5
采女と里内は、メモリーカードのデータを連日調べていた。
采女がバイトや何かの私用で、途中で帰ることもあったが、その場合は里内がデータの内容を調べてメモした。
ゲームのジャンルは、主にRPGがほとんどだった。当時から現在までずっと、一定の人気のある国民的なジャンルだった。特別な技量を必要としないのも、その普及度に貢献しているだろう。
采女は興味深そうに、それらのデータを調べ、部長はそのラインナップを見て、少し嬉しそうにしていた。この女は、シューティングしか知らないなんて口では言っているが、RPGにも相当に詳しかった。
おそらくは、采女などよりも、ずっと知識があった。
こずえのデータは、有名タイトルが多かった。そのいずれも、きちんとエンディングまで到達しており、途中で投げ出したような様子は一つもなかった。隠しダンジョン等のやりこみ要素まで、真面目に潰している。偏執的なまでに遊び尽くすような、生粋のゲーマーだということが見て取れた。そもそも、データのタイトル数から言って、適当な趣味でゲームをやっている人間ではないだろう。同一人物だというのなら、イデアの日だってプレイしているし、家にはそれ以上に、見たことも無いようなゲームソフトが揃っているに違いなかった。
こずえのデータが明らかになるにつれて、何者なんだろう、と采女の中で、こずえへの疑問と興味が膨らんでいく。妄想で、その人物像を作り上げてしまうほどに。采女の中では、こずえの容姿すらも構築されていた。まるで、本の登場人物みたいな扱いだった。
主人公の名前は全て「こずえ」。RPGどころか、ノベルゲームやシミュレーションゲームなどを見ても、そう入力されていた。これが本名でないという可能性も当然あるが、それは置いておいても、このメモリーカードが「こずえ」一人のものであることは、もはや確定的だった。
そんなものが、どうして急にメモリーカード売り場に現れたのか。女の先輩が、あそこは目ざといくらいに、言ってしまえば小姑みたいに逐一チェックしている。そんな物があればすぐに気づいて、店長に煩く報告に行くだろう。つまり、これらのメモリーカードは、発見された前日にあそこに混ぜられたことになるが、そんな事が可能なのは店員、店長、そして来店した客。その誰にも、動機らしい動機は見当たらなかった。
「多分、こずえは女よ」部長は采女の肩に暇そうに顎を起きながら、画面を見つめて、そう口にする。「性別が選べるゲームは全部女性だし、ほら、かまいたちの夜を見てよ」
その名作ノベルゲームのデータの詳細を、紙に書き写した物に、采女は目を通した。
男主人公の名前と、その恋人の名前を設定できるようになっている。そこでは男主人公の名前を「透」というデフォルト設定の名前、そして恋人をわざわざ「こずえ」と改めていた。
「わざわざそんな風に設定すると思う?」部長が言う。「こずえが男だったら、その透をこずえにして何の問題も無いと思うけど、でもこずえはそうしなかったのは、自分が女だから何となく抵抗があったから。まあその透くんのことが好きだったのなら話は変わってくるけど、これででも、単純な確率で言えば、こずえが男である可能性は、四分の一くらいよ」
どういう計算でそう導いたのかはわからないが、部長の言うことには多少の説得力もあった。女だと見て、そう間違いはないだろう。古刀がゲームを盗んだ家のこずえも女だった。その点で、同一人物であるという説が補強される。
「部長のほうが、探偵に向いてるんじゃないですか?」采女は自嘲気味に言う。「私なんて、そこまで考えなかったですよ。勉強は頑張ってるんですけど、部長ほど頭が良くないですし」
「何言ってるの、私なんか目標にしちゃ駄目。探偵になりたいなら、探偵になることだけを考えればいいのよ。グラディウスⅢをプレイする時に、グラディウスⅢをクリアする以外のことなんか考えないでしょ? そんな雑念があったら、即死するから」
「シューティングはあんまりやらないのでわかりませんけど、まあ、参考になります」
「とにかく、探偵になりたいなら、なりなさい」
探偵になる。その道は采女の中で決まっていたが、なったところでどうするのかという具体的なビジョンは、彼女の中にはまるで無かった。概念として、探偵がどういう仕事をしているのかは知っていた。別に、殺人事件を解決するわけではないということも、十分に理解していた。
なったあとのことなんか、その時考えれば良い。
自分が欲しいのは、探偵としての立場、そして能力に過ぎない。
