった」
それからもう一度コーヒーを飲んだ後、シングルベッドで身を寄せ合いながら眠りについた。
なにもない。寝ただけ。だけど隣に人がいて、人肌の暖かみを感じるだけで胸がいっぱいになった。今までの寂しさを忘れるくらい。
その少し厚い胸に触れれば応えてくれる。それがうれしい。すごくうれしい。
———“今夜だけ”、なんて、もったいないくらいに。
だけど私と君は社会人と高校生なわけで、本当は恋に落ちてはいけない関係。
素直な気持ちだけじゃ解決できない法律が邪魔をする。
でも十分だ。これ以上を望んでしまったら、天罰が下る。甘えるには限度があるのだ。
花の香りが鼻腔をくすぐる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます