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「少し早いかもしれないが、こういう物は早いほうが良い」

 そうやって、男性教師が私達にプリントを配り始める。私は興味も何も感じなくて、机に落書きすらする気にもなれなかった。それは、プリントの文面を見たところで、何も変わらなかった。

「みんなは二年だろうが、こういうのはなるべく早めに聞いておきたいんだ。三年になったらもう一度尋ねるが、今の時点での、なんとなくのイメージを書いてくれ。決まっていないなら、それでも全然構わない」

 プリントには進路希望調査、と書かれていた。確かに気が早いとは思った。が、三年になってから急に将来のことを決定出来る人間は、きっとそう多くないと思う。

 くるりとシャーペンを回して、私は何を書こうか一瞬だけ逡巡する。

 何も思いつかなかった。

 少し前なら、まあ書きはしないまでも、RTAに真剣になっているから、それでいいやくらいには思っていたのに、今はそれすら私には、無い。

 何も、本当にただの一つも、何もなかった。

 周りの生徒を見る、ペンを走らせている者が多い。何をそんなに書くことがあるのか。プリントの白い部分を、黒い鉛で埋めていく快楽が、私だって欲しかった。

 古刀はどうだ。あの古刀は、何も書けないはずだと思った。古刀の願いは、秋光に尽くすことしかない。盗み見ると、確かにペンは動いていなかった。古刀は私と同類だ。そんなことを再確認して喜んでいるなんて、本当に私は最悪の人間だなと実感した。

 私は、何がしたい。

 私は何が出来る……。

 ゲームしか出来ない。ゲームだけをしていたかったわけではないのに、気づけば私には、ゲームをやる以外の存在理由がなかった。

 進路なんて、私に訊くな。

 虚しくなるだけだろう。

 少し前に、先輩の将来を聞いたことがあった。洗平先輩は、当然何も考えていない。彼女は卓球がしたかっただけだが、それを奪われているから。

 一方で、部長は一流の大学を目指していた。家族や親族に期待されているから、それに応えているし、そういうのが気持ちいいとまで部長は言った。私には、その感覚を爪のカスほども理解できなかった。

 私が家族に掛けられているのは、期待じゃなくて、頼むから余計なことをするなという威圧だろう。

 ペンは少しも動かない。

 ああ、こんな時、あなたは何を書くの、カビちゃん。

 何もなかった私に、ゲームを教えてくれたカビちゃん。

 そんな私が、ゲームを失ったら……。



 授業が終わると私は、部室へは寄らないで、人の少ない図書室で漫画を読んでから、そのまま眠った。

 起きたときには、十七時を過ぎた頃だった。今日も部室に顔なんか出さないで、さっさと帰ってしまおうと考えていたが、その計画はすぐに崩れた。

 部室棟のあたりが騒がしかった。

 なんだろう、と思って、私はいささか久しぶりだった、レトロゲーム部への道のりを辿った。

 まさかとは思ったが、騒ぎの中心はレトロゲーム部の部室だった。人だかりが出来ていて、中の様子もよく見えなかった。

 あんな変な部で、一体何があるっていうんだ。私は気になって、生徒の合間をくぐって、様子を確認する。

 そこにいたのは、部長。そして何故こんなところにいるのかわからないが、ゲームショップ店員の梅津だった。

 何をしている? 梅津はここの卒業生だと言っていたが、社会人が母校に出入りをすることなんて、余程の事情がない限りは無いはずだ。

「良い加減認めなさいよ、あなたでしょ?」梅津は怒っていた。「現物がここから出て来たんだから」

「だから、やってないって言ってるでしょ」部長は首を振った。「エリミネートダウンでしょ? 家にありますよ。盗む理由なんかないです」

「じゃあどうしてそれが、この棚から出てくるのよ!」

「知りませんよ!」

 盗み?

 現物?

