第1話『トンネル』

ゴンッ。

「いってぇ…」

窓に頭をぶつけ、目が覚めた。どこだここ?

一瞬、自分のいる場所がわからなかった。景色がぼんやりと霞んでいる。

あ、眼鏡がない。

目を細めながらあたりを見回す。柔らかい背もたれと規則的に音を立てて揺れる空間、ゆっくりと腰を浮かすと、膝からカシャンと軽い音を立てて何かが床に落ちた。


「やべ」


慌てて、落ちた眼鏡を拾い上げ、Tシャツの裾で軽くレンズを拭いて装着する。クリアになった視界で再びあたりを見回して、やっと頭がはっきりとしてきた。

そうだ、列車に乗っていたんだ。

驚くことに乗客は自分以外には誰もいない。田舎行きの電車というのはこんなものなのだろうか。窓の外は真っ暗で何も見えない。一瞬、夜なのかと錯覚したが、耳のつまる感覚からトンネルを通過中なのだと理解できた。

周りに人もいないので手で覆い隠す必要もないだろうと、大きく口を開けてあくびをした。

スマホの画面で時間を確認すると、まだ正午を少し過ぎたぐらいの時間だった。どうやら、一時間ほど寝ていたらしい。

到着まで、あと少しだ。


「んっ!」


グッと背伸びをし固まった体をほぐす。それにしても長いトンネルだ。窓の外を高速で流れていく闇を見つめていると、ふと不安が襲ってくる。身震いをした。誰もいない車内は冷房が効きすぎている。

親父に内緒で家を出て、向かう先にもアポをとっていない。数日分の宿泊道具は揃えてきたが、もし、追い返されでもしたらどうしよう。

それに、かなり久しぶりの再会になる。顔を忘れられてたらどうしよう。そんなことはないだろうと信じたいが。

指で数えてみた。あいつが爺ちゃんの家に預けられたのが、三年前。そして、爺ちゃんが死んだのが一年前。

爺ちゃんの葬式で久々に顔をあわせることになるだろうと、少し緊張していたのを覚えている。

だが、葬式で顔をあわせることはなかった。大学教授であった爺ちゃんの葬式には大勢の関係者が訪れ、親父と共に形式的な挨拶をさせられ続けた。俺があいつのことを聞こうとするたび、親父はなんだかんだ言って話をそらし続けた。

本当にまるっきり三年間、会っていない。

おそらく携帯なんかも持っていないだろう。

こちらから何度か手紙を送ったが、返事が返ってきたことは一度もない。

避けられている、そんな気はした。

きっかけは7年前のあの事件。


気絶していた俺が再び目を覚ました頃には、たくさんの警察が家にいた。

しかし、結局俺はあの事件について何も聞かされなかった。ニュースで報道されることもなかった。きっと親父が俺たちのプライバシーを考えて、報道をひかえてもらったのだろう。

17歳になった今も、俺は何も知らない。

あの女の死体が誰なのか。あの日以来、帰ってこない母はどこへ行ってしまったのか、さえも。


あの日から、家族の間での会話が随分減った。三人で食卓を囲んで、親父が無理に「学校はどうだ?」とか「最近どんな遊びが流行ってるんだ?」とかありきたりな会話をふっても、ギクシャクとした空気が流れるだけだった。

