第7話 前線へと走る
「号外! 号外だ! 海の向こうの機械大国、ダルコニアとの戦争が始まるぞ!」
突然の開戦の知らせは、一瞬のうちに首都マエナの街を駆け巡った。
街中を恐怖で染め上げ、混乱が広がっていく。
シトラのお店の前もそれは例外ではなく、賑やかな人集りと明るい客寄せの声は、他の街へと逃げようとする人々の足音に変わっていった。
「……ラ! ……トラ!」
それを呆然と寝室の窓から眺めていたシトラは、花売り店の前に立つパトラおばさんの叫び声が聞こえてハッと我に返り、木製の窓を乱暴に開け放った。
「シトラ! あんた何やってんだい! さっさと逃げるよ!」
「え、でも! シスターが!」
「あの人には回復の魔法があるだろう! それに騎士団の方たちにも守られてるし、後方部隊なんだろう⁉︎」
パトラおばさんは背中に大きな荷物を抱えていて、その周囲では幼い子供たちが不安そうにパトラおばさんの服の裾を掴んでいた。
「じゃ、じゃあ、ロイさんは⁉︎」
「あいつは……あのバカは、釣りの魔法で囮役になれるとか言って、もう前線に向かった! でも、あんたにできることはない! いいから行くよ!」
「わ、私は……」
シトラは、震え続ける手のひらをぎゅっと握り、どうしてこうなったのかと思い返す。
あの時──騎士ダルクは教会に飛び込んできて、アルトを見るとこう叫んだ。
『アルトリオ・エレース第二王子殿下、こんなところにいたのですか! 早く来てください! あなた様が希望なのです!』と。
『分かった。すぐに行こう』
アルトも王族としての顔を覗かせ、覚悟の決まった毅然とした声で答えるとシスターを連れて教会を出ていった。
ただの花売り店を営む平民であるシトラに、今すぐ逃げるように言い聞かせて。
そうなってから、シトラはようやく気付いたのだ。
自分は、アルトを戦場に送り出してしまったのだと。だから、せめて──
「パトラおばさん、先に行っていてください! 私、まだ行かなきゃいけないところがあるんです!」
「はあ⁉︎ あんた、何言って──」
パトラおばさんの心配する声に耳も貸さず、シトラはまとめ終わった荷物をそのままに寝室を飛び出す。
玄関から外へと駆け出して、アルトがいるであろう前線を目指した。
「シトラ⁉︎ どこ行くんだい! さっさと戻ってきな!」
「ごめんなさい! まだ戦争が始まらないうちに、会わなきゃいけない人がいるんです!」
パトラおばさんの叫び声を無視して、シトラは走った。
走って、走って。
そして、エレース騎士団や平民の義勇兵の並ぶ漁港へと辿り着く。
水平線からは、今もこちらに向かってくる目玉のような二つの光と大きな音が近付いていた。
花売り店カルステアを知る男性たちが、息切れをするシトラの姿に目を丸くする。
「シトラちゃん⁉︎ なんでここに! 逃げたんじゃなかったのか⁉︎」
「どいてください! アルトさんはどこですか⁉︎」
悲鳴のように叫んで詰め寄ってくる男性たちを押しのけて、シトラはなおも走り、前線を目指す。
その途中、後方部隊についていたシスターを見かけて、シトラは叫んで問いかけた。
「シスター! アルトさんはどこですか⁉︎」
周囲にいた騎士団の者たちが動揺しながら、シトラを止めようと口々に言う。
「なんで女の子がこんなところに⁉︎」
「知るかよ! いいから誰か止めろ! その先は──」
その時。シスターはハッと気付き、泣きそうな表情で歯を食いしばって声を上げた。
「アルトリオ殿下は最前線のテントよ! 急いで行ってきなさい! 私が許可するわ!」
「シスター⁉︎ 何を……!」
騎士たちが混乱する中、シトラはこぼれそうな涙を拭い、シスターに大きく手を振る。
「ごめんなさい! ありがとう、シスター!」
シトラは走る。
人混みをかき分けて、止めようとする騎士たちから逃げて、ついには最前線へと辿り着いた。
しかし、それもテントの前までのこと。
「待てっ! 貴様、何者だ! ここをどこだと思っている!」
とうとう騎士たちに追いつかれて、シトラはその身を捕らえられてしまった。
それでも──と、シトラは騎士たちに囚われたまま声を張り上げて、テントの中にいるアルトに呼び掛ける。
「アルトさん! 私です! シトラ・カルステアです! 私、あなたに謝らなきゃと思って、ここに来ました!」
「貴様、口を閉じろ! 貴様が第二王子殿下に会えるわけないだろう!」
シトラの言葉に騎士が激昂し、腕の拘束がさらに強くなる。
「うっ……」
腕の痛みに顔をしかめ、シトラが堪らず目を瞑った──その時だった。
「──そこまでにしてあげてくれないか? その子は僕の恩人なんだ」
テントから出てきた人影がそう言って、騎士たちを止める。
周囲が止める声も聞かず、目の前まで歩み寄ってくる足音が聞こえて、シトラはおそるおそる顔を上げた。
「……アルト、さん」
そこに立っていたのは、騎士団の制服を着たエレース王国の第二王子、アルトリオ・エレースだった。
しかし、アルトはふっと口元を緩めて、シトラにそっと手を差し伸べる。
「キミも無茶をするね、シトラさん」
「……あなたには言われたくないですよ、アルトさん」
シトラはふにゃりと安堵の笑みを浮かべ、その柔らかい手を取るのだった。
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