 それで状況を理解する。私には、馴染みのあるシチュエーションだった。

 部長は、梅津にゲームを盗んだと疑われているんだ。

 大変だ、他の部員にも知らせないと……。

 そう思って後ろを振り向くと、采女が歩いて来ている。状況をわかっているのか、わかっていないのか、神妙な面持ちをしていたが、走ろうとはしなかった。

「采! 大変、早く!」

 采女は頷いたが、歩いたまま私の側まで来る。

「何があったわけ?」采女は周りを見回す。「私、友達と話してたから、まだ部室に行ってないんだよ。今日は部長も、部に出るのは少し遅いって言ってたし」

「部長が、あんたのバイト先の梅津に、万引きしたんだって疑われてるの。私も、今来たところだから、よくわからないんだけど……」

「梅津先輩が来てる?」采女は言う。「何が盗まれたって?」

「エリミネートダウンって言ってた。確か……メガドライブのゲームだったと思う」

「シューティングだっけ。部長ならやりかねない気はするけど……」

「ばか、冗談でもそう言うこと言わないの」私は采女の肩を殴る。「部長、エリミネートダウンなら持ってるって言ってたから、盗むわけないわよ」

「そうだよね……どう言うことだろ」

 しばらくすると、部長が教師、そして梅津と一緒に出てくる。

 部長の顔は、怒っていたが私たちを見つけると、申し訳なさそうに口の動きだけで謝った。それを見ると、いたたまれない気持ちが湧き上がってきた。

「お前ら」教師が人だかりに言う。「道を開けろ、ショーじゃないんだ。部活に戻れ」

 連行。連れて行かれる部長の様子を見ると、そんな言葉しか浮かんでこなかった。まるで犯罪者のようにしか、見物人には見えない。あの成績優秀超人生徒会長という評判も、今はそのセンセーショナルさを強調させる役割にしかなっていなかった。

 ――まさか、里内先輩が?

 ――なにかの間違い? でもゲーム好きだって言ってたし。

 ――私は前からやると思ってた。あんな完璧な人間なんかいないもん。

 ――残念、私、里内先輩のこと好きだったのに。

 あることと無いことを、好き勝手に噂をし始める聴衆に耐えきれなくなって、私は彼女たちの間を、肘を突き立てて退けるように進んだ。采女も私に着いてきた。

 部室の様子は、少し荒れていた。ゲームボーイが床に落ちていたり、机の位置がすこし変わっていたり、微妙な違いだったが、なんとなくの違和感があった。

「待って、津倉」采女が私に声を掛ける。「何も触らないで」

「え、ああ、うん……」

 采女は、特に誰に頼まれたわけでもないが、現場を保存し始めた。ガムテープを開いた扉の間に渡すように貼って、誰も立ち入らないようにした。終えると、私達も外に出たほうが良いと促した。私は従った。この自称名探偵の言う事を、聞かない理由はなかった。

 廊下には、もう野次馬は一人もいなかった。部長のことが気になって集まってきただけの烏合の衆だったのだろう。

 しばらくすると、洗平先輩がやって来る。私は手を振って彼女を呼んだが、その表情からすると、彼女は既に事情を理解している様子だった。

 開口一番に彼女が告げたのは、疲れたという言葉だった。

「……津倉ちゃん、采女、あんたたちはどこまで知ってる?」

「えっと」私が思い出しながら言う。「部長がエリミネートダウンを盗んで連れて行かれたことぐらいです」

「語弊のあるまとめ方をするな」洗平はため息を吐く。「さっき、部長と一緒に、私も呼び出されたんだよ。これでも、一応、副部長だってことになってるから。面倒だったけど、どういう状況だったのかは教えてもらった。采女、知りたいでしょ」

「それはもちろん」采女は頷く。「私は探偵を目指してますから」

「まあ、教師が言う範囲では、そう難しい話じゃないみたい。あの、いつも古いゲームソフトを押し込んでる棚があるでしょ? あそこに、袋に包まれた高いソフトが一緒に置かれてたんだって」

「エリミネートダウンです」私は補足する。

「そうそう、そんな名前だった」洗平が頷く。「それが棚に隠してあったんだけど、部長は、家にあるから盗む理由がない、って言って認めない。私も、部長の肩を持ちたいわけじゃないけど、あの女は盗みをするような人間ではないと思う」

 生徒会の用事があった部長が、部室に来たのが十六時。梅津が乗り込んできたのが、十七時。現在時刻は十七時三十分。

 部室棟が出入りできるようになるのは、十五時からだと言うのは、入学当初から聞かされていた常識だった。その時間までは施錠されているし、そもそも授業が終わっていない。朝ももちろん開いていない。

「ふん……」采女は顎に手を当てて、唸る。「つまり、十五時から十六時の間、部室には誰もいなかったってことですか」

「なら」洗平が手を叩いた。「その時間に近寄ったものが犯人ってことか。昨日は日曜日だ。その前から、ずっと仕込んでいるとは思えないしね」

「はい」采女は頷いた。「梅津さんはいつも商品のチェックに厳しいですから、盗まれたことに気づいたのは、間違いなく盗まれた日か、もしくは次の日の朝でしょうね。それで、ここに目星をつけたのが、先程。私がそういう部に所属していることは言ってありますから、もしかしたらと思って学校に連絡を入れたんでしょう」