三年前、親父と二人きりになったが、親父は仕事が忙しかったから、この三年間ほとんど一人暮らしのようなものだ。どんどんと家族がいなくなってしまう孤独を1人で耐えた。


三年は、長い。身長だってかなり伸びた。声変わりもした。

女の子も大きく変化していく時期だ。

話したいことがいっぱいある。

三年間どう暮らしていたのか、高校はどこに行ったのか、友達はできたのか。

いっぱいお互いの三年間を話したら、言ってやりたいことがある。

たとえどんなことが起こっても、俺たちは『家族』なんだ、と。


バッと窓の外が明るくなった。

トンネルを抜けたらしい。


「おお!」


見渡す限り広がる田んぼと畑そして山、背の低い木造の家屋たち。

雲ひとつない広すぎる青い空。

ザ・田舎って感じ。景色だけで、健全な精神を育めそうだ。

列車は、どこまでも続いていくような青い景色を臨みながら緩やかに走り続け、やがて小さな駅に停車した。


キャリーバッグを引き連れホームへと降り立つと、セミの大合唱が待ってましたとばかりに迎えてくれる。

大きく息を吸い込むと、新鮮で美味しい酸素が肺を満たしてくれる。

そういえば、小さい頃に家族全員で爺ちゃんの家を訪れた時も、駅に着いたら決まってみんなで大きく息を吸い込むのが、習慣だったっけ。

変わってないな、俺って。

変わったのは、隣に誰もいないことだけ。

一切建物にさえぎられることのない直射日光が、ジリジリと肌を焼き始める。揺れる蜃気楼を掻き分けながら、爺ちゃんの家へ向かって足を踏み出した。



意気込んで足を踏み出したのはいいものの。


「……目印なんも無いな」


見事に迷子になっていた。

完全に田舎をなめていた。現代では、初めていく場所だとしても事前に地図などでしっかり場所を確認する人はほぼいないだろう。

なぜなら、スマホが道案内をしてくれるから。

画面の上部に表示される『圏外』の文字。

無意味にスマホを振ったりして、気まぐれに浮遊している電波を捕まえられないか試してみるが、やっぱり無意味だった。

想定外だ。まさか、辿り着けさえしないなんて。

キャリーバッグの車輪の音も悲しげなリズムを刻んでいた。今にもセミの声にかき消されてしまいそうだ。キョロキョロと周りを見渡しながら歩くが、さっきもこの場所を通った気がしてくる。人通りが全くない。人の気配がしないわけではないけれど、今まで誰ともすれ違っていない。日中はみんなクーラーの効いた部屋で涼んでいるのだろうか。


「暑い……」



しばらく歩くと、昔のアニメ映画なんかに出てきそうな屋根付き木造小屋のバス停を見つけた。

休憩がてら中に入り、木の長椅子に腰を下ろす。俺が座るとミシミシと長椅子が鳴る。大丈夫か?今にも折れそうなんだけど…。

心許ない椅子だが、座れるということのありがたさを存分に味合わせてくれる。

屋根のおかげで日射しは遮れたが、通気性が悪く、小屋の中は蒸し風呂状態だ。じっとしていると、際限なく汗が吹き出てくる。

Tシャツの首元をパタパタとして、少しでも服と肌の間に溜まった熱気を逃がそうと試みた。このままでは熱中症になりそうだ。


「ぐえ……」


長椅子に寝そべると、疲れをありのまま音にしたような声が出た。遅れて、パキ…パキ…と椅子から悲しげな鳴き声が聞こえる。

これからどうしようか。スマホも使えない。道もわからない。おまけにこの猛暑。朽ちかけた木の天井をぼんやりと眺めていると、ふと色あせたバスの時刻表が目に入った。


「あ!」


そうか、一応ここはバス停なのだ。ならば待っていればバスが来る。バスの運転手でも、乗客でも構わない。このあたりに住んでいる人に道を聞けばいいのだ。

グッドアイデア。

自分で自分を褒めていると、タイミングよくバスの音が近づいて来るのが聞こえてきた。


小さなバスが、バス停にとまる。

運転手さんに声をかけようと、前方の扉から乗り込もうとした時、降りて来る人物とぶつかってしまった。尻餅をつくほどではなかったが、お互い少しよろける。


「すみません!」


「……入り口、後ろですよ」


俺が全力で謝ると、相手は不機嫌そうな声で後ろの扉を指差した。

地元のバスでは前方の扉が入り口だったため、つい癖で普段どうりに乗り込もうとしてしまった。地域によっては、確かに後ろから乗り込むバスもある。そういえば、修学旅行で行った京都でも同じようなことをした記憶があった。


