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「何だってのよあの男!」

 喫茶店だった。私達は木徳の家からひとまず退散して、それから落ち着ける喫茶店に入った。駅の周辺にあるためか、この時間はそれなりに混雑していたが、待ち時間は幸いにして無かった。

 私は、さっき木徳が結局淹れてくれなかったコーヒーのみを注文し、他の二人は紅茶とケーキを頼んで食べていた。

 苛ついた洗平や只野とは裏腹に、シックな装いの店内では、穏やかな時間が流れていた。音楽はずっと古いジャズが掛けてあった。リズムとリズムの間を、ぶらりと漂うことを許された空間だった。そうしてコーヒーの湯気をぼーっと見つめると、木徳なんて男が、もしかしたら夢だったんじゃないかって、私は思ってしまう。

「私が……」只野は洗平に同調するように、頷きながら答えた。「私が木徳に付き纏われて、最初に頼まれたのも、そのウィザードリィってゲームを買ってこいってものでした。中古屋とか、知り合いとかを当たれって言ってたけど、でも、私そういうのよくわからなくて、あんまり芳しくはなかったんです」

「怒られなかった? 殴られたりは?」

「そういうのは無くて……男女の関係とか、そういうもの、一切無いんですけど……でも、私に失望してるのか、もっと優秀な人を探してるみたいでした。そもそも……最初に声をかけられたときも、急に話しかけられたんですけど、うちの学校の生徒だから、目をつけたみたいで……」

「どういうこと?」洗平は顎に手を当てる。「うちの学校に何の用が?」

「洗ちゃん先輩、里内部長では?」私は思いついたことを助言する。「もしかしたら、部長とかいうレトロゲームに異常に詳しい人間に興味があって、それへの布石として只野さんに声をかけたんじゃないんですか? 部長、学内外で有名だっていうじゃないですか」

「部長か……あの女が目当てなら、納得は出来るよね」洗平は舌打ちする。「この件は、むしろ部長に相談するわけにはいかないってことね。木徳の思うつぼになる。あいつが何を考えているのか、どうしてそのゲームが欲しいのか……」

「ウィザードリィですね。その1です」私は解説する。私だって、一般的な知識くらいはある。「まあ、有名すぎるほどのゲームですけど、なんでこれが欲しいのかはわかりかねます。レアなゲームではないです」

「みのり。そういえばなんで津倉のゲームを貸したの?」

「えっと……」只野は飲んでいた紅茶を置いた。「まず木徳が私の家に、少量のファミコンのゲームがあることに興味を持って、家まで来たんです。たぶん、そのときはそのウィザードリィを探してたんだと思いますけど、あのメタルストームを目にした瞬間にこれを貸してくれと言って聞きませんでした。だから、逆らえなくて……」

 只野はげんなりとしていた。ケーキも、食べてはいたが、洗平がとっくに皿を綺麗にしている一方で、その減りは心配になるくらいに遅かった。

「私……前から学校が苦手で」只野はうつむきながら言う。「時々休んでるって言ったじゃないですか。今は、その木徳のことで頭が一杯で、休む日数も増えて……ずっと調子が悪くて……私、絵を描くのが趣味だったんです。美術部にも所属しているほどです。でも、木徳に付き纏われて以来、絵なんか一枚も描けない……描く気に、なれないんです。だから……鬱屈してるんです。もう、どうしたら良いのか、思い詰めるだけで、何も解決していないんです……ねえ、れんげ先輩、助けてください」

 そこまで言うと、只野は涙を流し始めた。

 こういう時に、誰にも相談しないで、抱え込んでしまって、そのまま潰れて死んでしまうんだ、きっと、この只野という女は。やっとの思いで、私達がきっかけになって、ようやくその辛さを、発露させることでリミッターが外れたのだろうか。

「わかった、なんとかしよう」洗平は頷いた。「ならまずは、あの男からメタルストームを取り返す。できれば弱みを握り、可能な材料があるなら警察に駆け込む。二度と近づくなって脅しが利くならそうしよう。とにかくこっちを優位にする。スタートラインは、きっとそこだよ」



 翌日だった。放課後の時間に、木徳が家を空けているというのを、只野が確認していたので、私達は木徳の家に向かった。

 只野が言うには、木徳の家の窓は少し鍵がバカになっているという。普段木徳が、そう言うことで文句をよく言っていたのを、只野が聞いて覚えていた。狭くて古いワンルームマンションには、たまにそう言うことがあるのだろうか。

 侵入できると言うのなら、洗平先輩はその隙にメタルストームを盗んでしまおうと言い出したが、きっとそれをやった皺寄せは、関係を断てない只野に来るだろうからやめた。

 私たちの意見は、あの木徳が何を考えているのかを知りたいと言う部分で一致した。私の偏見だが、あんな頼みをしてくる人間には、きっと後ろめたいことが隠されているに決まっている。

