第2話

 

「かえしがあって……手間取ってすいません……」

「らいりょーふれふ、あいがとーごらいまふ」


メガネの奥の黒い瞳に、吸いこまれそうになっていた。

私、彼のこと見つめていた。よだれをたらして。


「あの、もう外れましたよ?」


と笑われて、ハッと我に返る。


「ふごい! れんれん痛くなかったです!」

「そうですか? それなら良かった」


ほんと、ぜんぜん痛くなかった。

私はまたぽーっと彼を見つめ始めた。

黒い髪、しわしわの布服、猫背。


「そろそろ昼めしに戻ろうぜ」

「だな、腹へった」


「えっ!」

私は捨てられた仔犬みたいなかわいい目で(自分で言うのもなんだけど)ボートの三人を見あげた。


「もう行っちゃうんですか?」

「魚の代わりに人魚が釣れてなんか萎えた」

「ええぇ? ごめんなさい」


オールを握って漕ぎ出す。三人ともあっさり私に背を向けて行ってしまうのを、思わず追いかけた。


「人魚がついてきたぞ! 捨てられた魚のような目をして!」


私は尾ビレをふって、ボートと並走した。


「あのっ、お名前だけでも教えてくださいっ」


「えっ? オレ!? オレの名前は」


「あなたじゃなくてっ」


「俺か? 俺は」


「あなたじゃないっ、メガネの……あうっ」


夢中になって追いかけていた私は、ボートとともに砂浜に乗り上げてしまった。ここから先はついていけない。びちびち下半身を動かして海に戻った。


♡ ♡ ♡


あれから数日経った。

私はワカメ横丁で、あの人のことを考えていた。

そこへ、ヒゲを生やしたオジサンが通りかかった。


「ヘイ! マメ! 今日の分はもうカかったかい?」

「こんにちは、オジサン。ううん、まだなの」


私たち人魚は、一日一回精子をカけてもらわないとダメになっちゃうの。

だからこんな風に、


「おーしわかった。……フンフンフン……お~らよっと~!」

「どうもありがとう」


カけてもらう。


「はあ……」


でも私はため息をついた。


「毎日ちがう男魚のカけてもらうより……、あの人のがいいな……」


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