「あれ?」


ぶつかった人物が俺を見て、首をかしげる。

俺と同じぐらいの歳の女子高校生だった。綺麗に裾を切りそろえられた髪からは真面目そうな印象を受け、切れ長の目元からは少し冷たさも感じる。

夏休みだというのに、制服を着ている。私立らしいちょっとおしゃれなデザインのブレザーだ。


「ぼうず、乗らないのかい?」


運転手さんが、俺に向かって問いかける。


「すいません!ちょっと道を聞きたくて」


俺がそういってバスに乗り込みかけた瞬間、女子高生に腕を掴まれた。


「え?」


「道は私が教えるよ。とりあえず降りて」


「え?あ、はい」


女子高生に促されるまま、俺は一緒にバスを降りた。

バスが、発車する。状況はうまく飲み込めなかったが、確かにこの女子高生は道を教えてくれると言った。いきなり出会った相手に、しかもぶつかってきた相手に、道を教えてくれるなんてきっといい人だろう。


「……」


女子高生は俺の腕を掴んで、黙ったままだった。


「えっと……」


もしかして、ぶつかったことを相当怒っている?道を教えると言ったのは逃さないためで、本当は落とし前をつけさせるつもりなのかもしれない。


「ささささっきは、すみませんでした。あの!俺そんなに手持ちないです!」


「君」


「へ?」


女子高生が、俺の顔をじっと見つめる。

見つめる……というよりは、睨んでいるようにも見えたが、そういう目つきの人なのかもしれない。


はなだくん、だよね?」


「え?」


女子高生が口にしたのは、確かに俺の名前だ。

誰だ?俺を知っているってことは、どこかで会ったことがあるのだろうか?

女子高生の顔をじっと観察しながら、過去の記憶を掘り返してみる。よく見ると派手ではないものの非常に端正な顔立ちだ。真面目そうで、どこか冷たい目……。


「あ!」


思い出した。


「もしかして、あ……あさぎ?浅葱か?」


「そうだよ。やっぱり縹くんだったんだ。久しぶりだね」


浅葱。確か苗字は泉谷だ。

いずみや あさぎ。

父親同士が幼馴染で、幼い頃こっちに来た時にはよく家族ぐるみで一緒に遊んでいた。本当に幼い頃の話だから、今の今まで全く忘れていたが。


「十年以上ぶり……?」


「確か、最後に会ったのは私たちが5歳ぐらいの頃だったから…それぐらいになるね」


そう言って、浅葱は少し口角を上げて微笑んだ。


「でも、よく覚えてたな俺のこと。正直俺は忘れてたよ」


「忘れられないよ」


浅葱は微笑んだまま、俺の目を見据えてそう言った。

『忘れられない』?俺は浅葱に何かしただろうか?


「えっと、俺、浅葱になんかしたっけ?」


「何かって?」


浅葱が首を傾げる。


「忘れられないほど、なんかお前にひどいことしたのかなって」


俺の言葉に、浅葱は一瞬キョトンとした。そのあと、クスッと笑う。


「そういう意味じゃないよ。私の父さんは沓九先生の教え子でもあるし、私自身も沓九先生には亡くなるまでお世話になってたんだ。だから、先生の孫である縹くんの話もよく聞かされたよ」


