3

 采女はさっそく、隣の美術部に聞き込みに向かった。

 入ると、絵の具の油みたいな匂いがする。それを不快ともなんとも思わなかったが、美術室とはまた別に、こういう部屋を用意してあるというのが、この学校の懐の深さなのかと関係ないことを思案した。

 美術室とは、また作りが違う。一般的な教室と同じような構造をしていたが、窓は全開にしてあり、机は一つもなかった。中には、キャンバスがいくつか立ててあって、資料として画集が、いくつか本棚に並べられていた。壁には、部員の過去の作品が飾られていて、彩色のサイケデリックさから、目がチカチカするような気がした。多分、ここだけで部活動は完結しないで、美術室の方で行われる活動もあるんだろう。

 部室にいたのは、只野みのり。そして数名の、面識のない部員だった。

 只野は、あれからよく学校に来るようになったが、絵は相変わらず気味が悪かった。私達とは、よく一緒に弁当を食べたりする仲になっていたが、私は彼女の裏にある、どうしようもなく受け入れられない部分を、どうしようか持て余してしまっていた。

「あ、真希ちゃん、涼香ちゃん」

 只野は描きかけの大きな絵から一度離れて、私達の方を振り返った。手はおろか、顔にすら絵の具がついている。部活動の時間中、ずっと真剣に描いていたのだろう。

「みのり」采女は気安くそう呼んだ。「部活の時間にごめんね、ちょっと訊きたいことがあって」

「ああ……えっと、里内先輩のこと?」

「話が早くて助かるよ。部長が万引き疑惑でピンチなんだよ」

「まあ、里内先輩、有名だから……」只野は頷く。「みんな噂してるみたい。あの先輩が没落するのが楽しいだとか、そういうのばっかり」

「ふん、下らない罵詈雑言だよ」采女は舌打ちをした。「えっと、なにか怪しい人物は見かけた?」

「うーん、わからないかな」只野は思い出したが、すぐに諦めた。「だって、十五時からずっと絵を描いてたから、外のことなんて、そんなに気にしてないし……急に騒ぎになった時は、流石に手を止めたけど」

「誰かここの部室を出入りした?」

「えっと、部活動が始まってから一時間くらいは、私しかいなかったよ」只野は今いる部員を眺めた。他には四人ほどいて、それぞれが作品制作に励んでいた。「それから、みんなが来たのが、十六時くらいだったかな。それまでは、クラス担任の話が長引いたからって言ってて。それから、みんな一度も部室を出ないで、ずっと今と同じ状態」

 なら、美術部は、この只野だけが犯行可能だったということか。そう理解したが、口に出して言うのは止めた。只野には、部長や私達を陥れる動機がない。少なくとも多分、今知っている、彼女の情報の範囲内では。

「ねえ、里内先輩、大丈夫なの?」

「ああ、うん、多分。やってないことは言い切れるけど……」采女は煮えきらない顔をする。「梅津さん、こういう時には引かないタイプだから」

「梅津さんが来てるんだ、やった!」

 場違いなまでに、そうやって只野ははしゃぎ始めた。今はそんな笑顔を見たくはないっていうのに、惜しげもなく私達の前で、小躍りするように笑った。無理もない。木徳から彼女を救ったのは、梅津だという認識が、彼女の中で出来てしまっているのだから。

 すっかり、梅津のファンにでもなってしまったのだろう。只野はあのゲームショップにも出入りをしているらしいし、梅津と個人的に連絡を取り合っているとも言っていた。学校で話していても、梅津の話をされることも多かった。

「でも、里内先輩も心配よ」只野は言う。「梅津さんも、先輩も、ゲームを隠した犯人に、誰かに良いように衝突させられてるってことでしょ?」

「そうなんだよね。その犯人を、私達は今探してるってこと」

「私も、なにかあったら、協力するから、言ってね」

 私達は別れの挨拶を交わして、部室を去った。

 采女の結論はシンプルだった。

「動機なんか後でなんとでもなるよ。理屈と湿布だよ。只野に犯行が可能だった。だから、反証が挙がるまで、容疑者から外すことは出来ないよね」

 私もその考えに同調する。



「古刀を捕まえてきた」

 と洗平先輩が、部室の前で私達を待っていた。

「捕まえたって……」私は古刀を見た。「なにか怪しい動きでも?」

「いや、知った顔だったから挨拶したら、采女はいるかって訊かれたから、ここで待ってもらってる」

 古刀は、申し訳無さそうに頭を下げる。

 この女は、あの事件以来、采女と仲が良かった。私とは、確執こそ無くなったが、多少挨拶をする程度でしかない。

「古刀、どうしたの?」采女が尋ねる。

「いや、今日もワイルドアームズ3やるのかなと思って」古刀は普通に答える。あの日以来、変におどおどしたり萎縮したりといった態度は少なくなっていた。「さっきも来たんだけど、部室に居ないみたいだったから、引き返したんだけど……なんか、大変なことになってるみたいだね」

「ほう、ここに来たのね」采女は手を叩く。「それって、何時?」

「授業終わってすぐくらい。十五時? とか」

「事件のことは知ってる? なにか、怪しい人物は見てない?」

 古刀は、一瞬だけ考え込んだが、首を振った。

「見てない。事件っていうのも、詳しく知らないよ。里内先輩が、なにか悪いことしたっていうのは聞いたけど、信じられない」

「信じなくていいわ」私は口を挟む。「部長は、人から借りたゲームはなかなか返さないけど、万引きは流石にしないわよ」

「津倉と違って?」

「私だってやってないってば」

 ニコニコしながら、采女は私達に煙草の形のお菓子を手渡す。受け取って食べてみると、「吸う真似をしないと風情がない」と采女は文句を言った。

 事件に困ったら、この煙草のお菓子を吸う(真似)のが、この女の憧れている神宮寺三郎から培った探偵の鉄則だっていうのは、采女の口から何度か聞いたことはあった。

 甘いのか苦いのか、本当の煙草ってどういう味なんだろうという考えを、私は咥えながら浮かばせてしまう。煙が先端から出るって言うなら、私はずっとそれを目で追ってしまうような大人になるんじゃないか。

 悩んでいたのか、味わっていたのかわからないが、しばらくしたあとに采女は質問をする。

「古刀、部室には入った?」

「いや、入ってないけど……」古刀は首を振った。「外から見て、いないなって思ったから、引き返したんだよ」

 私は視線を、部室の方に動かす。

 色々と物がある影響で、部室の内部は、ここから見ただけではわからない。

 どうして古刀は、いないと判断したのか。采女のいつも座っている場所は、この更に奥まったところだ。物陰に隠れて、中に入らなければ確認できない。

 ――なにか嘘を言っている。

 采女もそう感じたらしく、彼女は訝るように、古刀を見始めた。

 犯行可能かどうかで言えば、出来るような時間帯に来ている。彼女も容疑者から外すことは出来ないだろう。

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