信用しない女

やざき わかば

信用しない女

 私は他人を一切、信用していない。パソコンや家電といった機械や、自分自身すら、信用できないのだ。


 今まで裏切られたことなんてないが、幼少のころからそう考え、誰も信じずに生きてきた。


 さて、そんな私の一日は、おおよそ以下のようなものだ。


 自動車通勤をしているのだが、通行人や他の車など一切信用しない。やつらはいつ、こちらを目掛けて突っ込んでくるかわからない。


 なので、十字路や交差点に進入するときは、必ず減速をし、ブレーキに足をかける。やつらが突っ込んできても、とっさに停車できるようにするためだ。


 住宅街を走るときは、スピードを出さない。歩道にいる歩行者が、当たり屋のごとく攻撃をしてきても、対処できるようにしている。


 右左折をしなくてはならないときは、出来るだけ信号機のあるところを選ぶ。ないところよりも、まだ安心できるからだ。もちろん信号機も信用できないので、赤から青に変わったときも、すぐには進まない。ゆっくりと徐行から徐々に速度を出す。


 そうして到着した職場。ここでは事務作業がメインだが、いつも使っている計算表ソフトも曲者だ。


 やつらは更新時に勝手に設定を変えてくることがあるし、ひどいときには私が何もしていなくても、計算する箇所を変えてくることがある。


 なので、書類を作ったあとは、必ず五回はチェックをしている。計算漏れはないか、誤字脱字はないか、単位単価は間違っていないか。


 仕事場の同僚や上司にも信用をおくことはない。なので壁を作るために、全員に敬語を使い、礼儀正しくしている。つっけんどんな態度をしているわけではない。笑顔で受け答えしている。妙な勘ぐりをされたら、私を蹴落としにくるかも知れない。


 ゴミ箱がいっぱいになりそうなときは、私がまとめてゴミ捨て場に持っていく。いつ誰かが私にこのゴミを使って攻撃してくるかわからないからだ。


 もちろん、別に私がやらなくても、いつの間にか誰かがやってくれているのだが、それがいつ、私が罵倒される材料になるかわからないので、掃除もゴミ出しも、他の同僚にはできるだけさせないようにしている。


 最近、自分でも驚くほど昇給してもらった。みんな「当然だよ」「良かったね」と喜んでくれたが、どうせこれも、会社の罠である。私は勤め先なんかに屈しないことを示すために、いつも以上に仕事に邁進する。私は独りでもやっていけると見せるために。


 いつもの日常と違い、今日は合コンに誘われた。「もし予定がなかったら」ということであったが、ここで断ったら、後からどんな報復が待っているかわからない。参加させてもらうことにした。


 どうやら相手の男性方は、ある大手商社のエリートだそうだ。


 スマートに私たちをエスコートする男性方。寒々しい。それも建前の行動だろう。私は騙されない。大皿料理が来たら、食べたい人への取り分けを行い、飲み物や食べ物の注文は私が率先して行った。他人に任せたら、どうされるかわかったものではない。


 ある程度、時間が過ぎたころ、席替えタイムが始まった。とはいえ、双方四人である。私は誰も信用していないので成り行きを見守っていたが、無事に三組のカップルが成立したようだ。


 ただ、この中で一番の美形が私を狙ってきたことは、誤算であった。美形な人間など、男女含めて心の底から信用出来ないランキング一位である。


「ごめんね。迷惑だったかな」

「いえ、構いません」

「どうして敬語なの? 砕けて話してほしいな」


 ここで敬語を貫いてしまうと、相手に攻撃のカードを与えてしまうことになる。ここは砕けてタメ口で喋るべきだろう。


「わかった。ではこれからタメ口で」

「あはは。まだ固いな」


 そうして時は過ぎてゆき、終電間際になった。連絡先を教え合い帰る人、そのまま別の店に流れる人で分かれた。


「ごめんね。俺は君と飲み直したいんだけど、君はどうかな。今なら終電に間に合うから、ダメなら送るよ」


 ふん。騙されるものか。送ると言っておいて、途中で捨てていくんじゃないかこの男は。そうはさせるか。


「私も大丈夫。良いお店を知っていたら、連れてって」


 ……


 そこからなんやかんやあって、私はこの男と結婚し、子供もできた。それを機に専業主婦になることになったが、勤め先や同僚は、涙ながらに送ってくれ、安くないプレゼントまでもらってしまった。


 これをそのままにしておくと、後からいつ何を言われるかわからない。旦那と一緒に考え、返礼をした。これにも大層、感謝された。


 さて、結婚してからの旦那も、私が産んだ子供も信用出来ない。信用できないので、とりあえずうるさいことは言わないことにして、ある程度、自由にしてもらった。


 子供には、躾けるところはちゃんと躾けた。テーブルマナーとお金の扱い、それと他人への態度には、うるさいほど教え込んだ。敵に隙を見せないように。子供は素直にすくすくと育った。


 旦那も信用できなかったし、いつか浮気するんだろうと考えた。そうなったら迷わず離婚だが、そうなったときに旦那が後悔するように、料理教室に通い料理の腕を磨き、家事をきちんとこなした。


 私の意に反して、旦那はいつも早くに帰ってきて、家族を優先してくれていた。だからといって信用出来ない。私も、旦那に負けずに家庭、家族をさらに重んじた。


 そして、子供が独立し、私たち夫婦の時間が過ぎた。この間も、ずっと私は誰も彼も信用しなかった。お医者様ですら信用しなかった。私が死ぬ寸前までも。


 老いた旦那が老いた私の手を握り、私の最後を看取ろうとしている。最後の最後だし、私は今まで、誰も信用していなかったことを伝えた。今までの行動も、誰も、自分自身すらも、すべて信用出来なかったからだと伝えた。


 旦那はにこりと笑った。


 ゆっくり私の頬に手を当てる。


「誰も信用出来ない、だって? でも、君は世の中を信用できないだけで、世の中が嫌いではなかっただろう?」


 彼は何を言っているのだろう?


「君の行動は、出会ったころから、ずっと他人を慮って優しく接していたように見えたよ、僕には」


 それは、他人が信用出来ないからであって。


「信用できないのと、好きか嫌いかは別だ。君は結局、自分も、他人も、この世の何もかもを、好きだったんだよ」


 なるほど。私はそうだったんだ。


 生まれて初めて、他人の。いや、旦那の言葉を心の底から信用できた。


「うん。好きだった。世界も。なによりも、貴方と子供を」

「知ってたよ。僕は何よりも、君を信頼していたから」




「じゃあ、貴方の後ろにいるその若い女は誰?」

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