しかし、そうやって冷静になって考えていると、正気に戻ってしまう。なんで、こんなことをやっているんだろうなんて、道を進んでいるときには、一番考えてはいけないことだ。
このこずえも、正気に戻ってしまったのだろうか。
だからメモリーカードを手放した。熱意を傾けた、その結晶や血や涙や、そういった物を電子化したものが、セーブデータだと采女は考えている。
正気に戻って、熱意を失ってしまったんだきっと。
クリアした時に、ああこんなもんなのか、なんて、思ってしまったんじゃないか。
采女は、この日もバイトがあった。遅刻しそうだったが、彼女は決して走ることはなかった。
女の先輩は、采女と挨拶を交わす。この女は、采女に仕事を自然と押し付けた割に、その申し訳無さを、少しくらいは感じてしまう程度に、采女とはいい関係を気づけていると思っていた。そもそも、采女の高校のOGだというのだから、その点では親近感があるのだろう。
今日は男の先輩も来ていた。采女との関係は、至って普通の先輩後輩でしかなかったが、彼は女の先輩とはすこぶる仲が悪かった。それでもお互いに辞めないのは、こういうところでしか働く気が起きないからだろうか。采女も、その気持はわかった。バイトをやらなくても、そこまで絶望的に、金銭面で困っている訳では無いが、こういう場所で働くことに、ある程度の憧れがあったし、好きなことだけを考えていればそれなりに上手くいく環境は、彼女にとって居心地が良かった。
店長はレジの奥で、またサボっている。何処かへ電話をしていた。その会話が、耳に流れ着いてくる。
「ああ、別れるって、あんな女とは。だからさ、待っててくれよ、な?」
大人の男女のことはまるでわからない采女だったが、その会話が何を意味しているのかを、わからないほど世間を知らないわけではなかった。
店長は、店で隠す気もないくらいに、大っぴらに不倫をやっている。采女の知る限り、采女がここで働くようになってから、ずっとだった。奥さんがいること自体が意外だったが、この男に他に女が着いてくるのも意外だった。
その会話を聞き、女の先輩が舌打ち。
「許せないわ、あの男……」
まるで、自分が奥さんなんじゃないかっていうくらいの勢いで、女の先輩は怒り狂う。結局のところ、不倫なんて言うのは当人同士の問題なのだから、外野が口を挟む権利なんか無いっていうのに、彼女は全ての人類を代表しているかのように、そうやって店長を忌み嫌っていた。
「采女ちゃん頼んだ件、進んでる?」女の先輩は、ゲームの整理をしながら訊く。その内容は、もちろんアルバイトに関係することではない。あのメモリーカードのことでもない。
「ええ、まあ……出来る範囲は」
「そう。偉いわ」彼女は、そうして店長をまた睨むように見つめる。「采女ちゃん、ああいう大人はね、許しちゃ駄目よ。クズなの。生きていては、いけないくらいのクズなの」
彼女は、普段から店長の働きに対して文句を言っていた。陳列が汚い。検品が適当。経営状況が悪い。果てはトイレの使い方が汚い、など。
「RPGなら、魔王を倒すでしょ。そういうものよ。あいつは、魔王なの。この店に巣くう、悪の魔王」
RPGに喩えられても、そう上手く認識はできなかったが、とにかく采女は頷いた。この女こそ、敵に回すと嫌だった。彼女こそ、実際のところで言えば、魔王であると言い切ることも出来た。
「仕事なんかやる気ないのよ、あの店長。人から経営権を譲ってもらっただけで、ゲームのことなんてなんにも知らない。興味もない。熱心なのは、きっと愛人の身体だけよ。結局内面では慰めてもらってるだけのくせに、自分がイニシアチブを握ってると思ってるんでしょうね」
店長は続いて、電話で口論を始めた。今度は奥さんからの電話なのだろう。采女は耳を塞ぎたくなった。
「は、いいよな」男の先輩がいつの間にか近くにいた。彼を認識すると、女の先輩は、近くから消えた。「采女、ああいうだらしない大人とは付き合うなよ。でも、なんだって、あんな男に、女が群がるかね。あのおやじ、許せねえよな」
「羨ましいんですか?」
「まあ、そう思わなくはないな」はあ、と男の先輩は、大きなため息を吐いた。「俺さ、最近彼女と別れてさ、ずっと胃痛が酷いんだよ。本妻だって持てない俺にとって、不倫相手なんてのは、なんだか信じられない話だな……」
最悪な職場だな、と采女は思う。
こんな環境で、ストレスを貯めるななんて言う方が無理なんじゃないか。
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