亜美【九】

「だとすると、自業自得の停学を同情してもらうために俺たちを呼んだってことか。ふざけやがって……、トモもそう思うだろ?」

 私は松林にうずくまったまま、びくりと肩を震わせた。勇輝の毬栗いがぐりのような言葉が、傷だらけの胸中をごろごろと転げ回る。

「同情が目的なのか、それとも他に理由があるのか。僕にとってはどっちでもいいことだよ。だけど、沖まで流されて自力で戻って来られないあーちゃんが、この砂浜に帰りたがっていることだけは間違いない」

 そう答えた智也の口調はあまりに決然としていて、物腰が柔らかく控えめな、普段の智也の面影はもはや微塵も見当たらなかった。勇輝も、今夜の智也の異様さに気づいたようだ。得意の皮肉で切り返すこともなく、目を丸くしたまま黙り込んでいる。

「あーちゃんは現実的にも、精神的にも追い詰められている。僕たちを呼んだもう一つの理由は、そこにあるんじゃないかな。あーちゃんはきっとこう感じてる。この先、自分ひとりで立ち直るのは無理なんじゃないかって」

 図星を突かれることが、これほど惨めだと思ったことはなかった。鼻の奥がつんとなったかと思うと、視界が涙でゆらゆらと潤み始め、私を取り巻く世界がゆっくりと冷たい海に沈んでいく。すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいになったが、この凍えそうな真夏の海に背を向けることは許されない。なぜなら、私が目の当たりにしている鋭利な氷柱つららのような状況は、他ならぬ私自身が望んでこしらえたのだから。

 なおも睨み合う波打ち際の二人を、刺すような閃光が照らし出した。花火の打ち上げが再開されたようだ。深いモノクロだった夜空に極彩色が咲き誇り、浜辺で対峙する二人の横顔を鮮やかに染め上げる。勇輝の額は汗で七色に閃いているが、智也の頰は多彩な光の中でも変わらず、火照った赤のままだ。

「だから今夜、僕はあーちゃんにとって特別な男になる」

 忙しなく爆ぜる夏の夜空が、穏やかな波の音をかき消した。花火が打ち上がるたびに、漆黒の沖を背景にした二人の姿が網膜に焼きつくようだ。

「──お前、正気か? あいつは俺たちに愛想を尽かしただけじゃない。平気で初対面のおっさんと遊び回るような女なんだぞ」

 慌てた様子の勇輝とは裏腹に、智也は冷ややかな失笑を浮かべている。今夜の智也はまるで、悪い亡霊にでも憑かれてしまったかのようだ。

「勇ちゃんも、あーちゃんを女性だって認めてるんだね」

「そういう問題じゃねえ。あんな女のどこがいい?」

「どこが? 愛嬌があって、一緒にいると元気をもらえるところかな。それに何より、あーちゃんは僕たちの大事な幼馴染だよ。放っておけない」

 智也の口から出たとは思えない言葉ばかりだが、その落ち着いた口ぶりと、独特の理屈っぽさだけは、私が幼い頃からよく知っている彼そのものだった。ということは、彼らしくない言葉を連発している今夜の智也も、正真正銘の彼。いや、もしかすると逆で、らしくない智也のほうが本当の彼だとしたら?

 私は、ふと過ってしまった予感に戦慄せずにはいられなかった。そんなはずはない。彼は今回、二年以上も音沙汰がなかった私の誘いを受け入れただけでなく、私のわがままな願いまで快く引き受けてくれたのだ。絶対にそんなはずはない!

 初めから私の願いを聞くつもりがなかったのなら、花火を観る提案を勇輝に伝える必要も、今夜ここに来る意味もない。それなのに彼は、私の誘いを飲んで勇輝をこの砂浜に導いた。それは私の願いを聞き入れたってことでしょう? でも智也は今夜、思いもよらない言動で、勇輝と、今回の話を持ちかけた私をひどく困惑させている。こんな雰囲気になってしまっては、もう私の出る幕など……。

 いつになく強気な智也を前に、勇輝はただただ絶句している。絶壁から飛び降りようとする者を引き留めたつもりが、気がつくと腕をがっちりと摑まれ、自分まで崖下に引き込まれようとしているのだから、心中穏やかではないだろう。

「お前まさか、あいつとやりたいだけなんじゃ……」

 明らかに苦し紛れの反撃だったが、それを聞いた智也はさっと目の色を変えた。

「違う、僕は本気だよ。それを言うなら勇ちゃんこそ、中学の頃、海から上がったあーちゃんの身体をジロジロと……」

「うるせえ! お前、やりたすぎてマジでイカレたのか? 取りあえず落ち着け。あんなやつでサカってないで、あっち行って抜いてこい」

「勇ちゃんだって、さっきからずっと変だよ。どうしてそんなにムキになるの? 僕が誰を好きになろうと勝手だし、あーちゃんのこと嫌いならほっとけばいいじゃん。それともまさか、僕に取られるのが怖い?」

「寝言は寝て言えって。あんなやつ、頼まれたって願い下げだ」

 勇輝は引き締まった両腕をおもむろに伸ばし、智也のシャツの襟元を乱暴に摑んだ。もはや二人の耳には、夜空を盛大に彩る花火の賑わいさえも届いていないようだ。

「トモ、お前どうしたんだよ。本当にあいつでいいのか? たとえうまくいったとしても、あいつはまたお前を置いてどこかへ行っちまうかもしれないんだぞ。あいつは──、亜美はそういうやつだったんだよ。俺たちが好きだった亜美はもういない」

 子供の頃から無愛想で、自分の考えをあまり話したがらない勇輝が放った、聞いたこともない剣幕。たちまち全身が粟立ち、膝を抱える両腕に力がこもった。これが今の勇輝の、ごまかしのない本音──。

「そんなことにはならない。僕は、勇ちゃんとは違う」

「俺とは? ふざけんなよ!」

 怒鳴り声と共に智也の身体が後方へよろめき、乾いた砂に足を取られて為す術もなく尻餅をついた。いきり立った勇輝が、智也を突き飛ばしたのだ。空気が凍りついたかのような感覚に襲われて、思わず息を呑んだ。そのまま二人はどのくらい睨み合っていただろう。三十秒? 一分? それとも私がそう感じただけで、本当はほんの数秒だったのかもしれない。

 思いがけず火花を散らし合った二人だが、本来はとても仲が良い幼馴染だ。お互い喧嘩など望んでいるはずもなく、二人ともすぐに頭を冷やすと思っていた。しかし、誰よりも二人をよく知る私の予想は悉く裏切られた。

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