 木徳の部屋に入るのは、只野で決まった。三人全員で入るのは悪手だ。本人が行きたいと言ったし、万が一見つかっても、彼氏彼女という表面上の関係だから、そこまで問題にはならないと踏んだ。

 窓から侵入した只野を、私たちはアパートの外で見守った。スマートフォンで通話しながら中の様子を教えてくれるよう指示した。

『メタルストームは』只野が言う。声が震えているのは、恐怖だろうか。無理をさせている気がした。『ファミコンに差したままだよ』

「何かない?」洗平が指示する。「木徳に関することがわかるような」

『ちょっと待ってくださいね。えっと……免許証とかパスポートとかあれば良いんですかね』

「そんなの、きっと持って出てるでしょ。パスポートなんか持ってる人間じゃないだろうし」

『何か、探してみます……。でも、私、あの人の下の名前すら知らなくて、本当に何も知らないんですよ』

「そんなので、みのりの恋人だなんて、ふざけたことを言ってる男ね」

 それから只野は、しばらく部屋を探った。

 私は、ふう、とため息をついて、目の前の道路を眺めながら座る。

 静かだった。通行人は、私たちなんて気にしていない。鳥の鳴き声すら耳に入ってくる。

 少し暑いな、と私は思って、上着の袖を捲った。

 居心地が悪い。今にも、木徳があの道の先から姿を現しそうな気がする。落ち着かない。

 さらに、時間が経つ。

『れんげ先輩、これって探してるソフトですか?』

「何かあった?」

『ウィザードリィ……黒いカセットですか?』

「ウィザードリィは全部黒よ」私が言う。「背景が黒で、文字は赤い?」

『はい。そのソフトが、何本もあって』

 只野が見つけためぼしい物は、すでに大量なほど所持していたウィザードリィ1だった。本当に探していたことを、疑う要素は無かった。やはり、相当な思い入れを持ったマニアらしい。

 しかしその上で、さらに私たちに集めさせようと言うのは、どういう魂胆なのだろう。一体、何に使うんだろう。闇の儀式とか、そういう飛躍した答えが無いと、どうも木徳に対して納得を持てなかった。

 只野が部屋を見た範囲では、見つかったものはそんな所らしい。というか、あの散らかりようだ。変にものを動かせば、積み上げている色々が崩れて、さらに悲惨になるに決まっていた

 パソコンも起動してみたがパスワードでロックされていた。当然だろう。窓があんな状態では。

 ゲーム機のあるラックを探っていた只野は、口を開いた。

『Wiiまである。これなら私だってわかる』

「Wiiか……」洗平は私を向く。Wiiとは、たった十年ほど前に発売されたまだ新しいゲーム機だった。「どう思う?」

「とりあえず起動してみて、只野」

『わかった。なにか、わかる?』

「見てから判断するわ」

 しばらくの沈黙。

 そして、只野が続ける。

『家族のアバター? そう言うのが登録されてる。ほら、自分に似たキャラクターを作れるでしょ、Wiiって』

「確かに、まあ、使ったことないけど、そんな機能あったわね」

『……思い出があるのかな』只野は呟いた。『今は、一人でこうやって暮らしてるけど……大切な家族がいるのかも。男の兄弟が何人かいて、女の兄妹も一人。両親らしき人、祖父母……親戚かな、こっちは』

 物音。只野が立ち上がったらしい。

『家族の写真も飾ってあるよ。やっぱり、大事な家族がいるみたい。私にそんな話はしないけど』

 嫌なものを見てしまった、という気分になる。

 ただ嫌いたかった人間から、そんな善性を感じたくないというエゴみたいな理由だった。

 家族……そういう集まりに対して、すっきりとした感情を抱けなくなったのって、いつ以来なんだろう。

 只野はさらにデータを探った。当たり前だが、ゲームのセーブデータがいくつも存在している。こんなことをしていると、采女が今やっているメモリーカードの盗み見とやっていることは変わらない。

『同じデータがいくつかあるみたい。なんでこんなにセーブするのかな。心配性?』

 その呟きに、私は引っかかる。

 只野に聞いて、ゲームタイトルとプレイタイムを教えてもらう。

 それで納得がいった。きっとそうか。導き出される私の答えは、一つしかなかった。

「RTA走者なんだ、木徳も……」

「それって、津倉ちゃんがやってるっていう?」

「珍しい趣味だと思ったのに、結構周りにいたなんて、知りたくもなかったですね」

 近年ではRTAの催しが開かれたりしている分、その知名度はかなり高まっているし、実際私も、その辺りのムーブメントに乗っていた部分もあった。

 別に、私だけがやっている珍しい趣味なんかじゃないのに、何を鬼の首でも取ったみたいに、自分を表現するものだって思っていたんだ。

 それ以上、得られたものはない。

 木徳のゲームへの愛情が、意外と本当だと言うこと嫌な事実が、ぽろりと露呈したにすぎない。

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