14

 急に采女の家に来いと言われるなんて、想像もしなかった。

 あいつの家は、学校からだと私の家から反対方向だった、つまり、一度家に帰った後、こんな夕方に、学校までの道のりより遠い距離を歩かないといけなかったし、同じだけの距離を掛けて帰らないといけなかった。

 采女の部屋。一軒家の中の個室。ベッド、本棚、そして大量にあるが片付けられたゲームの類。思ったより、散らかっていないのが意外だった。ポスターのようなものも張っていない。しかし、探偵になりたいと言う割に、推理小説が一冊も無いのは、それで良いのかと考えさせられた。

 招かれたが、しばらく待っていてと言われた。采女もベッドの上で、暇そうにゲームボーイをしていた。私は、彼女の私服がそんなものなのかを勝手に想像していたが、想像したものよりも圧倒的に普通の服だった。

 古刀を呼んだ。采女はそう言った。来るのかすらわからないが、確かに呼んだから一緒に待とう、と彼女は私をこの部屋に縛りつけた。私がいて、なんの意味があるのかは、どれだけ考えてもわからなかった。

 ゲームの並べてある棚を見ていた。あのファミコンのレアソフトのギミックが、箱ごとあるのが私には目玉が飛び出るほど驚いた。

「え、あんた、こんなの持ってるの?」

 私が尋ねると、采女は嬉しそうに、ゲームボーイを置いて答えた。

「ギミック? うん。箱と説明書は揃ってるよ」

「それって……だったら信じられないくらいの価値になるんじゃないの」

「そうだよ。だから、セキュリティのために、カセットに白マジックで名前を書いてるんだよね。『りょうかの かってにやったら ころす』って」

「なんてことすんのよ」一気に価値が下がっていくギミックを、私は惜しいと思った。「名前だけじゃダメだったわけ?」

「お父さんが勝手にやるのが嫌だったんだよ」

 インターフォンが鳴った。まさか、本当に古刀はノコノコとこんなところに現れたのだろうか。采女が応答しに席を外して、一分ほど一人の時間があって、采女が戻った時には、その後ろに問題の古刀がいた。

「古刀……」私は驚いて言う。「こんなとこまで来るなんて、弱みでも握られたの?」

「なんで津倉までいるんだよ……」古刀は頭を抱えた。「里内先輩が、私の家まで来て、直接頼んだから、断れなくて……」

 采女の差金だろう。この女、生徒会長と言えども、必要であれば顎で使うタイプのようだった。

 采女はそして、自室のテレビを示した。

「古刀。これから、このゲームをやって」

 その声のトーンが違った。

 まるで、探偵だとか名乗り始める前の、荒れていた時代の彼女を思い出させるような……。

 古刀は、その威圧に負けたのか、文句も言わないで、コントローラーを握るために座った。

 テレビに繋がるはスーパーファミコン。そう、イデアの日だった。

「ど、どこまでやらせるんだよ」古刀は訊いた。「今日中にクリアなんて無理だよ」

「馬鹿。そのために津倉さんがいるんだよ。ねえ、津倉さん」采女は、私を向いた。「RTAのチャート、教えてくれない? それなら短時間でクリアできるでしょ」

「大雑把に覚えてるけど……でも、短時間と言っても、七時間ぐらい掛かるわよ!?」

「でも不可能じゃない。古刀」

 完全に臆している古刀を、見下ろす采女。

「早くやって」

「で、でも七時間って……」

「古刀。逆らうの?」

「…………逆らうってわけじゃ」

 言いくるめられた古刀は、口を尖らせながら従う。カセットは、あの「あきみつ つぐみ」と書かれたものだった。

『ことう』のデータを、古刀がちゃんとプレイし始める。私は覚えている限りのチャートを指示する。なんで、こんなことに付き合わされているんだろう、と正気に戻りながら。

「古刀。あんた勉強会に行ったことを聞いたよ。こずえとか言う人の家だったよね」

 プレイしている古刀の脇で、采女が言い始める。その光景は、本当に探偵としての、推理披露の時間のように見えた。

「……だから、どうしたんだよ。そういう友達付き合いぐらいあったよ」

「こずえの家は、古いゲームがそれなりにあったって聞いた。話は変わるけど、秋光が、あなたにイデアの日を貸したって言ってた。結構それなりの期間、あなたに貸していたみたいだけど、でも、このカセットに残っていたのは、今見てもらったらわかるように、全く進んでいないデータ」

「……それは、ペットが……冒頭でペットが死ぬのがキツくて、やめただけ。ちゃんとやってない」

「イデアの日には、データ削除という項目はない。上書きするしかないのよね」

「は? ええ……そうだけど。それが?」

「あなたと秋光は、絶縁状態にあった。原因は、イデアの日というわけではないけど、いろいろな積み重ねがあったところに、イデアの日のソフトを無くしたってあなたが言ったから、それでキレたって、秋光が言っていた」

