6
私と洗平は、只野を家まで呼びに行く。
数日が経った。木徳のことを調べながら、ウィザードリィのことはほどほどに探し、数本手に入れてレシートも取っておいたが、これで木徳が満足するとは思えなかった。木徳自身にも、尾行を何度か試みたけれど、出掛ける時間がまちまちで、何かを警戒しているのか、カフェで時間を潰したり、ゲームショップや、本屋や、漫画喫茶に消えることも多々あって、彼の実態はいまだによくわかっていない。
ソフトの手渡しと報告という目的で、今日は只野と共に、木徳に会いに行く予定になっていた。只野は、今日も学校を休んでいた。最近、耐えられなくて休む日が増えているみたいだと、洗平が言った。
家に行くと、只野の兄弟と母親に出迎えられた。母親は申し訳なさそうにしながら、只野へ私たちを取り継いだ。只野の兄弟は、全員少年少女で、それが何人いるのか数えられないくらいだった。騒がしいという印象の方が、賑やかだというポジティブなイメージを上回った。
只野は、部屋にいた。
じっと、真っ白なキャンバスを見つめていた。ここに自由に描けば良いんだよ、なんでバカでも言えそうな気休めの言葉に使われるほどに、教科書的なくらい真っ白なキャンバスだった。
只野は、それから腹でも下した後みたいな、脱力し切った声色で、私たちに口を開いた。
「私ね、絵が好きなの。絵を描くのが、好きだったの。もう、何も描けないんだけどね、確かに好きだったの、絵が……」
掴んでいる、筆。先端が毛羽立っていた。真っ黒い絵の具を、根元の方までどっぷりと浸けたらしく、冗談みたいに黒くなっていた。絵の具が滴って、床に落ちないシミを作っているのを、すぐにやめさせた方が良いのに、私達はどう声をかければ良いのかわからなくて逡巡した。只野は、その体勢で、じっとしていた。
只野が絵を描けなくなったのは、最近だという。最近というが、以前からその兆候はあったと話した。学校が苦痛で、特に居場所がない女だ。そこから逃げる手段が、絵だったのだと只野は言った。
絵は楽しかった。試行錯誤をして、色々な作品を作った。色々な絵を見て勉強をした。私からメタルストームを借りたのも、その一環だった。ドット絵での表現というものに、興味があったからだった。
描けなくなった明確な瞬間は、木徳だった。木徳に急に付き纏われるようになってから、心労が祟って、そんなことに割けるほどの、頭の余裕が無くなってしまった。
木徳は怖かった。何をするわけではない。只野には、あのゲームを探せとか、ゲームを持ってたら貸せだとか、そういった頼み事しかしていなかったが、それでも木徳に対する恐怖心は、十分なほど膨れ上がっていた。そもそも只野は、人に何かを頼まれたり強要されたりすることに、著しいストレスを覚える人間だった。
木徳は怖いし、嫌い。でも、殴り倒したいほどでもない、というのが本音でもあった。なにか、彼にも事情があるんだと思っていた。そうやって、気持ちよく人を嫌えない自分自身が、何よりも誰よりも、最低最悪に大嫌いだった。
そんな話を、つらつらと、口から垂れ流している只野を、止めることは出来なかった。
「れんげ先輩、津倉さん。ごめんなさい。今日は……気分が落ち込んじゃって、ごめんなさい。余裕が無くて、ごめんなさい。気分に、波があって」只野は、ようやく私たちと目を合わせた。「他人なんて、みんな消えちゃえば良いのに。学校が嫌なのも、他人と関わるのが辛いから。木徳に付き纏われるのも辛い。みんな、みんな、消えちゃえば良いのに。先輩と、津倉ちゃん以外、みんな」
只野は床を見つめた。憎らしく。
階下では弟たちが、狂いそうなほど騒がしくしていた。大家族だから当然だろう。その音が、落ち着きを取り去っていく。
ああ、そうか。きっと彼女は、家にだって居場所がないのか。彼女の求める平穏が、ここには、この世界には無いのか。
「家だって嫌。眠れないほどうるさい。家事も手伝うけど、それで時間が潰れる……家族だって消えてしまえば良いのに……」
「只野さん」私は、何も言うことができなかった洗平先輩を差し置いて、口を開く。「私も、その気持ちはわかる。家が嫌いだっていうのも、私もそうよ」
「……同じ悩みを持ってる人と、それを共有したって、ちっとも楽にならないね、津倉さん。学校の教えは、嘘ばかりね」
「……私も、同情のつもりで言っただけよ」
なんとかしたいと、私はそこで強く思った。