「あー!なるほど、そういうことか!」


お喋り爺ちゃんが何を話したかは気になるが…。


「それに、実は一年前に君のこと見かけたんだ」


「一年前?あ……爺ちゃんの葬式か」


「そう。だから、縹くんだってわかった」


「なんだー!なら葬式の時、声かけてくれたら良かったのに」


「忙しそうだったから」


確かに、浅葱の言うとおり俺と親父は爺ちゃんの葬式でかなりバタバタしていた。とても、声などかけられないような状況だったのだろう。


「それに」


「?」


「なんでもない」


なんだよ……。言いかけて辞められるのが1番気になるのに。まぁ、相手が言うことを辞めたのにそれを深掘りするのもよくないだろう。

俺は改めて、浅葱の姿をまじまじと見た。


「浅葱、だいぶ印象変わったな」


「そう?」


「おう。優等生って感じがプンプンする。学級委員長みたいな」


俺がそう言うと、浅葱はニヤッといじわるそうに笑った。


「君はなんかもっさりしたね」


「もっさりって、ひどいな」


「眼鏡かけるようなイメージじゃなかったよ」


「ああ、中三の頃に一気に視力落ちてさ」


「受験勉強?」


「そうそう。普段、真面目に問題集とか参考書とか読む習慣なかったくせに、一気にやろうとしたから、その反動かな」


活字の過剰摂取というやつだ。


「そっか。高校は地元?」


「うん。地元の公立。浅葱は私立だろ?」


「よくわかったね」


「制服のデザインがオシャレなところは、大体私立ってイメージだからさ」


「オシャレかな?普通のブレザーだと思うけど」


中高と男子は学ラン、女子はセーラー服の学校で過ごしてきた俺からしてみれば、普通のブレザーというものに憧れる。


「制服ってことは、学校帰り?夏休みじゃないのか?」


「夏期集中の授業があるんだよ」


「げっ、マジで?拷問かよ」


「仕方ないよ。そういう高校なんだから」


「進学校ってヤツ?」


聞くと、浅葱は市外の進学校にバスで二時間かけて通っているとのことだった。

近くにある高校は荒れていて、いわゆるヤンキー高校らしく、大抵の子どもたちは遠くの高校に通っているらしい。


「縹くんの高校は家の近くなの?」


「ああ、ケッタで15分」


「ケッタ?」


「自転車のことだよ」


「なるほど。自転車で15分か……羨ましいな」


俺たちはその場で少し立ち話をした、不思議なもので浅葱のことはずっと忘れていたはずなのに、一度思い出すとどんどん彼女に関する記憶が蘇ってくる。

だが、この暑さの中立ち話もそう長くはしていられない。


「ところでさ」


「わかってるよ」


浅葱は、本題へ入りかけた俺の言葉を遮る。


「道案内するよ。でも、その前に聞きたいことがあるんだ」


真剣な眼差しで、浅葱は俺を見つめた。


「なんだ?」


「縹くんはどうしてここへ来たの?」


『どうして?』なぜそれを浅葱が尋ねるんだろう。


「夏休みだからな。妹に会いに行こうかなって。でも、ひっさびさだから道わかんなくてさ。スマホも使えないし。ホント、浅葱に会えてよかったよ」


航青こうせいおじさんは知ってらっしゃるの?」


「え?」


「君のお父さんだよ。君がここにいるって知ってるの?」


痛いところを突かれ、俺ははぐらかすように笑う。


「いやぁ、父さんも仕事忙しいみたいだからさ。一人旅してくる、って置き手紙だけしてきた」


「ふーん」


浅葱の意味深な態度。こいつは、俺の知らない俺の家族の事情を知っているんだろうか。それはそうだろう。じいちゃんとの交流があったなら、あの事件のことを知っていてもおかしくはない。


