亜美【七】

 私が謹慎を命じられた理由は、内緒の小遣い稼ぎが学校にバレたからだ。アプリで知り合った男と食事やデートをするだけで、数時間後には魔法みたいにお金が手に入る。一度この味を知ってしまうと、普通のバイトなんて馬鹿馬鹿しくてやっていられない。

 最初は単なる好奇心だった。お金を貰えることはもちろん嬉しかったが、欲しいものをひと通り手に入れてしまった後は、いくら貰っても大して喜べなくなった。それでもアプリの利用を辞められなかったのは、私が一番求めていたものがお金ではなかったからだろう。お金ではないのなら、一体何なのか。それは今考えると、高校生がマッチングアプリを利用するリスクや、引き換えに失ってしまうものとはとても釣り合わない、ひどくくだらないものばかりだった。

 高校に入学した私は、すぐに自分の視野の狭さを思い知った。日々、同級生から新鮮な話題のシャワーを浴びせられ、これまで出会ったことのない鮮烈な感性に翻弄され続ける高校生活は、絶えず私に心地好い刺激と高揚感をもたらしてくれた。ただ、それらは決していいことばかりではなく、自分がどれほど無知で野暮ったく、少しも自立していない幼稚な存在なのかを知る痛みも伴った。

 周りの同級生たちは、中学まで幼馴染と能天気に過ごしてきた私とは比べ物にならないほど洗練されている。そういった思いが強くなればなるほど、未だに子供じみた言動しかできない自分が恥ずかしくて仕方なかった。このまま周りとの格差が広がってしまえば、ただでさえ堪え難い劣等感がより重みを増すだけでなく、いずれ誰にも相手にされない孤独な学校生活を余儀なくされるに違いない。そんな三年間だけは絶対に嫌だ。

 息をするように勉強とスポーツをこなし、世間の流行にも詳しく、ファッションやメイク、会話の端々に至るまで全てが垢抜けている同級生たち。彼女らは、幼稚な自分を一刻も早く捨て去りたいと願う私の理想であり、羨望の的だった。高校最初の一年間は、彼女たちに追いつくため、これまでの田舎臭い自分を片っ端から塗り潰すことに費やした。その努力と時間が私に与えたものは、幸か不幸か、憧れの洗練された学校生活ではなく、私にはどうすることもできない理不尽な現実だけだった。

 どう頑張っても彼女たちのようにはなれない。生まれつきの容姿は元より、人としての素地の差か、育った環境のせいか、私と彼女たちとの間には絶対に埋めることのできない根本的な溝があった。

 彼女たちは、幼い頃から習い事などで身につけた楽器演奏や英会話、バレエ、絵画などの素養に恵まれている。私が知り得ない分野や海外の事情にも明るく、いくらスマホで調べたところでとても話についていけない。海岸沿いの田舎町で、照りつける陽光と潮臭い風を浴びて育った私とは、吸収してきた栄養がまるで違うのだ。

 何もかも違う彼女たちとの差は、もはや努力や向上心程度では埋められない。身の丈を知らず、途方もない目標を追い求めてしまった反動だろう。高校二年生になると急に、それまで憧れだった彼女たちに嫌気が差してしまった。

 でも、このまま尻尾を巻いてグループから抜けるわけにもいかなかった。そんなことをすれば、自分が劣った人間だということを認めたことになる。生まれ育った環境が違うだけで人の優劣が決まってしまうなんて、そんな不公平、絶対に受け入れるわけにはいかなかった。

 そんなとき、ふと耳にしたのが、今まで想像もしなかった小遣い稼ぎの話だった。その話をしていたグループは、私が一年間へばりついていた憧れのグループとはまったく違う雰囲気を漂わせていた。真夏の青空に似た底抜けの開放感。太陽のような陽気さ。穏やかな大海を思わせる懐の広さと、浸った足を優しくくすぐる波打ち際の人懐っこさ。背伸びをし続けた一年間の疲れもあったのだろう。私にとってはそのどれもが、自分のために用意されたもてなしのように思えてならなかった。

 進学校に通う普通の生徒で、特に際立つ存在でもなく、テストの成績も校内での素行も悪くない私。しかし夜になると、しばしば仲間と歓楽街へ繰り出し、社会から与えられた年相応のルールの境目を綱渡りしている。そのスリルと優越感は、たちまち私を魅了した。父とそう変わらない歳の男と気さくに話をしたり、時には夢中にさせたり。そういった男たちは同級生の男子よりずっと物知りで面白く、しかも法外な小遣いまでくれた。

 失っていた矜持を取り戻した私は、気がつくと火遊びグループの中でも目立つ存在になっていた。そうやって自信がついてくると、私の嫌な部分がさらに頭をもたげてくる。二年生になってからというもの、ずっとくすぶっていた上流グループへの敵対心がめらめらと燃え上がってきたのだ。

 彼女たちはたまたま出自が幸運だっただけで、自分の意志で築き上げたものなど何もない。与えられた糧を言われるままに食んでいれば、何の苦労もなく特別な地位にいられる。いわばビニールハウスで大切に育てられた、風雨も寒暖差も知らない高級フルーツのようなものだ。育てる農家の苦労がなければ、実をつけるどころか生きていくことすらままならない。

 でも私は違う。思考と行動を駆使して成果を上げなければ誰にも振り向いてもらえないし、ときには気持ちを奮い立たせて戦わなければ、すぐに無関心の渦に呑まれて居なかったことになってしまう。私は出荷されるための野菜や果物ではない。彼女たちよりずっと人間らしく、過酷で誇り高い生き方をしている。そう思い至ると、完全に冷え切っていた心の奥がみるみる熱を取り戻してきた。

 いつしか私は、憧れてやまなかった上流グループの陰口を公然と口にするようになった。彼女たちがまとっているのは、所詮与えられたお飾りの輝き。自らの手を傷だらけにして磨いた、真の輝きではない。そんなものを羨ましがっていた自分の滑稽さといったらなく、あまりに無様で二度と思い出したくもなかった。

 私は半ば見せつけるかのように、夜の歓楽街を謳歌するようになっていた。学校という現実と、きらびやかな街の明かりに彩られた白昼夢の間を行ったり来たりする日々。当初は痺れるような刺激だった遊びも、いつしか永遠に繰り返される儀式みたいになっていた。

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