「そしたら見事にあった、ってことか……」洗平は眉をひそめた。「どうせなら、もっと上手く隠してほしいよ」

「……もしかしたら」

 采女が真剣な顔を見せる。

「私達に罪をなすりつけたい、とか……私達の邪魔をしたいとか」

「そんなの……」私はすぐに思い至る。そんなことを考える人物なんて……。「こずえ本人しか考えられないじゃない」

 こずえ。またあの女は、私に不利益をもたらすっていうのか。

「……確証は無いけど」采女は否定しなかった。「動機の面から言えばそうかも。隠し方で言えば、安直だし……私達に罪をなすりつけて、あの動画から、こずえが誰なのかを特定されることを恐れている。津倉の鞄に鍵を入れたっていう証拠は、あの動画しか無い」

「じゃあ木徳に……」洗平。「私達が近づいたのが不味かったってこと?」

「三年前のことを、きっと公にされたくないんですよ、こずえは。自分が、津倉を犯人に仕立て上げたっていうのが、知られたくないんです」

 私は、何も言えなくなった。

 どうして私を巻き込んだのか、本人を捕まえて聞いてみたい気もするが、同時にそんな得体のしれない人間に接触するのが恐ろしいという感情も同時に抱えてしまった。

「それで」采女が、話題を戻した。「エリミネートダウンは、袋に入ってたんですって?」

「ああ、うん。部室に置いてあった、部長が買ってきたコンビニの袋に入ってたらしいよ。だから余計に疑われてるわけだけど」

「袋か……ゲームショップの袋じゃないんですね」

「犯人が置きに来た時に、その場にあった袋に入れてから、あの棚に入れた、ってことになるね」

「そうなりますね。部長に罪をなすりつけたい一心だと推測されますけど……」

「まあ、そうだろうね」洗平は頷いた。「あと、部長は十五時に生徒会に向かって、その用事が済んだあと十六時からここを動いていないって言ってる。ほら、やり差しのシューティングが放置してあるでしょ」

 ここから部長の使っていたテレビが見える。

「あのゲームは雷電2? とかいうらしくて、今二周目の終盤だって言ってた。なんか一周に三十分ぐらいかかるから二周するのに一時間。だから十六時からはここを動いてないってさ」

「やっぱりじゃあ……十五時からの一時間しか犯行可能な時間は無いってことですね」

 采女は入り口から部室を見つめていた。

 あれだけ親しんでいた部室が、急に遠いものとして映る。悶着があって、梅津が乗り込んで、教師に部長が連れて行かれた。その事実は、私からこの部室の聖域さを、剥離させるのに十分だった。

「そう言えば」急に、采女が部室を見ながら言う。「ワイルドアームズ3のパッケージ、どこに行きました? 最近、私が遊んでいたんですけど」

「え?」洗平が首を傾げた。「さあ。私は触ってないけど」

 采女は入り口のガムテープを潜って、自分の使っている机のあたりを調べる。

「ゲームディスクは、本体に入ったままだ」采女がこちらに聞こえるように言った。

「え? パッケージだけ盗んだの?」洗平が、隣にいる私に尋ねる。「貴重なもの?」

「いえ、普通に売ってるゲームです。面白いですよ。でも、パッケージだけ盗んでも意味ないです」

 犯人は、エリミネートダウンをここに押し付けただけでなく、ワイルドアームズ3のパッケージだけを盗んだらしいが、その意味がまるでわからなかった。

 ともかく、単なる万引き事件でないことは確かだろう。部長であるはずがない。

 采女が出てくる。

「犯人はおそらく、こずえだと仮定します。私は、犯人をはっきりさせて、こずえの正体を暴きたい。それで……私の望みを叶える。津倉に、謝らせたい」

 采女はそう決意しているが、私は、私自身のことはどうだって良かった。

 ただ部長が、部長が不憫でならなかった。万引きなんかで経歴に傷をつけて良いわけがない。

 将来を期待されて、それに応えるのが好きで、その息抜きにゲームに没頭する、あの愛おしいくらいに私たちに優しかった部長は、こんなところで終わるべき人間じゃないと思った。

 洗平はどう感じているのかわからないが、口では部長を嫌っていても、こうやって私たちに協力的な態度である以上は、部長が万引き犯にされることを、望んでいるわけがない。

 私たちの目的はここに一致している。

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