 私から聞いた秋光の話以外に、采女はさらに詳しい話を告げた。部長や知り合いにでも調べてもらったのだろうか。

「で? 古刀。無くしたイデアの日は見つかったの?」

「見つかったから、ここにあるんじゃないの……通学路に、落としてただけだよ」

「どうして部長に返却を頼んだのか、その理由はさして難しくない。あなたはすでに秋光と絶縁していたから、直接会う手段は取れなかった。そして、その原因は、イデアの日にあると思っていたあなたが取った行動なんて、ここまで示されれば馬鹿でもわかる」

 采女はそこで、あ! と叫んでゲーム画面を指差す。

「ほら、そこのお父さんの話をよくメモしなさい」

「え、ああ、うん……」

 古刀は律儀に、采女の言う通りにした。

 ――それが仇。

「古刀」

 短く、鋭く、そう言い放つ采女。

「どうしてその冒険家が、主人公のお父さんだって知ってるわけ?」

 古刀は、

 それから、コントローラーを動かせずに固まった。

 十秒ほどの間が空いて、口を開ける。

「だって、えっと……ネットで、ネタバレを踏んだから、昔……」

「今の間を、それで説明出来る?」

 沈黙。

「あなたは、このゲームをクリアしたことがある。間違いなく。なら、そのデータはどこに行ったわけ?」

「き、消えたんだよ、昔のゲームはそう言うことが」

「あなたは、冒頭で辞めたってさっき言ったじゃない。それに、本当に消えたのなら、新しく作る理由なんて無いでしょ。接触不良があって消えたって、正直に言えば良い」

 そこまで言われた古刀は、完全に操作する気力を無くして、俯いてしまった。

 采女は、このために古刀を呼んだのか……。

 直接、イデアの日をやらせるために。

「あなたの行動を推理するよ、古刀」采女は、古刀の側に立って、見下ろす。「秋光から借りたカセットを無くしたあなたは、気まぐれでついていった勉強会で、とんでもない物を見つけた。それは、喉から手が出るほど欲しかった、イデアの日のカセット。こずえの名前が、きっと天面に書かれていた物。あなたはそれを盗んで、持って帰って、マジックで書かれたこずえの名前を消して、『あきみつ つぐみ』と秋光のカセットに書いてあった名前を、借りたノートでも参考にしながら、自分の手で書いた。それが、その他人の手の拠って書かれた秋光の名前の正体だよ」

 古刀は、何を言う元気もない。

「あなたのクリアデータなんか、最初からそのカセットには無かったんだよ。そこにあったのは、前の持主、こずえさんのデータ。データ削除という項目がない以上、こずえデータを抹消するには、『ことう』を新しく作って上書きするしかないけど、またクリアまでやるには、返却期限があったから出来なかった。間違いない?」

「…………うん、そうだよ…………」

 古刀が、そう言って泣き始める。

 罪悪や後悔や、恐れがそこにはきっとあった。

「私だって……盗みたかったわけじゃない……でも私、馬鹿だから……つぐみの大事なカセットを無くしちゃったから、なんとかしないとって思って……それで……だって……それ以外に、思いつかなかったから……」

「持ち主だったこずえさんも、別に当時に騒いでないってことは、きっともう、その人の中で存在も忘れていたソフトだったんだよ。幸いって言ったら問題あるけど、別に、今から罰を受けるとか、そんなんじゃない。やったのは悪いことだから、その意識があれば、そこから先は私の知ることじゃないよ」

「私は、つぐみに、もう絶交だって言われたけど……でも諦められなかった……なんとかすれば、つぐみは許してくれるって、思ったんだけど……だって、私には、つぐみの為になること以外に、もう生きる目的なんかないんだよ……それを奪われたら、何をやって生きていけって言うの……私には、趣味とか、将来の夢とか……無いんだよ、そんなもの、一切……」

 嗚咽。

 哀れみすら、私は彼女に抱けない。

 彼女を、見下すことも出来ない。

 一歩手前なんだ、きっと。私は、私たちはきっと、やりたいことや目的を失って、古刀のようになるまで、あと一歩のところで生きているんだ。

 私は、彼女を見て、共感とも言わないが、そんなことを強めに感じる。

 采女は、膝をついて、古刀と目線を合わせて、笑いかける。

 聖母なんて月並みなことは言わないが、とにかく彼女が不思議なくらい神聖に見える。

「そう言う時はね、私はゲームをお勧めするよ。やっている間は、余計な現実から、離れられるから。楽しみ方がわからないなら、私と、津倉さんが付き合う。友達になるとかそんな大それたことじゃない。暇つぶしに付き合わせるだけの、都合の良い関係だって思ってくれても良いよ」

 采女は、私にも顔を向けた。

 楽しそうに、微笑んでいる彼女。

「津倉さんも、三人でゲームでもしようよ。明日は、休日だからさ」

「……しょうがないわね」

 私は、呆れたように笑う。そうやって人とゲームなんかするのは、久しぶりだったから。

「まずは、そうね。じゃあ、くにおくんの大運動会でもしましょう。ほら、古刀もやるわよ。采女、マルチタップは持ってる? それともニューファミコン?」

 そうして、采女の家でゲームをする私たち。

 古刀は、初めは嫌そうだったが、次第に、本気で楽しんでいるように、笑顔を見せる。

 動画を撮るというので、采女はパソコンを立ち上げて録画をした。

 酷いプレイだったと、私は貰った動画を見て、そう思った。

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