5
もう十八時にもなる。下校時間だった。
采女涼香は、そんな下校時間だと言われても、素直にいうことを聞くような人間でも無かった。自分の探偵としての業務の方が、校則よりも優先されると本気で信じていた。
部室だった。自分で貼ったガムテープは、頭を下げて潜った。しばらく、ここでゆっくりと、事件について考えたかった。
座り慣れた椅子の感触が、別に彼女の味方をするわけでも無かったが、ここにいると落ち着く。
パッケージだけが盗まれたワイルドアームズ3が、彼女の中で引っ掛かっている。何故そんな事が起きたのか。盗んだものを置くだけでは、どうしていけなかったのか。
その答えは、さほど難しくない。そこから導き出される展望、推理も、飛躍しているものではないだろう。
考えを、紙にでも書こうかと思っていると、部室の入り口に立つものがひとり。
教師だろうかと思ったが、違った。
采女は、先に声を掛ける。
「……やあ。ここに来るってことは、犯人?」
入ってきた人物は、首を振った。
机の前に立って、采女に要求する。
――あの動画を消せ。木徳からもらったという、動画を。
ああ、そう来たか、と采女は呟いてから、笑って拒否した。
「嫌だね。それは、あなたのためにならないから」
睨み合った。どちらも動かない状態がしばらく続く。
時間が、零した水みたいに流れて行くのを感じる。
ふと、机の上にあるものに、相手は気づく。
采女の鞄が置いてある。
そこに入っているものは……
その一瞬の焦りを感じ取られたのか、相手は鞄を掴んで、走って逃げた。
「待て!」
そこに入っているものは、思い出のある、大切なゲーム。
そして、采女にはなくてはならない、薬だった。
追いかけよう。
医者には、走るなと言われているのに、そんなことは言っていられなかった。
夢中で追いかけた。生まれて初めて、走ったかのように感じた。
廊下の先、追いつく。
けれど、身体に限界が来ている。
息が続かない。
相手は、采女の様子を見て、慌てる。
鞄を、そっと手渡す。
采女は、そのまま廊下の床に倒れ込む。
あーあ。
だから、走るなって、負担かけるなって、言われてたのに。
廊下は汚くて、冷たかった。
惨めだった自分を思い出した。
そんなことを考えているうちに、采女の意識が閉じた。
「……は?」
朝されても困る話を聞いた私は、まず最初に自分の耳が異常なんじゃないかと疑った。そうして、自分の耳の横で指を鳴らしてみるが、どうもおかしくなっているわけではなかった。
「だから……」話の相手は、古刀。わざわざ私の席までやって来た。「采女が、入院したんだって」
「なんでよ。風邪で入院なんかしないでしょ」
「昨日、下校時間になってから、救急に電話があって、廊下に生徒が倒れてるって。その相手は誰だかわかってないけど、救急車が到着したときには、先生の方に話すら通ってなかったみたい。廊下には、采女が倒れてたんだって」
「げ、原因は? なにがあったわけ」
「さあ……私も、詳しく聞いたわけじゃないから。残ってた先生から、さっき事情を聞いたんだけど」
采女が、入院……。
まさか、犯人は、采女の口を封じるために、頭でも殴り倒したのだろうか。
嫌な想像だけが、玉入れみたいに私の頭に蓄積していく。
放課後になるのを待つのは億劫だった。私は授業が終わると同時に、学校を飛び出して、采女が入院していると古刀が言った病院へ向かった。
通された病室には、あの采女が死んだみたいに眠っていた。
見舞いに来ていたのは、洗平だけだった。
カーテンから差し込んだ日が、嫌に明るく感じた。
采女の外傷は見当たらない。いつもはまとめていた髪がほどけていて、違う印象を私にもたらした。変人だと思ったけど、こうして見ると、よくいる女だ。どうして、その辺りにいそうな女が、こんな大きめのベッドで気を失っているのか、その事実の整合性を、私は頭の中で取ることが出来ないでいた。
なにがあった。
何をした、あんたが……。
私の様子を見て、洗平先輩が説明する。
「津倉ちゃん。采女は、命に別状は無いって、看護師さんが言ってたから、とりあえず、そんな心配はないよ」
「…………原因は? 誰のせい?」
「……誰ってことはない」洗平は言いづらそうにしながら、椅子に座りながら足を組んで、私に告げる。「聞いてなかったんだろうけど、采女は、昔から心臓が悪かったんだって。それなのに、なにか負担が大きいことをしたから、倒れてしまったってさ。普段から、運動なんかは厳禁だって言われていたのに」
心臓が弱い。
――決して走ったりしなかった采女。
――体育の授業に出なかった采女。
「薬を、よく飲んでいたんだけど、それで症状を緩和していたんだよ」
――カミュでよく茶を飲む姿。
「……は? なんですかそれ」私はまた、自分の耳がおかしくなったような気がする。「聞いてない……そんな、聞いてませんよ」
「……采女が、言いたくなかったんだろう」
「何で隠すんですか、そんなの」私は、洗平に詰め寄る。「隠したからって、無かったことにはならないですよ」
「采女は、きっと……自分がそこまで長生きできないことを、津倉ちゃんに知られたくなかったんじゃないか」
「長生きじゃないって……」
――将来探偵になると言っておきながら、なったあとのことを考えている様子は無く。
「だから、それが原因で、自暴自棄になったって聞いたこともある。中学が同じだった津倉ちゃんなら、聞いたことあるんじゃないの?」
――今とはまるで違う、近寄りがたい頃の采女。
「そんな……じゃあ、どうして……」
残り少ない人生を、私に濡れ衣を着せた犯人探しに費やしたりしていたのか。
「大人しく、探偵でも目指してろ、采女……」私は目を覚まさない采女を見下ろした。「好きなゲームでもやってなさい。私はもういいっていうのに、どうして私を気にかけていたの」
「……そこまでは、私も聞いてない」洗平は、そう独り言みたいに呟く。「確かに……レトロゲーム部にこの子が入ってから、津倉ちゃんのことをずっと心配して、それで濡れ衣を着せた犯人を探すんだって、ずっと言ってた」
「…………」
「津倉は、自分の人生を変えてくれた、大切な友人だからって」
記憶にない。
私が采女に、何をしたのか。
人生? あんたは、勝手に自暴自棄になって、高校で気づいたら、探偵を目指すだなんて、頭のおかしい人間になっていた。私が関与している部分なんか無いじゃない。
どうして私を……
私に、どうして死ぬまでの時間を使ったの、采女。
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