他人なんてどうでも良いのは、私も同じだ。だけどこの只野を、私はこのままにして置きたくはなかった。
理由は、単純だ。
彼女は、私を嫌っていないからだった。
「これだけか」
私たちからソフトを受け取った木徳は、怒るでも呆れるでも失望するでも無く、淡々とそう告げる。
褒めて欲しいわけでは無いけれど、そんなに無表情だと、私としても若干の不満を覚えた。
「これは全部買ったものか」木徳は、レシートを眺めながらお金を用意しする。「人に譲ってもらったりはして無いのか」
「今時ファミコンのゲームなんて、持ってる方が稀よ」私は、私自身と周辺の知人を全部無視してそう言う。「行ける範囲だと、それだけしかなかったわ。あんたが既に買い占めてるから」
「まあ良い。約束通り金は出そう」
「メタルストームは?」
私は、木徳のやっているゲーム画面を眺める。よくわからないゲームをやっていた。ゲーム画面とは別に、パソコンにもプレイの様子が映し出されていた。こっちは録画出来るようにしてあるのだろう。パソコンの画面には、タイムを測定する時計も表示されていた。
やっぱりこの男は、RTA走者なんだ。
「まだ待て。今やってる。俺に貸したと思え。このまま続けてくれれば、いずれ返す」
「売ったりしないでしょうね」
「ゲームは、遊ぶためにある。資産じゃ無い」
「あの……」只野は、小さくなって言った。「これ以上探すのは、ちょっと厳しいんだけど……」
「厳しいって?」木徳は訊く。「出来る範囲で良いって言ってるだろ。期限とかそう言うのも無い。何が厳しいんだ。こっちは困って頼んでるのに」
「私……精神的に、結構限界で……学校にも行かないといけないし、勉強もしないといけないし、家でも、バカな弟たちや、お母さんのせいで休まらないし……」
その言葉、
何に反応したのか、木徳は急に立ち上がって、只野を問い詰めた。
「お前さ」
「え?」
「バカな弟ってなんだよ」
「え、だって……いつもうるさいし、言うこと聞かないし……」
只野は、目を伏せる。
洗平が間に入ろうと身構えたが、木徳の威圧感が異様だった。
「子供はそう言うもんだろ。弟が悪い、弟がバカだみたいな決めつけを,何故してるんだよ。バカはお前だ。物を知らない、お前が一番バカだ。人のせいにして、自分は何も悪く無いって被害者面をしている、お前が何よりバカなんだよ、このバカ!」
「だって……そんな……なんで……」
只野は、パニックになって泣き始める。
ついに、洗平が口を挟んだ。
「ちょっと木徳さん! 落ち着いてください! 何が気に入らないの?」
「はあ? お前、弟とか母親とか、どうせ果ては父、祖父母、親戚の悪口をこいつが言ってるのを黙認してんのか? なあ、みのり。バカ女。お前、誰に育ててもらった? 親だろ? 弟がうるさいだけで、そこまで否定すんのか? なあ?」
「……いえ、そんなつもりじゃ……」
「だったら撤回しろよ。お前一人で生きてきたのか? 弟は幼いんだから仕方ないだろうが。お前はそこまで偉いのか? 弟を育てでもしたのか?」
「いえ……ち、違います……」
「撤回しろ」
「……二度と言いません……」
「心がこもってねえよ。口先で言ってるんだよその言葉。誰に何を謝ってるのか理解してねえんだよ。呪文じゃねえんだよ謝罪は。言っておけば治る呪文じゃねえよボケ」
「待ちなさいよ」
私は立ち上がって、木徳を睨む。
「なんだ?」
「何をそんなに怒ってるの? ストレスでも溜まってる?」
「ストレスなら、さっき十分なほどに溜まった。いいか? 俺はな、家族をバカにする人間だけは許せないんだよ」
「なら、ファミリー映画で泣いてなさい」
「この女は明確にバカにしたんだ。それだけは、俺は昔から許せねえんだよ。この気持ちは、お前にわかって貰わなくても良い。だが俺の怒りはわかれよ」
「知らないわ。私も家族のこと、嫌いだもの」
「はあ……」木徳は頭を抱える。「クズだお前。人間のクズだ」
「なら、もうウィザードリィは集めなくても良いのね?」
「だったらメタルストームは返さない。破壊する」
沈黙があった。
それから私たちは、ソフトをさらに探してくるが、只野に対してこれ以上責めるなという約束も取り付けた。
木徳……。
こんな男と同じ趣味を持っているなんて、私は認めたくなかった。
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