第32話 捕虜

 森に入る準備が整い、村全体が出発の緊張感に包まれる中、アッシュたちは倉庫の一角に集まっていた。彼らの視線の先には、縄で縛られた一人の帝国軍人が座り込んでいる。その目には、何かを諦めたような静かな光が宿っていた。


 カナが口を開いた。「この捕虜…彼を使えば、村を救うための交渉材料になるかもしれません。帝国に対して何らかの形で優位に立てる手段として使えるはずです。」


 エリックも頷き、続けた。「それに、彼を生かしておけば、情報を引き出すこともできる。これから進む森の中で、帝国軍の動向を把握する助けになるかもしれない。」


 アッシュは静かに捕虜を見つめながら、彼の言葉に耳を傾けた。その場の空気は重く、捕虜の命がかかっていることを全員が理解していた。


「この男は、村を救う最後の手段になるかもしれない。」アッシュは元老院の指揮官たちに向かって進言した。「彼を生かしておくべきだ。村の安全を守るための切り札になるはずだ。」


 だが、元老院の指揮官の一人、フィンは冷たい表情で首を横に振った。「それは甘い考えだ、アッシュ。この男を生かしておけば、逆に村を危険にさらすことになる。監視の目が少なくなれば、彼は逃げ出し、再び帝国に情報を漏らすかもしれない。」


 フィンの言葉に、アッシュたちは反論できずに沈黙した。心の中では、捕虜の命を救いたいという思いが強かったが、そのリスクを無視することはできなかった。


「村を守るためには、このような決断が必要だ。」フィンはさらに言葉を続けた。「情に流されることで、全てを失うことになる。私たちが進むべき道は明白だ。」


 アッシュは拳を握りしめ、必死に何か言い返そうとしたが、言葉が出なかった。カナもエリックも同様に、何かを言おうとしたが、結局口を閉じた。


 捕虜の帝国軍人は、アッシュたちの葛藤を感じ取ったのか、静かに微笑んだ。その笑みは、諦めとも、感謝とも取れる複雑なものだった。


「…決まったな。」フィンは冷たい声で言い放ち、無言で立ち上がると、腰に帯びた短剣を取り出した。


 アッシュは目を逸らすことなく、その瞬間を見つめた。フィンが迷いなく短剣を振り下ろすと、捕虜の体が一瞬跳ね上がり、次の瞬間には全てが静寂に包まれた。倉庫の中には、ただ冷たい血の匂いだけが残った。


 アッシュの心の中で何かが砕ける音が聞こえた。彼はその場で静かに目を閉じ、心の中で捕虜のために祈りを捧げた。


「出発の準備を続けよう。」フィンが無表情で言い放つと、元老院のメンバーたちは何も言わずに倉庫を後にした。アッシュたちも無言で彼らに従い、捕虜が残した冷たい死体を背に、これから待ち受ける厳しい戦いに向かうための最後の準備に取り掛かった。


 村を守るためには、何を犠牲にすべきか。その答えを見つけるために、アッシュたちはそれぞれの心の中で苦悩し続けた。


あとがき

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