心露こころ。俺の妹の名前」


探るように、俺は浅葱に妹の名を言った。


「知ってるよ」


ああ、やっぱり。面識あるんだな。浅葱と遊んでいた時期、心露はまだ『いなかった』はずなのに。


「言ったじゃない。私も沓九先生によくお世話になっていたんだ。心露とは年も近いし、喋り相手になってやってくれって沓九先生がね、よく邸に呼んでくれたんだよ」


胸のあたりがズンと重くなるような気がした。

そうか。俺が側にいない三年間、心露のそばには浅葱がいたのか。


「あいつ口数少ないだろ?」


「そうだね。でも、私もおしゃべりな方じゃないし、かえって落ち着くよ」


「心露と、どんな話するんだ?」


「別に共通の話題があるわけでもないし、必要な時に必要な会話するぐらいかな」


「そっか」


「ねえ、君、心露に会ってどうするつもり?」


浅葱が冷たい目で俺を見据える。

心露に会ってどうするつもりなのか。


「ただ、家族として会って、目を合わせて会話をしたい」


それが本心だ。


「『どんな』会話をするの?」


「三年間どうしてたかとか、新しい学校生活とか、色々だよ」


俺が言葉を発する様子を浅葱はジッと見つめていた。まるで俺の隠している本心のもっと深いところを探るように。


「縹くんは、つまり、心露に会いたいわけじゃないんじゃない?」


「え?」


浅葱の言葉に拍子抜けした声が出る。


「情報でしょ?君が欲しいのは」


情報。冷たい単語に聞こえるが、間違ってはいない。俺は、心露がこの3年間どう過ごしてきたのかを知りたいんだ。でも、それだけじゃない。


「だったら、私が教えてあげるよ。私が知ってる心露の情報を、君に話してあげる。君が納得できるまで」


「それじゃ意味がない。俺は、心露と顔を合わせて話したいんだ」


「縹くん」


「なんだ?」


「君、鈍感なんじゃない?」


「……自覚はないけど」


「一番たちが悪いよ。まあ、鈍感な人が鈍感な自覚あるなら、それはそれで鈍感っていうことではなくなってくるだろうけど」


浅葱は冷ややかな目で、挑発するように言葉を投げてくる。


「回りくどい言い方はやめてくれよ」


「君はさ、そのままがいいと思うよ。鈍感なまま、何も考えないでいた方がいいよ」


「だから、ハッキリ言ってくれって」


思わず語気が強くなる。

俺の言葉を受けて、浅葱は小さくため息をついた。

先ほどからなんとなく感じていた。浅葱からの『良くない感情』。

悪意とまではいかないとしても、俺がここにきたことを歓迎している気配はない。


「心露には会うなって言ってるんだよ」


親父たちが俺に言わなかった言葉を、浅葱はハッキリと口にした。


「いじわるで言ってるわけじゃないって、鈍感な君でもわかるよね?」


「……ああ」


「本当は、気づいているよね?君のお父さんが心露と君を離したがっていること」


そうだ。それは、気づいていた。でも、


「その理由がわからないから、納得できないんだよ。理由を聞かされずに禁止されて、大人しく従えるわけないだろ。もし、浅葱がその理由を知っているなら、ここで説明してくれ」


「……」


「その理由に納得できたら、俺は言われた通り心露には会いに行かないよ。二度と」


しばらくの沈黙が流れた。

浅葱は、俺の剣幕に少し狼狽え、迷っているようだった。そして、自分の中の何かと、葛藤しているようにも見えた。

やがて、浅葱はふっと肩の力を抜いた。


「縹くんはさ……バカだよね」


「直球だな」


「小さい頃から思ってたよ。『あ、こいつバカなんだな』って」


「そんな昔から!?」


そう言えば、小さい頃も俺がする事なす事をどこか高い場所から見下ろすように見物していたような気がするぞ、こいつ。


「だって、そうだろ。君、知恵の輪引きちぎってたよね?」


「え!?覚えてないんだけど…」


「私が何時間かかっても解けなかった知恵の輪を横取りしてさ、力ずくでバラバラにしてたよ」


「あ、あ…なんか思い出してきたような…爺ちゃんに怒られたっけなぁ。でもあれ、絶対とれない知恵の輪だったと思うんだよ!」


「その通りだよ」


「へ?」


浅葱の返答に間抜けな声が出た。


「あとでわかったんだ。あれ欠陥品だったんだってさ。私は解けない知恵の輪に何時間も挑戦してたんだよ」


「そうだったのか…知恵の輪に不良品なんてあるんだな…」


「君はバカのくせに、誰よりも先に正解に辿り着ける才能を持っているのかもしれないね」


「褒めてるのか、貶しているのか……」


浅葱の表情がほころんだ。

今、初めて泉谷浅葱の素の表情を見れたのかもしれない。


「わかった。……行こう」


俺は、一瞬キョトンとした。

どうやら、浅葱は折れてくれたらしい。

正直、丸め込まれてとんぼ返りも覚悟していたが……。

さっさと背を向けて歩き出した浅葱のあとを、慌てて追いかける。

セミが夏の始まりを告げている。七年前に止まってしまった、あの夏の。

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